2001年の文章 6
2001・10・16
10代の悩みは色々あるだろうがやはり上位に上がるのは
人間関係だろう
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私は毎日が辛い。学校が怖い。クラスに入るのが苦痛だ
人に合わせるのがもう出来なくなりかけている
どうしたらいい?冷たくされているのではないけれど
私には息苦しい。人のしぐさや言葉のひとつひとつに
敏感になってしまう。こんな私をおかしいと自分でも思う
私は?何を求めているのか、わからないけれど
心の奥にガラス板があって、1枚1枚それを破って
私の元へ来てくれる友達がほしい
たくさんのメル友も誰もわかってはくれない
私の心のガラスは厚い。だから誰もそれを破って来てはくれない
ガラスが壊れる時、その人はガラスで怪我をする
そんなにしてまで、私を求めてはくれない
ああ・・・学校が辛い。机に座る数時間が辛い。
いっそなじられたり、いじめられた方が、どんなにかいいだろう?
まるで水面は静かでも、水の深い所で魚たちの生きるための
戦いがあるように、人の視線の静かさが、怖い。
ああ・・私は壊れてしまうの?
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人は生まれたとき、生きてゆく長い時、そして死にゆく時
人から囲まれ、つながっている、が、ひとりぼっちだ
問題は生きている時間の孤独とどう戦うか・・・
それは私も教えて欲しい。小さな事で一喜一憂する事もある
いや、人は深くて浅いもの。小さな出来事と感情の
積み重ねで生きている。生きている時間は残酷だ
人は固く閉じられた私の心にも容赦なく爪を立てるし
私も無意識に人を踏みつけている
>ああ・・私は壊れてしまうの?
いいえ、あなたは壊れたりしない。持つべき疑問を持てただけ
>机に座る数時間が辛い
辛くて、逃げたい・・・そう思って学校や会社へいく人が
本当はほとんどなのかもしれない。逃げたい。でも、どこへ?
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ここからは・・・世間ずれしたお話となる・・・
まあ少しばかり時間を長く生きている私の身につけたテクニックは
逃げられないのなら、他の快楽を見つけようか、という事だ
他にも人に期待しない、されない・・・という事もあるけれど
案外辛いのだ。期待が重荷になる事はあるが、期待されない自分は
何の価値があるのかと自分自身で追い詰めてしまうものだ
仕事など、こき使われるとブーイングが出るが、仕事が無いとか
他の人に仕事が行く、とか案外ガックリするものである
でも一生懸命やって報われない・・・それも辛い
対人関係では・・・
自分が嫌われているわけではないが、他の人が自分よりも仲が
良さそうに見える、自分が浮いて見える、それを自意識の問題だと
いう事はたやすいけれど、大なり小なり人は疎外に怯えていて
輪に溶け込んでいないと不安になる
私にしても職場では新参者で、みんな良くしてくれる、が
「溶けこんではいない」という感覚はある。一体感は私には薄い
密な付き合いはあっていい。納得しているはず・・・なのに
時折淋しい気分になる。このHPでも書いた事があるが
「仲間が欲しい」そう思って仕事を探した・・・見つかった居心地の
良い職場。けれどやはり私は浮いてしまう・・・心の中は。
やさしい人たちばかりだ。だからなお更に辛いという事もある
何を言ってるんだと聞かれても上手くは説明できないけれど・・・
何と、前向きに励ますつもりがすごい後ろ向き(笑)
2001・10・12
OCRソフトというのは横書きには強いという事を知った
どーりで以前新聞のスクラップを読みこませたら何語だ?と
なってしまったワケである(あれでは自分で打ち直した方が早い)
友人のメモは9年経っているとはいえPCでプリントしたものなので
OCRもキレイに認識した。キカイはキカイどうしラブラブと言うわけだ
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ちょさくけん?
