2001年の文章2
2001・4・16
携帯電話の電波がペースメーカーを使用する心臓疾患の
患者に悪影響だとして、電車では携帯電話の電源そのものを
切る様にというのは周知のとおり。以前通信でも書いたこの
事実をまた書くのは意外な事を聞いたからだ。
今日仕事に行くと、私の携帯がサイレントに
してあったので、業務連絡に気がつかなかった
「どうしていつもサイレントにしておくのか」と聞かれて
電車で電源を切らねばならないので、実は切ると不都合で
鳴ってもわからないようにサイレントにしているというと
中のひとりがこう言った
親戚に心臓病の人がいるらしいが実の所携帯電話よりも
ヘッドホンステレオやモバイル、携帯ゲーム機などの
電波の方が恐そうだと話したらしい。意外だった。
(だがもちろんだからといって、携帯電話が安全ではない)
事実関係はわからないが通勤距離が長いほど、そういった
キカイを持つ人は多い。ペースメーカー使用者は
さぞや恐かろう。しかし私のような電源を切らないで
密かに隠し持っている人も入れれば電車は地獄の箱となる
申し訳ないとは思う。命がかかっているのだ
しかし、こちらも受信したい時間もある・・・
私は遊びで携帯電話を持ってはいない。仕事と子どもの
緊急連絡用に使っているのだ。なるべく車両でなく
通路に立つようにはしているが・・・
そんな話をしているとある人は飛行機に乗る時は携帯を切る
と言った「だって自分も乗っているから落ちたらいやじゃん」
そう。それが人の身勝手さだ。私も含め自分に被害が及ぶ事は
きちんとルールを守るが他人の事は対岸の火事なのだ
冷たいと言うかもしれないが世の非常・無常を表している
どうかなあ・・・みなさん電車で電源どうしていますか?
博愛・・・全ての人を愛せるか・・・
以前クリスチャンの友人が口にした「愛」というのは
日常私たちが使う「愛」とは違っていた
親子、恋人、友人など自分にとって普通の人ではない
「特別な人」への感情を私は愛といっている
そこにあるのは「差別」かもしれない
私の知る人々は知らない人と違う地位を私の心に占めている
友人は本当はそれは越えなければならない感情だと言った
隣人をこよなく愛し老若男女問わず大切に思う
という感情は持てるのだろうか?またそれは良い事か?
行為はできるかもしれない。人に親切にする事、善行・・・
真意はどうでも行動はできる
しかし心から全ての人に慈愛を持つなんて出来そうにない
全ての人を平等に愛するというのは、誰も愛していないのと
同じことだ。嫌いな人がいる、だから好きな人がいる
そんな自然の感情を否定したくない
人を憎むことはマイナスだという。私は人を憎むと言う事を
知っている。父親、友人、隣人・・・大きい憎しみから
小さな嫉妬、猜疑心、失望まで・・・私の中にある
しかし人を大切に思う気持ちもまた確かに私の真実だ
自分と同等かそれ以上に守りたいという強い気持ちから
友達でいたい人、イイ感じの人、イイ人、など
私の中の多くの「好き」な気持ち
好きを大切にしたいから嫌いもまた受け止めて認めたい
そんな私に博愛はできっこない・・・
2001・4・13
ちょっと下ネタっぽいです ごめんなさい
30歳の未婚の母親が友人の子ども(14歳中学生)を預かって
(養母として)80回も淫行していたと言うニュースがあった
(80回?どうやって数えたんだ?日記につけてたりして?)
なんとまあ・・・こう言う人は性欲の強い人なんだろうか
30というからまだまだ捨てたもんじゃない美人かと思えば
かなり肥えている体型で被害者の少年は「本当にイヤだった」って!
