2001年のこらむ 7
2001・11・7
痴呆・・・神の慈悲?
店でレジに入っていたら、おばあさんが来た
よく来てくれるおなじみさんである、が、そうとうの高齢で
多分老人性痴呆称だと思う
今日も昨日自分で買っていった服を持ってきて
「誰かが私のかばんに入れた」と返しに来た
先日は買ったものを置いて帰って、取りに来た時
「盗まれた」
さらに、買ったものが無くなるのは
「嫁に盗まれている」
お金を払う時3千円ちょっとだったが500円玉を二つ出して
「これでおつりね」
足りないと言うとお財布を開けたまま、じっと見つめて動かない
で、このやりとりが何回も続く・・・・・・
いつもまっすぐ帰っているのか心配になる
私の子どもの頃よりもお年よりが多くなった
高齢化社会というけれど、それだけでなく
お年寄りが積極的に、外出したり、若々しくしていたり
元気なライフスタイルになったせいだろう
しかし、足腰は元気でも、かなり痴呆が進んでいる人は
一人きりの外出は大丈夫だろうか?
人は色々な事で不本意に自分を失う
死、病、トラウマ、社会的に否定される事、親など肉親からの拒絶
・・・そして・・・老い
あのおばあさんも、若い日には、恋をして、友達と語り合い
そんな日々があったはずなのに、今は自分さえ幻のように
ゆらめいて、わかっていない
一番失いたくないもの、自分、それが、失われてゆく事が悲しい
慰めは、それが本人にはもう、わからない、と言う事だ
老いと言うのはよくできたメカニズムだ
神の与えし慈悲だ
他人から見てどんなに残酷なシーンであっても、である
(痴呆などの症状は、ハタから見ると本当に悲惨だ
友人はお祖母さんの介護をした折、オムツを自分で外し
自分の便を口に入れたり、かなり苦労したようである)
もしも今のまま、鋭敏な感覚のまま肉体は朽ちでいき
精神も共にゆくのなら、自分の崩壊するさまを
感じつつ、苦しみ、悲しんむ事だろう
病などは、その苦しみの典型だ
若い人が病に侵される・・・若い肉体なのにもう未来が無いのかと
まだやるべきこと、やりたいことはたくさんあるのに・・・と
嘆き悲しむ・・・
人が肉体の寿命を迎える年になって、共に精神も老いることは
必要な事だったのだ・・・
年はとりたくないねえ、というけれど
本当は「しあわせに」年をとりたい・・・というべきかも
2001・11・6
対人関係において、私は今まで自信を持ってきた
あのホテル時代の妖怪(笑)のオバちゃんたちでさえ
うまくやってきたという自信があった.
私はうまくやれる、人に合わせられる、嫌われない
などという傲慢さが、あったのだ
それが、つかみ所の無い「雰囲気」というものに
うまく乗っていないような、今の自分に自信喪失している
もっと謙虚な気持ちならば、ちっとも落ち込む事ではないのに
それにしても、仕事ってお金だけど、お金じゃないんだな
2001・11・4
公開授業参観というのがある、ムスコが「こうかい?」
「見ると後悔するから?」と言った
あっはっは・・・って笑い事じゃないぞ
真顔で言っていたので、さすがに最近勉強していなくて
見られると困るのかも・・・ああ・・・後悔授業参観?
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抽象的な言い方は混乱の元
ある母親が母親セミナーに参加したら育児の心得として
愛情を注ぎましょう、おおらかに育てましょう、などなど
連発だったと言っていた
そう言えば数年前企業セミナーに出席した人から
営業は突き詰めると対人テクニックです、熱意を伝えましょう
など抽象的な言い方が多かったそうだが
人は具体的にどうしたら良いかを。教えて欲しいものだ
これを買ってもらうには?もうちょっと値段が下がらないか?とか
好きな人ができた、どうプッシュしようか?