著作権というものは、自分の作品を家の金庫に入れてカギをかけて
いるならばまず贋作も盗作も出来ない。が多くの人の目にはふれない
そこで書いたものを刷ってばら撒くとする、多くの人が手に取る
読んでくれる、しかし中にはそれを真似したり自分の書いたものだと
売りこんだりする輩もいるだろう。どちらの道がいいか、難しい
商用でない場合、コミュニケーション重視ならばもちろん後者
トモダチが出来るためには多くの人の目に晒す事だから。
しかし自己表現(作品)を重視する場合、ややこしい
(お金を取る場合はまた違うのでそれは例外)作品は多くの人の
目に触れたいだろうし、かつ自分の作品を守りたいだろう
紙でなくこうした信号で自己表現をするから問題は生ずる
私が友人に出すメール一つ取ってもそうだ
私のメールは一応その人に書いているし、受け取る方もひとり
のつもりだがその人が100人に私のメールを送ってしまう事や
ネットで公開してしまう事など、可能なのである(ルール違反でも
技術的に可能)という事はHPでもメールでも自分が誰かに発進した
信号は全て「さらされる危険」があるという事だろう(ひえー!)
という事でメールは自分の判断(この人はそんな事はしないに違いない
という気持ち)で送るだけで信頼以外メールを守る手立てがない事
HPもそうである。読み手の良心を信じる事。そのような
すごーく脆い「気持ち」でネットは成り立っているのかもしれない
なんと言うすんごい「セキュリティー」笑 それですんだら警察いらん
・・・ということでお手柔らかにお願いします m(__)m
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2001・10・5
平等な運動会?
ある地方で小学校の運動会が行なわれた。そこは関東から
越していった人には奇異に映った
国旗は無し。校歌斉唱も無い(国歌ならわかるが)
勝ち負けも判定せず、給食(弁当無し)で景品(賞品)も無し
しかし差別を無くそうという啓発の言葉はあったそうだ
うーむ・・・そんな運動会ならばやらないほうが良いと思うのは
浅はかだろうか?地域で色々な問題はあるのだろうが
運動会とはなんの為に?運動の向上や、育成ならばイベントではなく
子どものみの、校内だけの行事にすれば良いのに・・・
うちの学校では騎馬戦も復活した。小学生ながら迫力があった
けっこう親たちは過激な種目が好きである(笑)
やりたくない子は不参加でも良いと思う。平等な運動会、なんかヘン
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女性が魔物になるとき
昨日テレビで(テレ朝)犯罪かなんかの番組をやっていた
どうも心理学的な要因の犯罪を題材にしたらしく
ピアノ殺人(音による不快感)、集団主婦万引き事件(集団感染)
月経前症候群による殺人、不倫OL放火殺人、など私の興味を引いた
大体知っている事件であったが月経前症候群の事件は(海外)
知らなかった。概要は同僚を殺害した女性には殺害動機も無く
調べてみると過去自殺や暴力行為などを繰り返しており
それは全て月経の前に起こっていると言う事だった
イギリスでは殺人は終身刑が普通だが異例にも彼女は執行猶予付き。
デパートに勤めていた友人からこんな話を聞いた事がある
ある常連のご夫人はいつもは良いお客様で高額の物を買う
しかし時折万引きしてゆくそうだ。驚いた彼女は上司に報告
すると上司は「万引きした物は全てご主人が払うから、見ない振りを
して下さい。他言はしないように」と言った。時が経つうちに
この人は月経中についやってしまうのではないかと、思った
多分このご夫人も月経前症候群なのかもしれない
これは本人の意思に反してホルモンバランスが精神に影響して
してしまう犯罪なのだろう・・・が、それは放置しても良いのか?
万引きなどはまあ、後から処理も出来る。物品は所詮モノである
金を払えば良い。しかし人を傷つけたり、殺害したりする危険の
ある人をほおっておいても良いのだろうか?
月の大半が「普通の人」ならばそれは普通の生活の権利があると思う
が、精神コントロールを失う期間(月経前)は他人の安全の為に
(もちろん本人も)期間限定で拘束したらどうだろうか?