おいおいおいー・・・色々ご意見はあると思うが私の感想は・・・
私の場合、母親やっていると十代の男は性欲の対象にならない、わけだ
かわいい男もカッコイイ男も、若いほどにムスコに見える
かといって年がうえすぎの人はおじさんに見える
性欲の対象者は、私の場合年の近い人である。わかりやすく言うと
いわゆる「ムラムラ」というか「ドキドキ」っていうモノ(笑)
と・こ・ろ・が ムスコができてからムスコ教に洗脳されていて
教組ムスコ ダンナ幹部 と言ったところ(笑)
オヤジさんたちが若い子に「ムラムラ」するのはまあ、なんとなく
わかる。がおばさんが若い男にムラムラくる心理がイマイチわからない
いや、本当はわかるんだろうがわかりたくないのかもしれない
自分にとってムスコの母親であるという像を崩したくはない
自分もムスコも汚したくはない・・・というところか。
ムスコに自分の「女」は見せたくないし、ムスコに異性を見たくない
父親と娘も同じ。親は子どもに異性を見せないほうがイイ(私は)
父親と母親が「夫婦だ」という事は伝わった方がいいけれど。
親子と夫婦は違うと言う事は学習に値する大切な問題だから。
エディプス・コンプレックス 母親は息子にとって最初に出会う異性
親子というのは不思議だ夫婦や恋人に永遠にない絆がある
他人から始まる異性関係とは違うモノがある
親子に他人がかなわないのはそこだ。そして恋人や夫婦には性がある
それは親子には絶対タブーとされているものだ
他人が親子以上の(または同等の)絆を求めれば性によって
つながるのは必然かもしれない。そして親子の性を禁じるのも
そこから来ているのかもしれない(書いてて重い・・・ふー)
つまり例え血がつながっていなくても親なら子どもにエッチしては
いけないのだ。古代エジプトや各国の古代の王家じゃなんだから。
他人なら年齢差は問題ではない
性欲に正常と言う言葉を使うのは良くないかもしれない
未知の領域で本当の意味のプライベートだから、どれを正常かと
決めつけるのはまずい。孫と祖父くらいの夫婦もいるし
好きになる相手がいつもスゴイ年齢差という人は多い
それは好みやその人の考え方や生きてきた環境でも決まるから
その人の居心地のよい恋愛は自由だ。
しかし・・・中学生はまずい。相手も「イヤだった」なら尚。
友人の子どもに手をつけるくらい性欲とは止まらないものだろうか?
男がほとんどは「痴漢する気持ちはわかる」というが
「本当にする奴は自制心が足りない」とも言う。
やりたい事とやってしまう事は違うのだ。ねえ男性のみなさん・・?
自分の生い立ちを恥じるかどうか・・・
自分の今や、生い立ちをやりなおしたいという人がいる。
壮絶な人生かと言うとそうでもない。ただ親に冷たくされ
結婚した今も家庭でイマイチだと言う。
それは育った家庭の「冷たさ」だと言った
私は面白いほど自分の生い立ちは気に入っている。
女好きで家庭人失格な音楽人生の父 ついでに家庭も棄てた父
お人よしなおじいさんが背負った友人の巨額の借金
借金の厳しい生活に信仰宗教に救いを求めたおばあちゃん
働きっぱなしの情熱的な母親
家で雇っていた若い女性(実は父が手をつけて後、父と結婚)
なんちゅう家庭だと思うんだろうし、私もそう思う
しかしこのメンバーの誰が欠けても今の私はなかったと思う。
自分が好きだ(ホレホレ、サイコパス 笑)
だから自分の育った歴史も、かかわった人間も好きだ
苦労した人にいいたい。あなたは人と違う苦労でその個性を
身につけたのだ。素晴らしい事だ。その体験は金では買えない。
自分を、過去を好きなって欲しい。人生は波乱万丈だときっと
年とって面白いネタになる。非凡な人生はいいぞー
2001・4・8
道に聴きて塗(みち)に説くは 徳をこれ棄つるものなり
人の話なのに「私って物知り」と他人に話す自分
ちょっとカッコワルイかもしれない。
知識と言うのは元から備わってはいない。学習するから「ある」
しかし勉強していないのに「知ったかぶり」をする私は
学習したとは言えない。ただの「伝言ゲーム」だ。
伝言ゲームから脱出した自分の学習したものって?何だろう
体験し会得した学習・・・それは私の場合「労働」かなあ
兄弟分へのあこがれ・・・ひとりっこは淋しいか?
ムスコはひとりっこで、私も一人っ子。兄弟と言うものを知らない
人から、いつも「一人っ子は淋しいでしょ」と言われた。が
私は淋しくなんてなかった。ひとりの時間やるべきことはたくさん
あって、りかちゃん人形でひとりで遊んでも楽しかったし
愛するSFはいつでも待っていてくれた。友達が来て楽しいけれど
帰るとほっとする。自分の世界と言う物があった
友達は好き、でも、自分ひとりも好き・・・そんな子だから
一人っ子は淋しくない。だって生まれた時からひとりなんだから、と
言いきっていた。が・・・
ムスコは違う。兄弟が欲しいというのではないが人と一緒にいたい
そんな感じだ。「家に誰かいるとほっとするよね」そういう。
仕事で淋しい思いをしているのだ。ああ、ごめん・・・
けれど、独創的ではある。何やらゲーム仕立てのマンガを書いたり
ニュースを見て大人の話しに加わろうとする。
一人っ子は淋しい子?もし皆さんがそう思っているのなら
そう思わないで欲しい。ひとりのいい所もきっとあるのだから。
ミザリーのモデル?