そんな時「その人はキンキラ好きだから、エルメスでも
買ってやったら?」という下品なアドバイスのほうが
わかりやすいのだ。子どもが言う事を聞かない
愛情をあげましょう・・・って?愛してないわけじゃなかろう
自分のどこがいけないのか、愛情が無いのか、と
言われた親は悩んでしまう
誉めてあげなさい、とか、そういう具体策がいい
抽象が許されるのは、表現の世界であって、現実世界の悩みには
具体案で答えて欲しいものである
これってマニュアルと言う事にもなるし
ある所のマインドコントロールにも通づるから、これでいいのか?と
たまには自問しつつ・・・がイイと思うけど。
まず行動や言葉の制限から、洗脳は始まるのだから・・・
(宗教の戒律の厳しいものほど、洗脳の度合いは高くなる
私が思うにイスラム教やユダヤ教は熱心だというのは
生活に密着した戒律にあると思うのだ。どこにいても決まった時に
祈りを捧げる、食の戒律も厳しい、服装の自由度も低い
そうしたさりげない不自由さが信仰を深くしてゆく
宗教団体で共同生活して行くと、外部から隔離されるし
よけいに洗脳が深まる・・・と私の意見)
と言う事は、抽象論は広く色々な考えにできる
具体論はすぐ有効に実行できる
どちらもいい所はあるから、ケース・バイ・ケースだけど・・・
他人が困っていたら具体策をいくつか考えてあげるほうが
親切かもしれない・・・
2001・11・2
人間関係・・・そして亡き友へ・・・
今日はお客に怒られた
延々と文句は続いた。書類を引ったくって帰っていった
ド迫力の女性であったので、インパクトが強い
会社の人たちは同情してくれた
お客に怒られることは、実はそれほど気にしない私である
お客と人間関係を望んでいない。怒られてナンボというもんである
しかし私を慰めてくれたある人は、実はお父さんが実に短気な人で
よく怒り(手も上げた)そのせいか他人の怒りを見ると
逆ギレしてしまうそうだ。それは彼女のトラウマなのだと言っていた
子どもを怒る時、キツク言ってしまうとはっとして、父親と同じ
怒り方ではないかと心配すると言う
親の言葉が子どもに後まで影響する、肝に銘じなければ・・・
ところで、短気な人、気分屋の人というのは、長時間いると
疲れる。まわりの気分まで安定しなくなる
本人が自覚している場合とそうでない場合があるが
昔仕事でペアを組んだ人は、自覚ある短気であった
何度か衝突もした。だが・・・その後彼女はメモを回してくるのだ
「さっきはごめん」と・・・
ああして人に当たると自己嫌悪なんだよね、自分が嫌になる
彼女はいつもそう言った。でも私たちはいつも本気で怒って
本気でけんかした。本気・・・そう、それは若い日の宝だ
ありがとう・・・空に向かって言う・・・
どうしているかと年賀状を出したい彼女は、もうこの世にいない
彼女が逝って11年。わたしは変わっていない
あなたも?きっと、そう・・・
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彼女は29歳でこの世を去った。まだ三歳の息子と夫を残して。
突然の病、彼女は自らの死の告知は受けなかったが
知っていただろうか・・・
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今までに肉親や友人、いくつかの死にあってしまったけど
喪失感は本当につらい。誰も死なないでほしい
それはネットの向こうのあなたにも言える
「死なないでください」私に言えるのはただそれだけ
だけど・・・あなたの幸運を祈っています
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秋風が吹いて 冷たく感じるこの季節になると
思い出すのは かの日の友
衣替えでいつも出てくる 鮮やかな青の服
それは 友にもらった思い出の服だ
彼女が結婚して「もうミニは着られない」と
大事にしていたそれをくれた
「私も同じ年じゃん」そういうと笑って彼女は言った
「独身はいいんだよ、これでナンパしてって」
思い出す・・・長身の彼女がその服を着た時
短すぎないかとすそを気にしていた事
どこへいったの?どこへ?
