しょーと☆すとーりー

世界一の泥棒

垂れ流しのテレビから何千万円もする楽器が盗まれたと言うニュースが耳に入り込んだ。ふーん、私はそんなものには興味はない。
その品物がいくらの価値があるのだとしても、そんなものは所詮カネに換算できるだけのものである。カネ、カネ、カネ・・・人の浅ましさを、強欲さを示す単位、カネ。私はそれを醜いと思う。

そんなニュースは時間の無駄だとテレビを消そうとした時だ。その楽器の持ち主がインタビューに答えていた。彼は必死だった。歴史的にももちろんだが、音楽的にも、技術的にも、そして、彼の人生をかけたパートナーであると語った。

それは私の心を動かした。その人の人生にとってかけがえの無いもの、それこそが価値の高いもの、であると私は思う。しかし、今回のターゲットはすでに誰かが盗んでしまった。残念だ・・・
しかも、金銭的価値にしか興味のない愚かな輩の手によって。

そう、私は泥棒。ただし、金銭的な価値はどうでもよく、個人の心の大事なものをいただく事をモットーにしている。

例えば、古代遺跡の発掘品などが貴重なのは高価だからではない。そこに歴史的価値があるからであり、どうしても時間を遡れない昔の時間、その中にあった人生の価値、、そういうものが高価なのだ

私の過去の戦利品をご紹介しよう。ごく普通の家庭に忍び込んだ時に、誇らしげに飾られた子どもの工作による貯金箱、家族旅行らしき写真、運動会で(たぶん上位が取れなかったから先生が代わりに作った賞)もらったがんばりました賞のリボン・・・

もちろん、それらを盗られたらガッカリするだろうし、私も善良な人々を悲しませたくはないから、せめてものメッセージを残してくる。カードに花を添えて「思い出を少しいただきました」

人は趣味、娯楽がある。映画を観たり、街へ繰り出して騒いだり、好きなものを収集したり。私の場合、人の人生を楽しみたい、そう、DVDを観るような感覚で・・・?

でも時にはその人の辛い人生、悲しい人生、を盗んでしまう事もある。それもまた、価値があるのだが・・・・・・

以前盗んだ一枚の写真。そこにはやさしく微笑む老婦人が写っていた。いつものようにそれを胸に収めた。後日そこの家人の様子を見に行くと・・・それは妻に先立たれた男が仏壇に話しかけていた。写真が消えた事を報告していた。「お前は昔からモテたからなあ、写真を欲しがる男がまだいるんだなあ」男は私が残したメッセージカードを仏壇に置いた・・・

ある日、私は思った。この世で一番高いものは一体なんだろう?
へその緒から位牌まで、人の人生で一番大事なものは何だろうと考えた末の結論は・・・!

早速実行あるのみだが、これは時間がかかった。まずは良き社会人になる事、社会的信用を得る事。私はコツコツと勉学に励みソコソコの学校を出た。そしてソコソコの会社に入り、そこで恋愛し、結婚・・・家庭を持った

そう。私の世界一の価値の高いモノとは「人」だったのだ。中でも
娘とは世の父親にとっては妻よりも、恋人よりも、親よりも、大事なまさに宝石、らしい

私はその宝石を盗むべく努力し、結果は見事にゲット。手塩にかけた娘を父親から奪った。そしてそれはさらなる付加価値をもたらす。子どもの誕生である。自分の「子」しかもそれは女の子であったから宝石は妻と娘、二倍になった。喜ばしい事だ

娘は美しく成長した。本当にまばゆいばかり。ところが、それは私に不安を呼んだ。私はいつのまにか、泥棒から「所有者」になっていたのだ。年をとっても微笑を絶やさないやさしい妻と若さと美しさの盛りの娘・・・奪われたくない!

見渡せば周りは敵、泥棒ばかりに見える。私の人生はこれから守りに徹する事となる。ディフェンスばかりの戦いは地味で辛い

今夜も飲み屋で泣いている男たちがいる。嫁がせる娘に涙は尽きないが、それは人生を盗まれた悲哀なのだと、わかっているのは世界の半分だろう。残る半分の女族はたぶん、何も気がついてはいない。自分の価値にも、自分が盗まれるという事にも・・・(終)


あとがき

何にも考えずに書いたからつまんなくてすみません。今年から息子が独立し会社の近くでアパート暮らしをしています。さらに彼女と暮らし始めたので結婚もそう遠くないと思います。私は息子だからちょっと早いなあと思うくらいですが、彼女は女の子だから親御さんからすると、ウチの息子は大事な娘を盗んだ憎い男という(笑)
親御さん公認だけれど本当にありがたい事です。息子が楽しく過ごせるのも、彼女のおかげだと思っています。ありがとー!!