先日読書コーナーに載せた「サイコパス」だが、その中に
相手の気持ちになれないという特色を如実にあらわす例が
いくつかあった。人を殺しておいて罪悪感を感じないかという
質問について「俺の方が被害者だ。こんな檻に入れられて。
あいつは苦しまなかったはずだ。きれいに切ってやったから。
俺の方がよほど辛いぜ」???
中に出てくるふたりの幼児殺害と他十人以上の殺人容疑が
かけられているジェニーン・ジョーンズは、准看護婦時代に
瀕死の新生児を助けたヒーローになろうとして
薬物を幼児に投与したらしい。そこを読んで二つの事件を
思い出した。一つは真偽を取調べ中の日本の「点滴殺人」で
もう一つは事件ではないがスティーブン・キングの
「ミザリー」だ。この作品は映画にもなったので
知っている方も多いだろう。ベストセラー作家の作品にあこがれ
ていた女が偶然その作家を助け介抱するうちに、自分の思うような
結末の小説に変えさせようと、小説家の足を折り動けなくして
家に閉じ込める。その女の過去は看護婦で幾人かの幼児の
殺人容疑の過去があったのだ。
もしかしたらキングはこの事件をもとにミザリーを考えたのかな
話は戻りサイコパスの共感能力の欠如は脳に関係があるという説もある
また脳!人は何故「脳」なるものに左右されねばばらないのか。
動物の中で一番大きい比重の脳を持つ事で厄介事まで背負ったようだ
同性愛者の脳に違いがあるように、サイコパスも脳の違いやトラブル
のせいならば、何故一定の割合でサイコパスが出現するのか・・・
必要にない物が生まれつづけるのは、意味があるのだろうか?
サイコパス、超自己中心的人間。これは現代の人間の性格の代表だ。
サイコパスは社会が生んだ新人類なんだろうか?
でも。皆少しはアブナイ。例えば洗脳したい教祖と信者は
恋愛でいかに相手を自分に向かせるか「洗脳」するかに似る所もある
仕事でも学校でもヒーローになりたいのは誰もがちょっとは思う事
サイコパスも、洗脳も、案外普通の人の中に隠れているのかもしれない
という事は・・・人間てこわーい・・・
2001・4・6
もういない友からの手紙
昔のノートを見ていたら亡くなった友からの手紙がはさんであった
まるで今も生きて元気いっぱいに暮らしているかのような錯覚
さっきHP廻りをしていたらOCEANのHP(休止)の日記に「遠くの人」
というテーマがあった。存在しているはずなのに、離れているから
実感が伴わないと言っている。言いえて妙。わかる気がする。
私は亡くなった友からの手紙を見ていると逆の感覚におそわれた
「彼女は生きている」電話でもしてみようかとさえ思ってしまう
手紙には笑う彼女の写真も付いていた。生気の満ちた笑顔。
写真から出てきても驚かないだろう、というくらいの実存感
もういないのに、私の感覚は彼女を生かしつづける
それなのに「もういない」「もう会えない」その現実の重みが
私を辛くさせる。自分のノートを見る。後悔がよぎる
何故手紙など取っておいたのかと。時の流れによって
彼女を忘れ心は軽くなってゆく・・・はずだったのに手紙を
見る度に、まるで昔癒えた傷をえぐるかのようにまた悲しくなる
亡くなった人は記憶からも消えなければ悲しみは癒えないと・・・
そして、何度でも悲しくなっても、忘れたくないのだと・・・
人の「思い出」がこんなに大切だと、そう思う
嘘と空想が本当の自分である時・・・
前に書いたかもしれないが夢野久作の「少女地獄」というのは
人をひきつける可憐な少女は、虚言癖がありついには自分の
ついた嘘の人生(シナリオ?)どおり自殺するのだ
有吉佐和子「処女連涛(字が違います。だって出ないんだもん)」
も架空の「彼」を作り上げている(前の通信のどこかに書いた)
さて、嘘もつきとおすと本当になる、というがそうだろうか?
人は生きる限り大なり小なり嘘をつく。必要悪だ。
嘘がいつしか自分を超えて一人歩きをしてしまったら?
その時自分という存在も「嘘」によって新しく変わって
しまうんだろうか?本当の自分はどうなっていくんだろうか?