笑顔のまま どこかへ・・・
人の命は風のように どこからかこの世に吹いてきて
いつのまにか流れ去る
さよならも言うことなく
さよならを許さずに
山は少しづつ色づいてきて 鮮やかに萌えさかる
けれど、それは葉の命の消える色だと
あなたのいない季節に 思う
乳児院のレポートを以前スクラップして
すごく考えさせられた内容なのでアップ
著作権上短く(したつもり)・・・以下記事
各ホームに台所を作ったのは母親が家事をする姿を
子どもたちに見せるためでした。小学校で必ず赤ちゃんの時の
写真を持ってきなさいという宿題が出るので愛されて育ったとわかるような
アルバムを作ってあげて、エピソードも添えておくようにしています
私たち(注:保母さんなどスタッフ)を呼ぶ時は「ママ」と呼ばせています
「お母さん」は本当のお母さんに対する言葉としてはっきり分けています
辛い想い出は1歳4ヶ月で死んだ子供です
そのこは「てんてー」という言葉しか知らないまま死んでしまいました
「ママ」という言葉も言わないで幸せだっただろかと・・・
その時から「ママ」と呼ばせるようになりました
親がいても不幸なケースはあります
歩けないし痛がるので見てみると右手以外全部骨が折れていました
言葉では説明できないほど入所理由は様々です
日本人は子供を育てるのに生きがいを感じて里親を希望することは
めったにありません。家を継がせるのが目的です
こどもに障害があったり遺伝病があったりすると、その子に
新しい幸せは訪れません。育てやすい女の子に希望が多いのも
特徴です
(以上 主婦の友記事 何年度の記事かわからない
93年か、それ以前)
日本人の「家」意識は今も尚健在ですね
こどもが産まれると「後継ぎができた」といいます
日本では個人と言うものの陰は薄いです
家社会、ムラ社会・・・ひいてはつい最近までの企業も
そういったタテ社会でしたよね(最近崩れていますが)
家(血)ゆえに愛されるんでしょうか?
だとすると、親子って何でしょうか?
欧米では里親と言うのは人種や障害を気にせずにあくまでも
親の無い子をめんどうみる、という事に徹します
ただし、以前書いたけれど里親になると受けられる補助金など
目当てのいいかげんな親もいるそうです。多くは信仰を持って
(キリスト教系など)善行としてやっているんでしょうが
2001・10・31
隣人とのトラブルから裁判へ、という欧米式の考え方が
日本でも増えてきた。それで気が済めば良いという問題だろうか?
お互いにぶつかったり回避したり、という対人関係のテクニックが
消えてゆく気がする。もめた、嫌いだ、ではプロ(司法)に頼もう??
それが良い事だとは思えない。日本的な古い考えだけれど
法が介入するほどに、人との距離が遠ざかる・・・
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ビデオを借りた「絶対見てよ」というオススメだった
何かと思ったら連続ドラマの再放送(彼女たちの時代、という)
実はドラマは苦手なのだが、見てみると印象的なシーンがあった
会社がリストラしようとする相手に、個室での勤務を命じるのだが
そこでは一切何も無い壁に囲まれた机で、一日座ってすごすのだ
何もしないで勤務終了までい続けることなど、何人が耐えられるだろう?
実際にはこれに近い事もやっているかもしれない?
でもこれは精神的虐待と言う事になるだろう
森田童子というアーティストのアルバム(LPレコード)が出てきた
1977年の作品である。数年前にテレビの挿入歌か?何かで
彼女の曲が再び流れた。私は当時曲でなく歌詞でこのアルバムを選んだ
曲は音で選択する私は、邦楽のいくらかは歌詞で選ぶ
1977年「A BOY」
あとがき より
なんの行為も
なんの理由も、もてない
ぼくたちの時代に
ぼくたちの
ただ うちなるやさしさを
いま ぼくたちは
抒情でしか語る事ができない
同アルバム 組曲の為に第3番「友への手紙」
ぼくが愛したともだちの
そして模型飛行機の
工作用ナイフで切った
指先の小さな傷あとを
ぼくはいつまでも 愛した
ぼくたちの うちなるやさしさの
朝明けの アスファルトの上に
死んだ鳩のくびすじの
やわらかな あたたかさよ
今ぼくは はるか
死の意味を飛ぶ
さよなら
ぼくを愛さなかった ともだちへ
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昔のスクラップやノートはみんなに知って欲しいすばらしい作品や記事が
たくさんあるが、どこまでHPに載せて良いのか著作権の壁で、わからない
そんな事を気にせず内輪の友人にせっせとコピーを送っていた頃が
懐かしい。ネットが便利なのか不便なのか、とそう思う
著作権がいまいましい。誰の作か明記してすばらしいと誉めているならば
掲載しても良いと言う事に、してほしいなあ・・・商用じゃないなら・・・
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一昨年かな・・・北海道のキャッチフレーズ「試される大地」というのが
私は好きだった。日本のような島国で「大地」と呼べる場所は
北海道しかないような、イメージがある。すばらしい!センスを誉めたい
今もそれだろうか?