それにしても女性が不浄の者とされ迫害された多くの歴史・・・
思えば女性は凶悪・暴力犯罪は少ないが、たまにある凄惨な犯罪は
男性のそれよりも恐さを感じる。番組でも取り上げた不倫OL放火などは
男性ならば相手本人を殺すか、相手の恋人(や配偶者)を殺すと思うが
女性の怨念は深い。相手の一番大事な、愛する者、子ども・・・を狙った
やはり女は魔物である。不浄の物である。何故ならきっと女は誰にでも
狂気が宿っていて、それを閉じこめているドアが開いてしまったら
中から出てくるのは・・・・・・・・・・
2001・10・4
女性は「囲われるもの」??
イスラムの中の戒律の厳しい宗派での女性差別が問題に
なっているけれど「源氏物語」や江戸絵巻(の大奥)など
古の日本の上流社会を見ると似たようなものである、と思った
女性が男性に囲われると(妻であっても側室であっても)
外に出る事は禁じられる。たしなみが無い女とされたり
厳罰の対象となったり。地位のある男の子孫(主に男子)を
産む為と男の欲望を満足させる為に、女は監禁状態におかれる
それは中東や東洋に著しかったのでは?
そんなに昔の話でなくても日本でも「顔も知らないが親の決めた
人と結婚した」というおばあさんもいるし、女性は親に従い
夫に従い、老いては子に従う・・・というのもつい最近の言葉だ
(今では親に従い、妻に従い・・・という男性も多かろう 笑)
女に必要なものは健康な肉体と美である。脳みそは要らないのだ
今もそう思っている男性は(女性も)多いと思う
欧米の社交界ではむしろ女性の奔放さが描かれていて
男性に負けないくらい女性の(人妻の)スキャンダルは「華」である
そんなスキャンダルの海から「女性の平等」という意識が生まれた
女はやっと外に出始めたのである。扉を開いてくれたのが欧米の
思想だったと言う事実は悔しいが認めるしかない・・・
2001・10・2
嫌われた場合 どう考えるか 人間関係が辛い人へ
人から「嫌われているなあ」と思ったことがあるだろうか?
そんな時、誰もが面白くないと,不快な感情を持つと思う
だが「どうして嫌われたか」を考えた時,理由は色々だろうが
誰のせいと思うか・・・で心の向きがわかる
私を嫌うなんてあの人は人を見る目がない!と他人のせいにする人
私がこんな性格だから嫌われるのは仕方がないと自分のせいにする人
他人のせいにするのは、卑怯な感じであるが、実は自分のせいと
嘆くのが私は一番したくない。私の好きな人たちにもして欲しくない
私の選んだ友は魅力的だと太鼓判を押そう。あ,私もね(笑)
好き嫌いというのは単なる相性である。私のどこかがヘンだとか
私はダメだとか,そう思う必要などない。もちろん風呂嫌いで
臭いとか、やる事がドジマヌケ(それは私)だとか、そういう
原因があるならば気にしてもいい。ただし自分が悪いというのでなく
自分の取った行動が悪かった・・・と。
社交性が無いと悩む人は多いが上手くやっているように見える人は
内心「自分はへらへら媚びている」とイヤだと思っているかもしれない
世の人全員から好かれるワケは無い。全員から嫌われるワケも無い
2001・10・1
「私は人に言えない秘密があります」という興味を引かれるような
台詞から始まる本があった(何と言うのか忘れた、多分印象に
残らなかったなら私の好みじゃなかったろう)
秘密というのは自分にとって、知られたくないという意味である
他人が人の秘密を知っている場合は、実は秘密ではない、と思う
人に知られた時点でそれは共有する出来事となるからだ
あくまで、本人のみの知り得る事で、他人から守りたい事実
一応それを「秘密」と定義しておく
さて「秘密」だが絶対人に知られたくないモノが他人には
さもない、どうでもいいという事もある。重要な出来事が「秘密」
かというと(例えば犯罪歴があるとか、性犯罪の被害にあったとか
人を裏切ったとか、家族を捨てたとか、まあ色々)そうでもない
自分の華麗な(?)過去をオープンに出来て、解放されている人も
多いのだ(飯島愛氏や内田春菊氏など、自分の過酷な人生を
書き物にできる事はイイコトである)
反対に小さなトゲがその人を苦しめている場合もある
小学生の時の事だ。私のトゲは家にいない女好きの父親の事ではなく
「かぶとむし」であった。小学校低学年、ちょっとおとなしめの
子どもであった私は女子はいいのだが男子には,話す時気後れを
してしまった(普通に話せるけれど,内心プレッシャー)
ある日ちょっといいなと思っていた男子から話しかけられて
かぶとむしが飛んで来る事があるか,聞かれた
私の家は街中である。そう言う事はあまりない、が私は答えた
「うん」もちろんかぶとむしは飛んでこないし虫にも触れない私は
彼から「うそつき」と言われた・・・
何故バレるような嘘を言ったしまったんだろう?