嘘とは違うが「秘密」というのも必要悪かもしれない。
大人は人に言えない秘密があるものだという。
テレビで風俗をした過去を彼に言うべきかという相談をやっていた
今はきちんと働いているという。それなら彼を苦しめるから
言わなくていいとゲストは言った。そうかもしれない、聞いた事で
苦しむのは彼だ。彼女は秘密を持ち続けるプレッシャーに耐えるより
告白したい。軽くなりたい。告白して振られてもきっと
彼女はすっきりするんだろう・・・
私は決して正直な人間ではない。だが、秘密を抱えたままでいると
苦痛になってしまうタイプ。秘密を持つと自分が辛いのだ。
だから秘密はいや。王様の耳はロバの耳!一人で抱えるには重い。
人と秘密を分け合い、自分を楽にしたい。
秘密を持たない、秘密があったら告白する、と言う行為は
正直というよりも自分を解放したい為なのかもしれない
みなさんは、秘密ありますか?それを人に言った事がありますか?
(他人の秘密は別だ。信頼を得る為に貝にならなくてはいけない
実は私は人の秘密をばらしてしまったことがある。大反省
何があっても言わないでといわれた事を言うのは違反だった。
人の秘密でも言いたい。でも言ってはいけない。
難しいがルールなのだ。守れないのなら始めから言うべきだった
私は秘密を守れないのだ、と・・・ああ、昨日から
どうしようもない失敗の告白ばっかりだ。何で・・・)
2001・4・5
ニュートラルな考え方
わたしはあらゆる宗教・思想などに対していつもニュートラルな
姿勢で望んでいたいと思っている。人に対してもそうだ。
絶対シロ、絶対クロ、というのでなくその間を
ゆらゆら揺れる振り子のようでもいいから、自分を固定せず
人に染まらず「どこへでもいける」「何にでもなれる」
どんな考えも受け入れられる「ゆとり」を持っていたい
と、理想はいいんだが現実は難しい
人の考えは偏っているもの。それがまた主張や個性でもある
個性を持ちつつ人の考えに耳を傾けるゆとり。できない事かも。
立場的には常にニュートラルでいる事。とりあえずそれから、だ。
BGM: 神々の詩 BY.姫神 (テレビ番組でかかりますね
あの曲です。姫神もキャリア長い。好きです。日本人でよかった。
この神々の詩は、ジャケットによると「縄文語」というもので
自分の紹介を歌っているらしいですよ。縄文語というのがすごい。
古語ってすごく神聖に感じます。ラテン語なんかも英語圏の
ルーツでしょ。ラテン語の意味はあるのかと(日本の古文もそう)
海外の学生のインタビューを見た事がありますが、いにしえの言葉
は、それだけで価値があるとは思いませんか?言葉は変遷してゆく
生き物と思います。)
2001・4・3
帰りの事だ。駅で若い子がコケた。ミニスカがめくれてパンツ丸見え
そこを通りすぎたおじさんに向かって「見てんじゃねえ!」だって。
あのねー、見たくなくてもホームのど真ん中かでコケていれば見える。
それを見た仕事仲間のおじさんは「今の若い娘は皆パンスケみたいな
カッコだな」と言った。お分かりではないだろう。説明しよう・・・
パンスケとは戦後混乱の中で進駐軍(まあ、米軍です)相手の売春を
していた女性の蔑称だ。(パンパン、ノーバイと言う人もいる。
ノーバイってもしかして梅毒からきてるかも)おじさんが言うには
「濃い化粧して下着が見えそうな服で、あれじゃ痴漢に遭っても文句
言うなってえの。どう見ても襲って下さいって言ってるようなもんだ。
いや、襲って欲しいんだな」うーん、昔の考えはそうなるかもしれない
だが今のムスメ(失礼!皆さんも若いんだけど・・・まあ、それ風の
若者と想像してね)と、昔のパンスケとは決定的に違う事がある
それは「意思」だ。米兵に体を売った女たちは食うため、家庭を支える
為、背水の陣でやった人が多いと思う。(売られちゃったり)
今の東南アジア系女性が、来日して多くが水商売(特に売春行為)を
強いられている背景は「貧しさ」だ。フィリピーナの何人かを知っている
敬虔なカトリックの彼女たちはいいと思って水商売をしているのではない
親のため、兄弟の為にしている。それを誰が「汚れている」と言えるのか。
彼女たちの働く金は、それが全部手に入るはずもなく多分