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長い間する事を忘れていた 心の吐露と言う作業を
思い出させて、背中を押したのは 冷たい無機質の機械だった
自分を表現する事の難しさ つたない文章の恥ずかしさを
すべてこの機械の中に封じ込めたかのように
少しづつ 私の思いは自由になる
飛べたか?失敗して墜ちたか?強風に飛ばされて彼方に消えたか?
そんなことは、どうでもいい
私の思いが 手を離れる
それこそが 自由
2001・10・28
電脳家族
これは家族が離れていてネットで連絡をとる、と言う意味ではない
生活や血筋など現実の団体にまったく関係無いが
ただひとつネット上で擬似家族を「やっている」と言う事である
そんなものあるのか?と言われるとわからないが
すでにネット友達やネット恋人など、あるのだから
ネット家族なるものが形成されていったとしても不思議ではなかろう?
以前レンタル家族と言うビジネスが出現した(今もあるのか?)
家族ごっこを金で買う、言葉は悪いが孤独な人や家族にトラブルのある
そんな人にとって癒しになればそれでいい。ネット家族はそう言うものと
同じと言っていいし、違うとも言える
何故ならネットで擬似家族となったもの同士は、少なくてもお互いを
必要としているだろうから、である
人は誰かを必要とした場合はもちろん、誰かを求めているのであるが
逆にいうと誰かに必要としてもらいたいものである
たとえば私がネット母になるとする
あなたがネット子ども。文字だけの親子関係がここに成立する
それは現実のどろどろした親子と違う洗練されたものであり
(これは友達にも言えるが)顔を見ていえないのに文字では言える
というような遠いのに「濃厚」な関係になる
本当のエピソードがある
あるお父さんは高校生の娘さんに口を利いてもらえなかった
中学二年くらいからずっと・・・である
必要事項はすべてお母さんが伝言していた
仲が悪いと言うのでもないが「話せなくなっていた」
高三になりたての4月、お父さんは単身赴任となった
娘さんは淋しいとも言わなかった。お父さんもあきらめていた
単身赴任直後お母さんが交通事故で1ヶ月入院する事となった
もう高校生だし炊事くらいはできるので(といってもコンビニの弁当もあるし)
生活にすごい支障は無かったのだが・・・
そんな時お父さんは娘にメールを打った「お母さんは?お前ちゃんと食べてるか?」
それは本当に一言だったけれど父子の糸口となった
慣れないケータイで父はセッセと娘にメールを打つ。娘もメールなら必ず
返事を返す。そしてある日、長いメールを父はパソコンで打った
翌日娘からも長いメッセージが・・・その冒頭には「お父さんさびしがらせてごめん」
父はそれを見てずっと泣いていた・・・という。
それから父子のメールは今も続いている。娘は今年大学へ入っている・・・
生身の相手を前にするとぎこちなくなるが、文字というファクターを通す事で
言いたい事だけがうまく伝わるのかもしれない
こうして生身の家族の橋渡しは理想的だけど、一方で全く関係の無いもの同士を
電脳家族として、持つとしたらそれは、いけないのだろうか?