その子を喜ばせたかったというのもあるけれど,私の中で
願いもあった。彼の為に本当にかぶとむしが飛んできますように。
長い事たったこれだけの話が人に話せなかった
大人になって小さな自分を「子どもだった」と笑えるようになり
何の壁もなく言えた、が、私はきっと代わりに失ったんだろう
あの時の自分のピュアな気持ちを。人に話せることで扉は開いた
小さな自分は走り去ってしまった・・・そんな気がした
***************************************反対にそういう媒体で「嘘をつきたい」人もいる
私もそれもまた,いいと思う。人は逃げたい事や時がある
毎日苦労している人がネットでお姫様やアイドルになったり
富豪の息子がホームレスになっても、かまわない
彼等が心の中で描き,人に見せたいものを見せればいい
まあ、現実では嘘は混乱の元で困る行動になるが
嘘が自己表現としては,見事な芸術であるという事もある
(芸能や文学などは嘘ツキでないと大成しない,といった人もいた)
嘘を奨励してはいないが容認できる・・・という事で
豊かな表現のネットの海を楽しもう・・・
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本でもネット上でも星の数ほどの「告白」「秘密」「嘘」がある
私はそれらはいい事だと思う。言える事は「扉をあける事」だ
愛犬の安楽死が家族で話されている。本当にもう、自力で何も出来ないし
目も耳も機能していない。可愛そうだから死なせてあげたほうが
いいのかもしれない、とおじいさんが口火を切った
確かに見ているのは辛い。が見ているのが辛いのはきっと私たち人間で
肝心の犬はどうなのか、もちろんわからない
自分たちが見ていて辛いから、死なせようか?それは生きている(強く)
者が主導権を握っているという事と、死や苦は主観的な要素が多いと
いう事だ。自分が苦しい時もがき苦しさを訴えると、周囲が気がつく
周囲はそれを見て面倒を見たり、励ましたり、あるいはうんざりしたりする
しかし、自分が苦しい時何も口に出さなかったら?