沢山のマージンを取られて残りを本国に送金するのだ
そんなお金を、行為を「汚れている」とは言えない。
女性の皆さんできるだろうか?家族の為に体を売る事が・・・
今の日本の女の子達は「自分」のため。全て自分の為・・・
何十人もの異性性交渉するのを悪いとは言わない。恋多き場合もある
だろうから。しかし無軌道な性体験を重ねる事は決していいとは
思えない。(セックスが好きだと言うのはまた別。嗜好の問題で
それは、まあ、自由でしょうが 苦笑)
女には女のプライドってものがある。体のことを言うのでなく
「体を簡単に他人に預ける考え方」がイヤだ。最後の領域・・・
もちろん、それはバージンだなんて言うつもりはない。が
何かヘン。何かが今欠けている・・・ような気がする。
昔読んだ本でこんな台詞が出てくる。金持ちの家の息子と
幼い時に売られて、体を売っていた物売り(その時は足を洗っていた)
が恋仲になるが、もちろん反対される。その時激怒する両親に
割って入ったおばあさんが(けっこう偉いみたい)言う台詞・・
「あなたはがんばって働いて来た。苦界からここまで来るには
さぞや、ご苦労なすったろう。でも、孫と一緒にさせるには
もはやあなたは別世界の人なのだ。女が金で体を許すと言う事は
女としての一番大事な何かは失われたと言う事だ。
悲しい事だがもう戻れない。女には最後まで譲れない世界がある」
そう言って短剣を出し、見せる。それは花嫁が懐にしのばせるものだ
それを見てもう守るべきものがないと悟った彼女は去って行く。
私はそれで日本の花嫁衣裳の短剣の意味を知った。
白無垢はご存知のとうり「あなたのお家の色に染まります」という意味
短剣は・・・万が一にも汚されてはならない。その時は戦うか
ダメなら自害するようにと、そんな意味があったのだ
若かりし私は感動したのを覚えている。(家路か、遠い家路か、
そんなタイトルだったと思う。作者はまったく記憶なし)
もちろんフェミニズムの立場からするとこれは男の(家の)為に
女性の自由を奪うって事にはなる。それに言われなき暴力で
陵辱された女性は自害しろと言う教えもまた間違っている
今だってそういう絶対貞操を守る事を要求する国も多い。
それは絶対反対。そんな出来事に遭った人は絶対汚れてなんていない
汚れたのはそう言う行為をした男たちのはずだ
女として精神的な不可侵の領域って欲しい。
何人(なんびと)も入れない「自分」を守りたいってワケ。
だから体も「自分」でしょ・・・おじさんに「パンスケ」なんて
言われると同性として情けなや。(ってまた説教になった 汗)
2001・4・1
昨日はなんて寒かったんだろう。ムスコと「ドラえもん」の
映画に行って来たが、おかげで土曜日なのに空いていた
子どもの映画に行くとその映像に驚く。スゴイキレイなのだ
CGを駆使してストーリーも凝っている。
思うのは「前向き」と「環境を大切に」というテーマの内包だ
みんなで力を合わせて何かを成し遂げる事
ダメだとあきらめず勇気を出す事、地球環境は人の手で破壊されて
しまっているから人の手で保護するべきだという事・・・などなど
子どもに「前向き」を見せるのはいい事だ。できれば「まっすぐ」
「汚れないで」育って欲しいわけだ。子どもが見るものは
キレイな物を見せたいとやっきになる大人の気持ちはわかる。
しかし現実はキレイに育った大人はいない
育つ過程のどこかで少しづつ汚れていくのだ
いや、汚れを「学んでいく」と言ったほうがいいかもしれない
キレイなだけでは現実が解決しない事、妥協と言う事、の学問
有明の海苔が滅びそうだ、水門を試験的に開けよう・・・
すると今度は「開けると水害に対処できないから反対」という
人が出る。環境を守るか人の暮らしを優先するかはどの環境問題も
抱える悩みだ。(実の所そこに絡む利権が一番問題だと思うが)
ドラえもんの冒頭でタンカーからの重油流出でペンギンが
油まみれになっているニュースが映る。
それを見てムスコが「わー、かわいそう」という
そう、かわいそうだ。子どもの素直な感想だ。
しかし大人は具体案を考えなければならない。タンカーをどうするか
技術やいくらお金がかかるか(えひめ丸もそこでつっかえている)