現実の家族が幸せな人ばかりではない。どこに救いを求めるか、現実か仮想か・・・
明日の事? 今日が楽しければ それでいい
自分の事? 自分の事なんて 考えた事も無い
みんなの事? 他人の事なんて 関係無い
世界の事? 海の向こうのことなんて ただのおとぎばなし
わたしのことを 軽いという
私たちを バカだと言う
でも「重い」ものを背負って やがて大人は走り出す
荷物を捨て 人の血を求めて みんな同じ場所に向かう
バカでいい
だらしなくていい
そう呼びたければ呼んでいい
大人の手は血に染まっているのだから・・・
誰も傷つけない それを選んで
今日も私は笑う
利口になる必要はどこにも無い
2001・10・25
同年代の人の「あきらめた」ような言葉が、なんとなく
私をがっかりさせる。もう年だから、とか
夢なんてもう無いよ、とか、力無い笑い・・・
歩く姿も、肩を落とし、足どりは重い
若くなければ夢を持ってはいけないか?
大人は夢を捨てなさいと、誰が決めたのか
それならば、私はもう大人はやめた
死ぬまで、肉体は老いても、心はずっと子どもでいよう
ネットにいる多くの同年代やそれ以上の人たち
それはいつまでも「子ども」の気持ちで
夢や、人とのふれあいが欲しいと、ネットをしているのでしょう?
わかってくれますか?脱大人宣言を・・・
ちなみに若い頃の日記の中に「大人になりたい」と
ある・・・矛盾?いえ求めているのは同じ物かもしれない
怒り・・・その重要性
昨日書いた「魔法の娘」の中にセラピストとのやり取りがあり
こんなことが書いてある
*********
セラピストは一度ならず言った
「よくなる」ためには、いずれ怒ることを学ばなければならない、と。
わたしたちは、恐怖が引き起こす激怒について語った
(中略)
わたしが「怒り」と呼ぶようになったものは、ふつうの怒りではなく
妄想症的な、誰かを殺しかねない憤怒に近いものであることがわかった
わたしはそれとともに成長したのだ。ごくふつうの怒りは、
知らない技術を学ぶように、学ばなければならないものなのだ
********
キュブラー・ロス氏(女史とは書かない。業績や文章に何の性差があろう?)
の死ぬ瞬間、など死の宣告を受けた患者などの、心の動きを綴ったものを
読むと・・・あなたの余命は後少し、といわれた後
多くの患者が持つ最初の感情が「怒り」だという
もちろん大小はあるだろう。どうして自分だけが?という運命に対する怒り
周りの人間(家族など)への八つ当たり的な怒り
どうせ死ぬのだという思いで自暴自棄になる怒り、など
怒りがまず湧き上がるようだ。しかしその後怒りは沈静化して
悲しみや、感謝や、残される人々の心配など、ゆとりも出てくる
もちろんその後は病状は悪化するであろうから肉体とともに
また気力も衰えるんだろう・・・
人の精神を壊さないために、自分の中のうっ積した思いを吐き出す
重要な作業「怒り」この本を読みながらなるほどと、その「怒り」の
システムに感嘆せずにはいられない。人を傷つけず、うまく
「怒り」を出す・・・案外むずかしいと思う
アメリカのテロ事件もあの悲劇の映像を観た時にはほとんどの人が
嘆き、同情し、怒ったはずである。ましてやアメリカ人は
自国民が、自国が、あんな目にあって。
しかし少し時は過ぎた。わずかづつであっても、報復は本当に
良い事かどうか、など怒り以外の考えも出てきた
怒りの次の精神段階なのか(社会をひとつの個人の心とみなした場合)
だとするといつかは世界中の「憤怒」が大人の「怒り」へ
移行する日もくるのだろうか?