全然話が違いますが、以前ニュースで野球の監督の奥様の遺骨が盗まれたというのがあった気がしますが、あれは戻ってきたのでしょうか?本当にひどいことをするものです。何のために盗んだのか、人の大事にしているものを盗んで困らせるのならば本当に許せないことです。

で、矛盾しているけれどこんなショートを書きました。自分が盗まれて辛いものはやはり思い出の品とかだし、それって金銭的価値はないですよね。お金で買えないモノってやつ。火事で持ち出したいナンバー1がアルバムって昔何かのアンケートで見ましたが(何と貯金通帳を抜かして一位)人の心も捨てたもんじゃないって事です

2010/5/10


夢見る人生

今、自発呼吸もままならないままにその命を、文字どうり機械に生かされている私の家族。生きていると言えるのかという疑問。
でも、か細くなっていてもその暖かい体に触れると涙は、私の頬を伝ってくる。この辛い時間であってもどうか、生きてと、叫ぶ自分がいる。ベッドを見下ろす自分の中に、もういいだろう、旅立たせてあげようと、つぶやく自分もいる

立ち尽くす私の肩ごしに、私を呼ぶ声が聞こえた。ぼんやりする私の頭に白衣が見え、彼が医師である事をやっと理解できた。まるで映像を見るかのようにぼうっと、彼の後に廊下を歩き、どこかの部屋に腰掛ける・・・

「・・・・・という方法があるのですが、この治療を選択されますか?治療とは言えないかもしれません。ご家族が患者さんをご覧になっても、今までと変わらない状態にしか見えないし、病状が改善するわけではない、けれど患者さんにとっては、自由を手に入れる唯一の方法なのです」

ぼんやりと説明を聞いていた私は現実にもどってきた

医師の話から、高齢だし、病状も回復はない、けれど新しい処置を施す事により、脳の一部が活性化し、ある部分は不活性化し、それによって昏睡ではなく睡眠状態となり=夢を見る、という
しかも外部刺激によって、悪夢は減らせ、記憶の中から快感を感じる記憶のみを再生できるという。

例えば、若い頃の自分が恋愛をしたり、仕事に打ち込んだり、自由に体の動く時代にタイム・スリップできるわけだ

ただし、この治療後は睡眠から目覚める事はできない。死ぬまで。

若い人ならば迷うだろう。万が一の回復を信じたい
けれど・・・老いと病に倒れた家族・・・働いて、働いて、楽になった時は肉体は病んでいた、不運な年代の人よ・・・
もう少しの時間を苦しませたくはない・・・

私は決心した

「よろしくお願いします」

翌日ベッドに立った私はその表情の微妙な変化に気がついた。今まで何の変化もなかったのに、その時目じりは穏やかに下がり口元がほころんでいるかのようだった。固定されているチューブが見えているのに、その変化が見て取れた・・・

驚く私に、医師は言った「夢を映像として映し出す事も可能です。ただプライバシーの問題があると思われるので、ご家族とは言えお見せしていいものかどうか、私たちも判断しかねますが、強く希望されるご家族には映像をお見せします」

見てはいけない・・・と言う気持ちもあったが、見てみたかった。
用意されたパソコンの中に映っていたのは・・・

私だった。笑う私、怒る私、後姿、横顔・・・あらゆる角度で私がいた。そして、たぶん倒れる直前ころの映私・・・口ゲンカをした時の、ブツブツ文句を言う私・・・そんな私が映し出された時でさえ、チューブをしたままの口が微笑んでいた

私は・・・私は・・・こんなにもあなたに思われていた。私はこんなにもあなたをしあわせにしていた・・・

この治療をやってもらって、良かったかどうか、正直わからない。老いていても、もしかしたら、もう一度目覚めて、私を呼んでくれるかもしれなかった。でも、もう目覚めない・・・