ペンギンを助けようという気持ちはいい事だ。しかし
大人はその後のいやな仕事をしなければならない
(例えばタンカーを放置するといったいやな決断も選択の一つ)
どらえもんは良かった。子どもに見せてもみんな安心なのは
わかった。ちなみに「もののけ姫」も前向きだと思ったっけ。
生へのメッセージが強い気がしたから。(ムスコはもののけも好き)
ま、イマドキのアニメは合格点。むかしの「バカボン」なんかは
ブラックで過激だったけどね。(マンガ本。差別語乱発。ブラック
ジョーク。それはそれでスゴイ)私は後ろ向きも見たいが(笑)
2001・3・31
息子とテレビを見ていたらベッドシーンで、ムスコは
「教育上悪いのをやってるよ」と言うから、私は「じゃ別の見ようか」
と答えたら「ん。やっぱ見とこっと」親子で爆笑。
2001・3・30
3月30日の日曜日 パリの朝に燃えた命一つ・・・
(フランシーヌの場合って歌知らないよね・・・)
新会社が決まった人は多いが最高齢(70歳)の人はダメらしい
世間では年だから当たり前だというのかもしれないが
40、50代と同じ位働ける体力を持っているのに働くなと
宣告するのは残酷だ。繰り返し言うが人は長生きできればいいわけでは
ないと思う。社会の中で家庭の中で、自分の「働き」が出来ることが
生きがいならばそれをなくす事は死刑宣告だ
皆さんは学校も仕事もしなくていい、じっと寝ていなさいと
言われたら??生命力は失われるんじゃないだろうか
ひきこもりの人は外に出られない事がまたストレスになる
2重の苦だと思う。(話が飛んだ)でも引きこもっている間
裕福な家はいいけど貧乏な家庭は大変じゃないかなーとテレビを見て
思ったことがある。35歳の引きこもりを世話している63歳の母親
父親はいない。生活は厳しい。
言葉を作ってみようか?(ちょっと意味不明です)
言葉や文字というのは日本語や英語以外にも実は色々なものがある
当たり前だ・・・といわず聞いて欲しい
音符は音を記号に表したもの、アセンブリ言語はキカイ用
交通規制のときのて信号、などなどボディーランゲージに始まって
訓練しないと絶対わからないものまでいっぱいある。
言葉の始まりはケモノのように吠えたり,唸って威嚇したり
そんな所からだろうが人も赤ん坊から同じように言葉を得る
「泣く」基本中の基本。笑いは後からのものだ
さて「言葉」を作ろうと考えた。暗号でない「言葉」
音楽のように感じたままにその言葉を口に出す
感情や情報を相手に伝える為の「言葉」だから感情が
伝わらないかなあ・・・(ほとんど発想が幼稚園。すみません)
2001・3・27
学習はやっぱり積み重ね・・・
おばちゃんたちの履歴書を見る機会があった
皆さんには信じられないだろうがシンプルの極み
中には○○小卒の一行のみってのもあって,後は経験。
学歴は要らなかった。学歴は,学問は要らないのか?
私の好きな故・カールセーガン氏がこう語った
宇宙物理学,生物学、などあらゆる科学の専門分野は
16年以上の数学・物理の知識、すなわち日本では
小学校から高校はもちろん、大学の4年間分,最低でも
身についていないなら使い物にはならない。と。
科学とは積み重ねだ。永遠に私には理解できない
土台が出来ていないからだ。こんなにも,あこがれる事柄を
私は「わからない」まま・・・
例に挙げられている「マックスウェルの方程式」
この奇妙な式を見ている。ムスコが「なに?これ」
私「さんすう・・・の進化したやつ」
バイリンガルの思考回路が単純な回路ではないようにきっと
物理や科学の思考をする人は、別の回路が繋がっているのだ
人とサルの脳みそのように・・・
理系のみなさん,がんばって勉強してください。私の分も。
いや、いまムスコとさんすうからやりなおしてますから
いつかきっと?(ところで小学生の算数のできない
理系の学生・・・って記事ホントですか?嘘みたい)
好きな男を守る
以前読んで(たぶん小説)ぐっときた台詞がある
美しいが強い女剣士が言った
「あの男(ひと)に女として愛されなくてもいい
私は命賭けてあの男を守る盾になろう」
と言ってバッタバッタと屈強な敵を倒していく
愛されたいと言うのは見返りだ。愛した分は返して!