復讐など激しい感情はもはや「怒り」とは呼べないのかもしれない
つまり自分の言いたいことを我慢せずある程度強く発言できること
というのは「怒りのコントロール」につながるかもしれない
でも、その過程は逆にストレスだったりして(いや、ほんとに)
2001・10・22
ノーベル賞受賞の野依教授が子どもの頃ガキ大将だった
勉強せず遊んでいた、という。最近何かとガキ大将が
大物の条件になっているが、おとなしい子の肩身が狭い(笑)
体育界系が偉い、という何故かこの風潮。いいんだけど・・・
私は「おとなしい子、がり勉も、いい子だゾー」といおう
ともあれ、おめでとうございます・・・
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ムスコは祭りの獅子舞でお菓子を店屋で「お菓子よこせー」と
もらい歩くのだが、張り切って脅かし歩いたが
(ハロウィーンのようである。世界どこでも子どもとお菓子は共通)
肝心のお菓子はゼロ。他の子は幾つかもらっていたが・・・
我が息子ながら抜けてるヤツである
母親と息子 親は捨てていって欲しい
ある親子の話をする・・・
母子家庭で母親思いの息子は適齢を迎えても恋愛や結婚という
異性との接点を持たなかった。彼は母親の自慢の息子で
父親を無くしてからも有名大学、ちょっと有名企業に就職
今彼はもうすぐ50歳を迎えようとしている
母親は老いて、アフター5の夜遊びも無く息子は家路につく
ビートたけしのような成功したマザコンもいるし
(彼はマザコンだと私は思うがどうでしょう?)
男は基本的にみんなマザコンだと思っているから
いいんだけれど、そこにはルールが存在する
母親の息子に対する強い愛、それはとても良くわかる、が
息子が母親に答えて、母親の人生に取りこまれてはいけない
息子の人生は息子のものだ
親は子どもにとって踏み台である。親の養分を吸いとって
親の亡骸を踏み越えて、親を忘れて、遠くへ、高みへ
飛び立って欲しい。その時どんなに辛くても淋しくても
それは親の胸だけに留めて笑って、そしてクールに
息子にこう言うのだ「行きなさい」最後の命令文で・・・
やがて息子が「大人」になって良き友人やよき恋人に恵まれれば
もはや私は(親は)要らない。それでいい
息子よ、私たちを捨ててゆけ
私たちはお前の、時折やってくる寂ばく感の
なぐさめの為の幻でいい
ネット上のたくさんの息子、娘達へ
愛されて育った人、愛に不運だった人、親に傷ついた人・・・
親を愛する人、親を憎む人、親を知らぬ人・・・
色々なしがらみを越えて今、あなたたちはそこに、生きている
2001・10・21
stephanie-yさんのHPで感想文がアップされた
トップが神田理沙の「17歳の遺書」である
17歳・・・その年齢私はヤンキーな学校で、毛色の変わった
生徒として過ごした。モラトリアムに飲みこまれるクラスメイト
非行と怠惰とセックスの波に身を任せる者
ひたすら勉学に励む者
友愛一途に、善であり生徒会活動に熱中する者
自己の世界しか目に入らぬ者(要するにオタク)
他校へ行った友人は受験体制に入っていた
どこのカテゴリにも属せない私であった
私は「平凡」というカテゴリに身は置いていたけれど
やさしい友達がいたけれど・・・
いつも心は所在がないのだった
人は所詮はひとりである
人がまわりにいいるという状況は物理的な話で
心は、ひとり・・・そんな思いは私をモラトリアムに追い立てた
17歳 奇しくもその年(1978年)理沙の本を手にした
理沙の叫び「お母さん、お母さん」は人の親となった私の心を
当時と違う意味で打つ
理沙・・・友達から娘となったあなたを
私は今助けられるんだろうか?