そう、その苦しみは自己完結でその人一人にしかわからない世界である
苦しみと言う主観はそこにはないのだ
たかが犬されど犬、老いてなお小さな彼女は私に与えるものは多い
2001・9・4
こんな言葉を聞いた事がある
「まったく正常だった人が中年以降突然異常な犯罪に走るという事は
ありえない。猟奇殺人や放火などは必ず前触れ、つまり
犯罪に至るはるか以前の子ども時代た青年時代に、危険な兆候は
みられるはずである」なるほど、恋愛のもつれや、金銭トラブルなど
突発的なトラブル犯罪でないものは、おじさん・おばさんになって
突然へんしーん!ということはなかろう、という事だ
逆に考えると危険な兆候が過去あった人は、犯罪に走らぬよう
抑止をかけなければならない。ちょっとアブナイ人なんてたくさん
いるだろう。その人たちは無意識に色々な抑止力が働いている。
まずは世間体・・・犯罪をしたら自分が人からどう見られるか
恥ずかしい、非難されたくないという自分の庇護
それから人間・・・もしも親や恋人、友人など迷惑を掛けたくないと
思う人がいたなら、留まる事もある
損得勘定・・・犯罪をして一生を台無しにしたら自分が損だ
道徳観・・・これはむずかしい。育つ人もいればあまり無い人もいる
犯罪の芽を持つ人はこれの芽生えが悪いだろう
自分への評価・・・えてして自分がダメであると思う人は犯罪にも
関わりやすいらしい。自分を大事に思えないから
他人も大事ではないのだ。逆に自分を課題評価している
そういうパターンもあるがそれも実は深層では同じで
自分に対する自信がないので自分のプライドを高く
設定して自分を守るのである
これらは(もっとたくさんの抑止はあるだろう)一つ欠けたって
どうって事はないかもしれないしあるいはたった一つでも
立派に抑止力として機能しているかもしれない
そのバランスは微妙だ
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ある告白を読んだ事があってその人物は小さい頃盗癖があり
10代は荒れていたと言う。補導歴も数回、人を見ると
刺してやろうかと大した理由もなく思ったそうだ
目が合っただけで殴り合う毎日。女性にもレイプまがいの事をした
仲間は彼以上に悪くて、彼を止める人などいなかった
その人物が何故立ち直ったかというと・・・文字通り告白であった
彼は補導された後、何かのきっかけで「書く」事を覚え
ペンを取って自分の心境を書き始めた
書いていく内に自分の心が整理されていったという
立ち直り数年遅れて高校へ戻り、大学へ・・・
今はイチ企業の歯車である(とは作者の弁)
書くことそのものが癒しになると言う説は私は大いに共感できる
心にあるものを吐露する事は、辛くも楽しい作業なのだ
2001・9・3
映画タイタニックをテレビで観た方も多かろう。
こんなシーンがある。沈没する前に乗る、救難ボートの数が足りない
乗れる人は?実に明解である「1等の客だけ」つまり金持ちだけで
貧乏人はボートに乗る権利は無いのである。
昨日のかんそうぶんに書いた「イエスの遺伝子」にも
奇跡の遺伝子で人類が延命できるとしたら、どうなるか?
そう、死ぬべき数が少ないと、生きている人間の「配分」が減るのである
つまり延命故に飢える事になる。ならば一体誰に延命の遺伝子を与えるのか?
神の決めたとおりに「自然に任せ」死ぬ事が種にとってはいい事なのか?
タイタニックは命の権利を「金持ち」に選定した
私がオーナーなら誰を優先するだろうか?それとも一切介入せず
人々がボートを奪い合い、殺戮になって、助かるはずの人数まで
同族で殺し合ってしまったとしても、静観した方がいいのだろうか?
それにしても生への執着、モノへの執着などがこれほど強いのは
人間だけだろう。それ故に人であるし、それ故に人でなくなるのだ
ところで。社会を第一とする時、個人の人権は消失するのだろうか?
侵された肉体の一部は切り取らないと全体が死んでしまう
という法律で言う腐った果実の理論は、種の発展の為に仕方ないのか?