ごめんね、ありがとう

今の私にはそのふたつの言葉しかない

立ち尽くす私の手を小さな手が握った。私はその手を握り返す。
そう、私も愛していこう。愛すべき者たちを・・・しあわせにするために、そして、しあわせになるために (終)


あとがき

昨年私の母が入退院を繰り返し、舅が倒れたり、で病院に頻繁に行くようになりました。そこでびっくりしたのが患者さんの高齢化です。当たり前かもしれないけれど、私の若い頃は病気や怪我という患者さんが多いので年齢ももっと色々な感じだったけれど(友達の怪我や家族の病気で昔病院に顔を出していたから様子がわかる)今は圧倒的な高齢化を感じます。

そんな中高齢者の患者さんは寝たきりが多いようで、ベッドで寝て天井しか見えなくて、あのまま死ぬまで?だとしたら辛いなと。

私の母は入院中退屈で、テレビしか娯楽もないし、部屋の埃に目がいったり(細かい人ではないのに)どうでもいい事に気が行くようになってしまいました(笑) 2010/7/19


夢見る人生2

信じられない。この人がもう治らないなんて!そう告げられた日からどのくらい経っただろう。私の病院通いも日常となり、生活の一部となっていた。そんな時、高齢者の患者などに施される治療、俗に言う「夢治療」を私も考え始めた

二度と目覚めない事になるが、しあわせな夢を見ながらの睡眠状態
動けない体から意識の中で自由な体を手に入れる治療・・・

この人と一緒にいてしあわせだった。やさしくしてもらった。もう治らない、意識も戻る可能性も低いならば、彼のしあわせのためにも夢治療をしてあげたほうが、いいのかもしれない

若いから、という事に躊躇する医師を説得して夢治療を頼んだ

彼はしあわせな表情を浮かべ始めた・・・良かった
私もうれしくなった

ある日病院を訪れた時、ある病室のドアが開いていた
するとそこには画面に映し出された画像が見えた
水浴びをする孫らしき子どもたちや運動会、若い頃のお仕事だろうか?そば屋で働く人々、などなど・・・
映像を見つめる家族達は、感涙しているようだった

私も!見たい!彼の見ている夢を!

医師に頼んだのだが、なぜか許可されなかった。原則として映像公開は血縁者のみ。患者が経営などに携わっている場合や犯罪者など重大な場合でなければ他人には公開できないという

なぜ?妻なのに・・・私の怒りは医師に向ったが法律を盾にとられると引き下がるほかなかった。

私はこっそりと映像を見る方法を調べ始めた。そしてある日休日で病院が手薄になった時、パソコンを運び込んだ・・・

クリックされて出てきた映像に私は凍りついた。彼の寝顔に浮かぶ微笑は・・・私の映像ではなかった。そこには会社の後輩だった女がいた。しかもベッドで微笑んで横たわっている。場面は変わって私の顔が一瞬映った。その一瞬の間に見るケータイ、そこには「明日会えるネ 今度は泊まって!」の文字が・・・

数十分の映像は一人の男の浮気のを映し出す隠しカメラのようだった

私は彼の点滴を引き抜こうと思った・・・が、何もせず病室を出た

数日後私は彼の機械を自分の持ってきたパソコンに繋ぎ変えた
それは、夢治療のプログラムを改良したものでネット上では「悪夢治療」と呼ばれるものだった。つまりこの治療は永遠の悪夢を見続けるものになる・・・

ネットにこんな危険なプログラムがあるという事はそれだけ夢の映像を見てショックを受けた人が多いのかもしれない
だから映像は血縁者などに限定されるのか。あらためて納得した
もう、遅いのだけれど。私は見てしまったから。

彼の眉間にしわがよる。ぐぅという唸りが聞こえる

私は病室を後にした。明日もまた見舞いに来なくては。
彼が死ぬ日まで、悪夢のメンテナンスをしたいから・・・(終)


夢見る人生の話を書いたとき、ふと、人の頭を見るのだから、イイコトばかりではないよね、と思いまして、こんなコワイ話に(笑)

例えば嫁姑とかも、仲がいいと思っていた姑が嫁にわら人形の呪いをしていたり、ダンナが浮気してたり、知りたくない事も多いかも

2010/7/19



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