いいえ、きっと暗闇の中ふたりで迷うばかり・・・・・・
***************************************
神社の祭り 和太鼓のリズムに思う事
祭りがあった。ムスコが小太鼓担当なのでフィナーレを
見に行ったが、何とも不思議な感覚になった
始めはムスコを写真に収めようと必死の親ばかだったが
数枚とって、後はじっくり演奏を聴こうと思った
が・・・太鼓のリズムを聴いていると、何となく血が騒いだ
何の?そう、日本人の、と言おうか。
ある時アフリカの音楽の番組を見た。アフリカと言っても
幾多の国、さらに、幾多の部族。語り継がれる文化は全く違って
打楽器の音色ももちろん違っていた。その時打楽器以外の楽器は無く
幾つかの部族の叩き方で演奏した音は、全て違って聞こえた
アフリカの打楽器は異文化を語っていた。
だが、日本の太鼓は違った。この音は「私の」音だ、そう思った
完璧に演奏している訳ではない。間違う者、遅れる者、忘れる者
でもそこに日本の音があった
強く、弱く、押して引く音の波。CDで耳慣れた電子音とはまた
違った異世界(それでいて懐かしい世界)がそこにあった
もう、返れない世界の音に、泣けてしまいそうだった
隣町では祭りの時にみこ(神子)を選ぶと言う。祭りの何日も
前から神社での歩き方などを特訓し当日は清めた後は
祭りが終わるまで家族さえも手を触れられない。神の子だから。
知人の親戚の子が神子のひとりに選ばれた。神子の条件は
色々あるだろうがまず処女である事(そりゃそうだ、5歳だぞ)
現実的なことではお金がかかること(記念になるが)などなど
それにしても家族さえ触れてはならない、というと小さい子だから
トイレなど困ったろう。それは、清めの後はお付の人が一切の
世話をするという。へー・・・
イマドキの日本で「触れてはならない」と言っても
信心の無い日本人が気にはしない・・・と思ったら大間違いであった
言われた通り神子となった娘に家族は触らなかったそうである
神を信じているわけでなくても伝統とか文化とか伝えられている
古人のしきたりを守っているのだ
また脱線して申しわけ無いが、こんな時思う
日本人は欧米の文化よりも、イスラムなどのそれに近いのでは?
(気持ち、感覚、の事だ)
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人に尽くし 天に尽くし 神に尽くす
そうして人は神に近づく
それが人の生活というもの
神は怒り 泣き 失望し 笑う
神は雨を降らせ 風を呼び 大地を揺るがせ 実りを与える
神は人と共にある
人は神と共にある
人々の喜怒哀楽の中に 神がいる
今 神を忘れようとしている倭の民
神がいなくても生きられる
そして人だけで生きていく
それは・・・大事な人の半身を無くしたのだと
気付かないまま
時は過ぎた
神は怒っているか
神は泣いているか
それとも 神は笑っているのだろうか・・・
八百万の神々へ・・・
秋の実りに感謝を・・・・・・・・
***********************
ところで、祭りは年々参加者など減っていて淋しくなっている
らしい。残念であるがサラリーマンなど、そうそう時間もないし
大変である。かといって伝統行事が無くなったら。ちょっと淋しい
大体何でクリスマスやバレンタインデーは気のせいか
規模が大きくなるのに日本の祭りが廃れるんだ!(怒)
観光祭(有名なねぶた、など)は賑わっていいけれど
祭りの本当の意味は地域の収穫を氏神に感謝するわけで
それが廃れちゃあ悲しい。でも新しい祭り(北海道のナントカ)
は、それはそれでいいと思う(行って見てみたい)
なんだかんだいって祭り好きなだけ(笑)
2001・10・19
70年代のヤンキー カムバック
3年B組金八先生・・・って今もリニューアルでやっていたんですね
何の気なしで見ていると、ひとりだけ長ーいスカートの生徒が
校長に注意されるというシーンだった
うわっなつかしや。というのもパンツの見えそうなイマドキの
スカートでなく私の時代の「不良」とはスカートが、長かった
短くても長くても流行に乗っているのは同じだ
でも太もも丸出しのミニスカよりも長い方が利点が大きい
国際化していく日本だから海外の人との交流もあろう
その時肌の露出は少ない方がいいのだ。外交で女性たちが
ミニスカなどではその国の信用が落ちる
今回の事件で中東への関心が多くなったけれど
イスラムに限らず女性への貞節を重要視する国は多いのだ
(肌を出す女性は風俗業というように見られる
はっきり言うと売春婦)
それを性差別というのはたやすいが、女性の肉体的ハンデが
ある限り(男性よりも筋力が劣る事、受胎能力故の危険がある事)
保身と言う点では案外有効だと思う
タリバンのあのズタ袋のような布を被った姿の女性を見て
なるほどアレなら美人だかブスだかわからないし
危険度はぐっと減る。
だからもしも長いスカートがまた流行ったとしたら
学校はそれを咎めないほうが良い
70年代のヤンキーバンザイ!である
と書いててヘンだが実はロングスカートは好きではない(笑)
足さばきが悪いからだ。だから履くならひざ上、でなければ
ズボン(って古いお言葉 今はパンツね)どちらかだ
まあこのトシでミニスカは世間の迷惑だからやっぱGパン
2001・10・18
昨日の小一誘拐犯だが、誘拐は重大犯罪である
何も取らずとも、生きて返しても、罪は重いと聞く
でも、子どもを無傷で返した事は私は評価してあげたい
口封じに殺してしまう場合が多いのだから
生きて傷つけずに返したら情状したらどうだろう?