2001・9・2
お世辞とか、愛想笑いとか、自分の若い頃忌み嫌った事を
常にやっている自分に気がつく。若さの代わりに身についた
それは自分の核を何重もの扉の奥に隠すものだ
何やってんだろう?と苦笑いする
私が今ここ(ネット)でやっている本音を語る事、という行為が
現実世界では一番出来ていない事だ。
自分の意見と相手の意見が違っても、私は笑顔で頷くばかり・・・
多分私はこれからも相手を論破しようなどと思わないだろうし
人との精神的接触自体あきらめて、生きていくだろう
生身の対人関係に何も求めない・・・それは私の大きなジレンマだ
私は「トモダチ」が欲しいと願ってこうしている
だが手を伸ばせば触れられて、スープの冷めない距離に
「トモダチ」を求める事をあきらめている
何故?そう私は傷つきたくないし、人を傷つけたくも無いからだ
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小さな傷でも恐れ、閉じこもる小さな子どものように
私は自分の心の「部屋」から決して出はしない
そんな私の部屋の小さな窓・・・それはネットである
ネットで意見が激しくぶつかり合う。それは珍しくは無い
むしろ凄惨なくらいで、ネットの揉め事で負けたりへこんだりすると
精神的に現実世界よりも、辛く立ち直りに時間がかかると言う
それでも、人は素直になるとこういうモノなのかもしれないと
妙に納得してしまう。現実社会では自分もほとんど見せていないが
きっと多くの人もまた、核をベールに覆って見えないに違いない
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ところで何でネットでは人は素直なんだろう?良くも悪くも。
それはきっと、広く自分の意見を発信できる事と、自分の素性を
出さなくて良いからだ・・・もしもネットで自分がどこの誰か
公開して発言しなければならないとしたら、皆言いたい事の半分も
言えはしないだろう。結果情報は大いに減ってしまう・・・
人は現実に背負うものが、多くて重い。ヤドカリは時として
自分の体力以上のカラを背負ってしまうが、人は自分以上の
カラを持つ人ばかりのような気がする。重くて辛い・・・
だからタマシイだけ抜け出して精神世界に遊びたい、科学の力で
タマシイを自由に飛ばす、それがネットだと思う。私には。
2001・8・31
ある女性の話。彼女は夫と子どもを捨てて
若い男性と逃げていった。その後また別の男性と・・・という
行為を繰り返している。わからないのは彼女がどうして
男性遍歴が多いのか?という事である
彼女は外見はかなりヒサンだ。関取のような体格、お世辞にも
可愛いといえない顔、しかも笑顔をめったに見せない
性格も感情の起伏が激しく、人付き合いも悪い
あの醜悪な彼女に何故多くの男性が惹かれるのか?
男と言うのは性欲が満たされれば、誰でもいいのか?
(ブスが好き、という人もあろうが)いつもその女性を
見かけると疑問が沸く私である。と同時にその醜悪さに
腹が立つ。そんな彼女に惹かれる男たちにも。
人を最悪とかブスとか言っていいのかと私への非難もあろう
私は人の外見を非難する気は無いが、夫と子を捨てた彼女を
醜悪と、私は思う。それ(不倫)が美化され賛美されるのは
芸術(文学など)の中だけでいい
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2001・9・30
テレビで(日テレのフードファイト?)崎陽軒のシュウマイを
食っていて「このシュウマイは冷めても美味いんだ」とか言っていた
同感である。私は崎陽軒は冷たいまんま食べる事にしている
ほらみろ!やっぱ崎陽軒は冷たいと美味いでしょう!?
シュウマイでは崎陽軒が一番好きである。中華街でどんな美味いのを
食べても、崎陽軒アズbPである
2001・9・28
夫婦ゲンカスペシャル(笑)
ダンナとケンカした。些細な事である。しかもケンカと言っても
いつもダンナが怒って私がオロオロすると言う(ホントだってば)
私はあんまり怒らない(ムスコのベンキョ以外はね 笑)
無理しているのではなく、あまり気にしないか、気にしても
流したい(さすがひとりっこ 戦いたくない)
だから人の攻撃にへこむ。あまり人からいじめられた事は無いから
ダンナの口撃には、もうトホホ・・・
ダンナは私の最初で最後の異性と決めている。つまり異性で一番好きと
言う事だ、が、コイツがまた「合わない」のである
(以前どこかの奥様BBSで不倫中の文らしきものがあって
ダンナしかいない人って人生つまらないよね、とあった
バッカヤロー!ひとりだって百倍面白い奴もいるわい
ひとりがつまらないなら、百人愛人いてもつまらないんだよ!