と言うのだから。片思いが本当の愛だという人がいる
そうかもしれない。けれど男女は見返りが必要な関係かも。
金色夜叉じゃないが振られる時に,相手の足にすがって
「捨てないでー」というのは私には出来そうにないが
男女の正当な愛の形は「見返り」のある愛、かもしれない
黙って愛する男を守って敵と戦う・・・・・・
私が目指すいい女とはこれだ,と思った
好きな人たちに求めるものは,ただ彼等の幸せで
自分は体を張って守ってやろうじゃん
さしずめダンナとムスコを守って(?)いるのだが
(両方男だ!)これが現実はなかなかカッコ悪いのだ
無駄使いがどーのこーの、勉強があーだこーだ
ホテルでせっせと肉体労働・・・買い物は百円ショップ
ま、いいってことよ。
昔矢沢栄吉(若い人は知らないかも。ロッカーです)
が、本当のツッパリは通勤電車でもまれながら
会社に通ってるオヤジさんたちだ!と言ったそうだ
そうだそうだ!カッコワルイって事はカッコイイって事よ
古代アメリカ文明を壊した白人文明
アメリカ文明?何かなじまない言葉だが、これは
アステカ王国,インカ帝国,さらに昔のマヤ文明の3つだそうだ
その悲劇的な壊滅は承知のとうりだが,悔やまれるのは
過去の記録を実にわずかしか手に入れられないと言う事だ
それは,文字による歴史の記録が少ないからだ
インカは文字がないと言われているし、アステカの絵文字は
語彙数が少ない。マヤの文字は解明が完全ではないという
スペインが占領後に,聞いた話や,アルファベットを学んだ
現地人が口伝承を文字にした、などがせいぜいだ
それらも,後から影響を受けたキリスト教の思考などが
混じっているという。
戦争,侵略の大きな損失はそこにある。文明の消失・・・
やはり,言いたくなる「白人達よ,何をしたかわかっているか」と
2001・3・23
私はコギャルなる所に属する子と仲がいい
先日ギャル系雑誌と言うものを見せてもらった
すると,内容がすごいの何のって!何がというと
もちろん下ネタが、である。中学,下手すると小学生からの
性的な体験談が目白押し。
なぜああいう子達は性的に成熟が早いんだろう?
はっきり言って他の部分は成熟していない。
学力に限らず、一般常識や対人関係も・・・
感性が鈍いとは思わない。性は動物の本能の部分である
彼女たちは,その上に積み重なるだろう諸々の物を
積んで来なかった。話の端に「若いお母さんになりたいの」
なんて言う。子育てにあこがれている。
妊娠したら産みたいと言う〈まだ中学!〉感覚の
アンバランスさに驚く。今更性の暴走を止めることは出来ない
せめて避妊や妊娠についての知識を教えておく
アメリカで中学や高校に託児所があったりするが
日本はそこまで真似しない方がいい。
大学生で妊娠,出産はかまわない。成人だから。
しかし十代の過渡期の子には選択権は与えたくはない
あまりにも未熟だ。ネットで中高生のサイトを見たりする
精神的成熟度は高いような気がする〈偏見かな〉
自分の表現したい事を文字にして送っている
コギャル系の子はケータイで単発のメールをやる
頻繁なメールには驚くほどだ。そこには
じっくり考えて文章を作ると言う事はない,出来ない
それを私はただ傍観者として見ている。私を大人は非難
するかもしれないが、何が出来るだろう。
大人と子供と言うよりも彼女と私は世界が違う
そんな感覚だ。他人と決して交わらないと言う寂しい現実
しかし,言葉を交わすことは出来る。が,世界が違うと
その言葉さえも通じない・・・
彼女といると宇宙人と話しているようだ。
この一年くらいで本当に別世界を実感している
それは結構私にはショックなんだけど・・・
2001・3・21
人間関係に失望した事はありますか?とおたずねしたい
絶望ではないんだが失望。学校時代の旧友や会社員時代の
同僚はケンカや揉め事もあった,傷ついた,傷つけた事も
あったがそれは常に私の「ホーム」であり「希望」であった
しかし母親の世界という異質な環境を得て,人と言うモノ
人の集団と言うものへ失望感を持った
誰が悪いなどと言う事ではない。自分と言うものに
常に仮面をつけて「上手くやっていく事」だけを考えて
生きていく事の虚無感が自分の中で沸いてきただけだ
神戸の酒鬼薔薇聖斗事件の声明文「透明な存在」という
言葉に色々な人が反応した。私も母親界の中でそうした
存在であるという感覚。母親は社会人ではない
違うとみんなは言ってくれるだろうが、そこには
一般社会と見えない壁が存在する
○○のお母さん,○○のお嫁さん、であって
オタッキーな変人の「りん」という人間はどこにもいない
自分の存在が他人から跳ね返らない、そんなあせり。