(多少考慮されるのかも。司法だってわかるよね?)
2001・10・17
ふと気がついた。リンクって英語ではLINKなんですよね
なのに私のファイル名rink・・・あはは。ローマ字のまんまです
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知的快楽の大切さ 金持ちに嫉妬してはいけない
小学一年生の誘拐事件、無事に帰って良かった。何よりだ。
犯人も本当は悪い人じゃないと、何となく思った
ローン地獄、うーん悲惨である。こんな話をして人がいる
「私は被害者に同情しない。だってこんな不景気に高級車で
登下校送り迎えなんて、何となく不愉快」うーん、なんか違う
さらに突っ込んで聞いてみると苦労して育って努力で財を成した
家庭だったようだ。だから高級品に憎悪に近い感情がある
権力や金など「持てる者」に対する風当たりは実は厳しい?
私もわかる部分はある。明日の見えない暮らしをしている層がいる
一方でお城のような生活(イマドキこんな表現はしないか 笑)
を送る人がいる。そのギャップに憤りを感じたりもする、が
しかし、人の豊かさを妬むような自分にはなりたくはない
これは自分のプライドである。例え物乞いをしようとも
人を憎んだり嫉妬したり、そんな感情に負けたくはない
いつも書いてしつこいが「武士は食わねど高楊枝」なのである
羨望はゆるそう。憧れは人を高める事もあるからだ
寄り高い所へ、自分を引き上げる原動力・・・
(でなければネットなどやっていられない。何しろ皆
頭の良い人ばかりで学力コンプレックスの私にすれば知の宝庫
妬んでいたら毎日つなぐたび腹立っちゃて・・・ねえ・・・笑)
もう一つ「持てる者」を憎まない理由は、社会の奥行きや
ゆとり、などを無くしたくないからだ。知的快楽と言おうか。
人が食べる為、生活の為だけに社会があり、他はなかったら
人類の歴史は短命で終わるか、原始に逆戻りするであろう
幸か不幸か快楽というモノの甘美さを人は知っている
絵画に目を止め、人類の英知の結晶である自動車に心は躍り
無機質なはずの文字の羅列に物語を読みとる・・・
それら全てが人の快楽の追及の果て、であるならば
ゼイタクは敵、でなくゼイタクは友であるのだ
ゆとりを忘れた動物に戻りたくは無い。人に限定された快楽を
楽しむ事は文明の華を咲かせる事だと思うから・・・
ただし「持てる者」のみなさん、一方で食べる者も無く
明日のわからない人がいる事もまた現実だと、たまには
思ってみて下さい。ダイエットで残すその皿のおかずは
あなたにはただのゴミでしょうが、飢える人にはご馳走で
地球環境にはゴミは毒であるという事を・・・
注: 快楽に性行為とグルメは除く、と書こうとしたけれど
あれも立派な知的快楽ですね。性行為は生殖以外でそれを
楽しむのはきっと人類だけだろうし、グルメは食欲は
食べると言う本能的な行為でも、視覚や味覚を「楽しむ」事や
それを調理するのはまた芸術であろうから
やはりその二つの行為も知的快楽の範囲に入れておきます