とむかついた私であった。ふーでもケンカすると、百倍合わない気が 笑)
好きで付き合ったのにどうも上手く行かず別れると言うカップルは
星の数ほどいるだろう。逆にそうでもないがリラックスできる
「合う」という人たちも。難しいのである・・・
一番好きなヤツと「合わない」のはやはり淋しい事である
友達なら合う人も合わない人も、付き合う価値はある
無駄な人間関係は無い(あのホテルのオニのようなオバちゃんさえも)
恋人も同じで破れても、必ず「必要な時間」「必要な人」だったのだ
だが結婚はちょっと違う。契約だとか生活だとか余分なものも付いて来る
結果・・・相手に求めすぎる事になる
上手く言えないが例えば離婚したら「余分な」ものが消えて純粋にダンナに
恋し続けるかもしれないなあと思う。そう、片思いでもいいのである
それに私は私の人生があって、彼には彼の人生がある。本当はね・・・
ふたりの人生が生活(結婚)と言う部分で共有する時間ができて
楽しい部分とツライ部分が出来る。光と影。恋人は光だけ。結婚後は両方を
見ていくことになる。
ヘンな言い方だけど「カッコ良く」生きていきたい
それは自分のへこんだり、コンプレックスの事だったり、それら重い物を
全て軽いような涼しい顔をして歩いて行きたいという事だ
結婚て、カッコ悪い事の連続だ。だからこそ・・・笑いたい
ぬかミソ臭い手で「ホラ私カッコイイだろう?」と
注:本当にぬかミソつけております(笑)
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昔愛読したマンガ「エロイカより愛を込めて」と言うのがある
(秋田書店だったかな)冷戦時代のソ連(KGB)とNATOの
ドイツ将校のずっこけた、でもスリリングな物語である
その中に、情報を得る為に大泥棒(これがエロイカ伯爵)に
NATO将校が、潜入を頼むのだが彼は幽霊騒動で、暗闇恐怖症
になっていて、背後が怖くてできないというのである(笑)
泥棒が暗闇が怖いと致命傷(あっはっは)
そんな泥棒に将校は言う「気持ちはわかるが、人類最大の恐怖は
その頭上に核が落下する事だと思うが」これには泥棒も折れた
確かにそうだ。人類最大の恐怖とは人の作った悪魔の武器が同胞の
人を襲う時。幽霊でも宇宙人でもない。恐怖を「作る」のはいつも
人である。神もまた「怖い」それは神の名で人が行なう蛮行が
怖いのである。有史以来最大、最悪、最強の敵は「人」である
負の芸術
ベトナム戦争の手記を買った
著者は裕福な家庭に生まれベトナム戦争で不幸な体験をしたようだ
ふと思うのは歴史の紛争や戦争での悲惨さを文字にして
人々に読ませるのは裕福な階級が多いと言う事だ
それは体験は悲惨であったが裕福に生まれると、高い教育を
受けている場合が多い。だから悲惨な国の状況を文字にして表現できる
しかしただ貧しいだけしか知らない、教育もない多くの人は
語る言葉は本当に乏しいのである
どんなに悲しいものか、苦しかったか、残酷な場面、憎悪、勇気
それらは全て彼等の体感で終わってしまい第三者に伝わらない
今年暗殺されたインドのプーラン・デビィは、貧困層だったから
文字は読み書きは出来なかった。本は全て口述をアシスタントが
書いたと言う。それでも文字以外で記憶力や統率力など
彼女に類まれな才能があったから国会議員まで上り詰めたし
本を出版し世界中にカーストの悲惨さを訴える事が出来た
プーランはまれであり、ほとんどの貧困層は表現力に欠ける
だから裕福な層は芸術を残す社会的な義務があると私は思う
もちろん絵画や文学、音楽、など上流では盛んであろう、が
私の言いたいのはそういう光の当たる芸術ではない
「負の芸術」である。人の社会の本質
知識の無い貧困層に代わって歴史の残酷さをぜひ記して欲しいのだ