いい人を演じつづけると重荷になる
ボクちゃん通信の手書き紙版を作り始めたのは1991年
子どもが生まれた年だった。旧友に無理やり送った。
とりとめのない,駄文を友人が読んでくれているという
受け止めてくれているという安心感が、人間への失望感を
取り除いた。人は誰かに受け入れてもらい、また
誰かを受け入れなければいけない。こだま・・・か
2001・3・20
バイリンガルの思考回路
バイリンガル、いや中国語も出来るからトライリンガルな人
彼女は日本語が一番苦手という。たまに英文メールをもらうが
彼女には日本文よりなじむそうだ。日本人の顔に異国の思考
その不思議さに驚く。(私はジャパニーズオンリー!勘弁して)
私の好きなキョウコ・モリという作家は日本人だが日本を
脱出(日本には辛い思い出が)してアメリカで成功。
彼女の作品は全て英文でかかれていて,他人が翻訳している
自分で日本語で書けば良いといわれても日本的思考をしたくないと
あくまで他人に翻訳してもらう。日本を拒否した日本人
その思いに惹かれて私は彼女の作品を読みつづける
他国語を操る人は達者な人ほど思考が複雑化すると思う
たとえば「セサミストリート」の域を出ない私としては
英語とはまず頭で日本文を作りそれを英文に訳すのだ
が、始めから英文で考えるとスピードだけではない
何か感覚も違う。合理性を追求するのには英文はピッタリなのかも
逆に日本文のあいまいな美しさは,世界有数の美だと思う
ドイツの侵攻したヨーロッパ各国で密かに自国の言語を
子どもに教えていった話しは自国の文化,自国の美を断って
はならないという思いだったろう。
教科書で習った「最後の授業」ってフランスの話だったっけ?
フランス語は世界で一番美しい言語です,皆さん忘れないで・・・
そう。自国の言語は世界一美しい。私はそう思う・・・
2001・3・18
黄泉の国はどこにあるの?
そこへ行くにはどうしたらいいの?
記憶の中にしか今はいない人たちを
懐かしむ時そこへ行く道を探す自分がいる
誰も知らない,知ることはない遠き国
その地図を探す事,人はそれを信仰と呼んだり
哲学と呼んだりする・・・
山振の 立ち儀いたる山清水
酌みにいかめど 道を知らなく (万葉集より)
人の死が何故悲しいか、それは生前その人に
してあげたい事,してほしい事を全てやり終えなかったからだ
と言う人がいた。もっと、こうしたかった
もっと話したかった,もっと愛したかった・・・など
でも、どうなんだろう。全て全力で友情や愛情を
築いたとしてそれでもその人の存在そのものを失う喪失感は
癒せないだろうから・・・
人を好きになる事が出来ない人
こんな人がいた。キレイなのに恋愛運が悪いというか
お付き合いが続かない。三十代半ばを過ぎて
今こう言った「私って人を好きになれないのよね」
友達が好き、芸能人が好き,そんな事しかわからない
彼女はそう言うがみんなはっきりした基準を持って
恋愛するわけではない。恋愛は自己愛じゃないかなと
思う事がある。見返りを期待する愛情。
親子は「無償」の愛と良く言うがキレイ事ではなく
子どもはその存在だけで親の遺伝子を継いだ者
親の未来,遺伝子の不死の夢をつなぐ者なのだ
存在自体が見返りだ
だが恋愛は違う。肉欲はもちろん,精神的にも
見返りを求める。自分の価値を相手がどれだけ認めるか。
片思いで内に秘めていても同じことだと思う
迷惑にならぬようそっと見守るだけと言う行為は
自分で「自分を評価する」わけだ
タイタニックのような恋愛が恋愛が全てではない
人の恋愛はバリエーションに富んでいる筈
うーん,難しく考えないで人と付き合って欲しいな・・・
考えるより行動する方がいい事ってあるのだから。
契約家族制はいかがかな?
以前レンタル家族なるものがあった。(今でもあるの?)
例えば老夫婦が,ろくに来ない子どもや孫の代わりに
お金で一定時間家族になってもらうと言うモノだそうだ
ふと考えたがこんな時代だ、家族崩壊といっていい現代
上手くいかない家族ならいっそ生活はやめて
気の合う同士で「家族」するのはどうだろうか?
芸能人で契約婚なるものをした人がいるそうだが
(1年とか5年とかで離婚するか更新するか
あらかじめ決めてある結婚)家族もお互いに親子契約や
兄弟契約で家族するというのはどうだろう?
ゲイの家族は案外上手くいっていると言う
養子を迎えてもいい関係だと言う。
それは他人であると言う認識が強いから譲り合って
いい結果が出ているんだろう。折り合う事,見習いたい
親子・兄弟を他人の第一歩と考えて、一歩引く事は
必要な家族もきっとある・・・