それは甘く美しく心洗われる物ではない、人の世の暗部を
嘘無く書いたものである。写真や絵でもいい、音楽でもいい
破壊や殺戮のもたらす、悲しみを多くの人に、後世に、伝える為に
・・・知識ある人の義務である・・・私はそう思う
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音楽に言葉は要らない 私の場合
洋楽を好むという事は英語はお上手なんですね、と言われた
とーんでもない。全然わからないに等しい。
私には音楽とは「音」を楽しむ事である。だからその曲が何を
言っているのかは2次的なものである。純粋に音を聞きたい。
耳は心と直結している。音に感じ、その時の心の状態で音の
記憶も変わる。記憶を取り出す時もそうで、同じ曲なのに
それを聞いて悲しい時、うれしい時、など音で心が「わかる」
外国語の曲は私には例えば潮騒の音とかそういうモノにも近い
純粋に「音」ヴォーカルは人の肉声としての「音」である
楽器のように、人の肉声を楽しめる
言葉(日本語)がわかる曲は音と共にその言葉の意味も入って
違った楽しみ方となる。ビートルズなども当時流行ったビートルズ
詩集などのせいで「言葉」を理解してしまい普通の洋楽と
違っているかもしれない。仏・独・蘭などの曲は英語よりも
さらに全然意味がわからないから、かなり「いい」笑
もちろん意味がわかる事はまた、楽しいのであるが「音」でなく
それは文字情報のような意味合いも持つのである
2001・9・24
ダンナが先日仕事中若い親子を見たら、何と母親がまだかなり小さい
(幼稚園までいかないくらい?)子どもをひっぱたいていたそうだ
ガンガン叩いていたのでよほど言ってやろうかと思ったら
人ごみに消えたと言う。ああいうのが虐待死させるんだよなあ、と
言っていた。そう言えば数日前夜の番組で何かやっていて
若い母親が出てきて体罰は当たり前と言っていた
殴らなきゃわからない、と言っていて、躾だといっていた
虐待死させて事件になった親たちも多くが「躾」だと言っていて
自身も体罰を受けて育っている(事が多い)それにしても
育児の知識はなさ過ぎる。マニュアルに頼り過ぎの人もどうかと
思うけれど「殴らなくちゃ子どもはわからないでしょ?じゃ
どうすればいいの?」という言葉には本当に躾だと思っているのが
伺える。性に対する知識も低く、そのあと(産んだあと)も、また。
「性の知識い?もうベテランだよっ」と以前インタビューで
若い子が言っていた。どの知識だよ(笑)私が思う知識とは
保身(性病にかからない知恵、望まないなら妊娠をしない知恵)
の事であるが、それらにはまるっきり零点である
男の子もそうである。ヤリタイのはわかるが病気の事などは
女でなくても重大である。自分が可愛ければガードしてください
(相手の体を思って・・・っていうのはきっとわからないと思う)
うるさいオバさんから一言。
セックスは保身を考えよ、殴るのが当然と思うなら子どもは産むな
・・・堕胎と虐待死、どちらが罪だろうか・・・
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ダンナの話パート2
ダンナと車に乗っていたら高校生がミニスカで通った
私が「ほれほれ、ミニスカじゃん」と言ったら
「騙されないぞ。だって数年前は確かにミニスカで下はパンツが
見えて嬉しかったのに、最近は何と黒い何かをはいてるんだぞ
詐欺だ。それなら短いスカートで期待させるなっていうの!」と
怒っていた(あはは 助平親父。←漢字だと風流 ?)
私たちの時代は長いスカートが流行だったが下には万一見えてもいいように
ブルマーをはいていた。まあ乙女心は同じで人に見られたくないという(笑)