昔のノートから

中学時代

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中学一年

誰でも、子供の時代はあったはずなのに

大人は子供の気持ちをふみつぶす

それはなぜなのだろう

人は、大人になるとき、子供時代の記憶を失ってしまうのだろうか

それとも、子供を捨てなければ大人にはなれないからなのだろうか

「何故、大人になんかならなければいけないの?」

そう考えなくなった時、もう自分は大人になっているだろう

R子ちゃんは,クラスで男子に無視されている
ばい菌といわれて,今日は泣いていた
みんな怒っている.男子はひどいと思った.
先生が話し合いをさせた.授業はつぶれた。(うしし)
先生が途中で言った
「だがいじめられたお前も悪いぞ.
例えば肩がふけでいっぱいで,いつもそれを見ていると
こいつは汚いと思ってしまうだろう.
風呂に入っていないときはどうしてもくさい,そういう時
どうしても許せなくなるんだ.
女子はもう少し清潔を心がけた方がいい.」

確かにあの子はちょっと不潔だ.
体型もガリガリで気持ち悪い.勉強もできない。
(この間,英語の時間びっくりだった。
hanakoって名前読めなかった!
ローマ字できないの?)

だからいじめていいというのは間違っている.
男子はみんな馬鹿.もしも,あの子が頭は悪くても
可愛い子なら(Sさんのように)きっといじめないんだろう

月明かりの祭り(1974年 13歳)

その村では満月に 宴が開かれるのだ
食べ物と神酒を運ぶのは決まって十五歳以下の少女たちであった

月を愛で、隣の者と口を聞く事も無くただ酒を口に運ぶ大人たち
それを黙って見ている少女たち

しばらくすると静かに、でも確実に月は大きくなってくる
そして、今にも落下しそうに大きく見える頃、宴は終わるのだ

そしてたった一人の少女が選ばれる
彼女は死が訪れるまでの時間を「狂わないで」村を見守る事になる

ある時飢饉があった。飢えて死にゆく者、隣村へ出てゆく者
そして近隣からの暴漢・・・この世の無情の様をただ黙って
彼女は見つめている。ある時暴漢が彼女の胸に刀を付きつけた
それでも・・・自身の死をも黙って見続ける事が仕事であった
刀を持った男の脳裏に何かがよぎる
良い人生じゃなかった、親の顔も知らないし、村人は冷たかった
ここで人を殺して食べ物を奪っても、今更何の咎めだ?
自分はもう何人も殺してきた、何故・・・今この刃を下ろせない?

男の中で声がする「お前が本当に、今までひとりの人間からも
良い思い出をもらっていないのなら、彼女を殺してもいい
だが一度でも、人からあたたかな声をかけられた事があるのなら
刃をしまうが良い」
男は思った「一度も良い思いなどしたことはない!」
男は思いっきり刀をおろした

その一瞬少女は微笑んでいた。人生最期の一瞬を男の為に
微笑んだのだ。そして・・・息絶えた

男は悟った。良い思い出・・・今自分に向けられた笑顔こそ
それであったのだ。男は刃を自分に向けた・・・
その時暗闇を割って光が刺しこんできた・・・月光

わずかに残った村人が誰もいない巫女の席を取り囲んで
祈り始めた。ただ一度村を救う為に巫女は生まれる
この飢饉がその時だったのかどうかはわからない
だが、と村人は言った「お前の魂を救ったのだ」
村人は月に深いお辞儀をして、ひとりふたりと去っていった

飢えた村を行脚して、荒れた田畑を耕し、またどこかへ行って
しまうと言う男の噂はそれから数十年流れていた

その男は寿命が尽きる一瞬、荒れた村の人々の手厚い看護を
受け涙ながらにこう言ったという
「私の罪は消えない。全国を旅しても結局人の恩をもらうばかりの
人生であった。ありがたい人生であった。私が死んだら
田畑のコヤシにでもして欲しい・・・月明かりには祭りをし
亡き清き乙女を偲んでほしい」

月明かりの祭りは今もその村で伝えられているという・・・・

 月にはせるや・・・早乙女の 笑み
 静かの海は・・・はるけき場所に・・・

***********************************************何とも恥ずかしい前向きなお話ですがまあ、13歳だから(笑)
実は暴漢などいくつかは、ひらがなであった(笑)
月明かりの祭りというのは、たぶん小さい魔女かなんかのお話で
魔女が満月で祭りを開く、という所から思いついた話ではないかと。
自分自信が13歳という年齢で書いたのでその人の心の清廉さ
みたいなものは大事にしたいですね(大人になると減ってくるので 笑)
ちなみに月光祭というのを聞いた事があります
でも実際にある祭典なのか、小説かなんかの架空のものなのか
いまだにわかりませんが・・・
あ。検索してみようかな?月光祭・・・あったりして?

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1975年4月 14歳 中二

今,何かと話題の14歳・・・という事で14歳前後をアップ。
忙しいですよね。中学時代は。
勉強にバスケに励んでおりました,と書きたいけれど
挫折したんですよ。実は。バスケ。逃げました。毎日の練習から。
先輩のしごきから。何って先輩からの重圧が一番きつかった・・・

オクダリョウゾウと言う人が七二歳の人が、うちの学校でリサイタルを開いた。
私は、ねむそうな顔をしていたけど、これは真面目ぶってると言われたくないから。
わざと眠そうに振舞った。本当は大感激だった。
でも、歳をとったかたなので、淋しそうに感じる場面もあった。
心の歴史と言うのか、心の深い何かが感じられた気がする。
これからも、どうぞ、頑張って下さいと、心の中でつぶやいた。

セミは何年も地面の中にいて、やっと外に出た時は
10日間しか生きられない

それを知った時、はかないなと思った
短すぎる一生 何の為に生まれたのか
何の喜びがあったのか
生の無情を思った

人の一生も同じようなものかもしれない
私の命はいつ終わるのか
生きている今も意味はあるのか
何の為に泣き笑い、苦しんでまで、生きていくのか
生きる意味がわからないままに
人は自分の道を疾走して行くのか

セミの鳴き声に夏を感じているのに
その後から追いかけてくる秋を思い
夏の短さを悲しく思う
それならば、夏なんてなくていい
大嫌いな冬の中で焦がれることがしあわせ
永遠の夏を

******

こんな事をいつ書いたのか
昨年か、その前か・・・
私は今、その意味を再考する

セミの生きる意味

人の生涯はセミよりも長い
人もまた、それぞれで
100歳まで生きる人
赤ん坊のまま死んでしまう人
安らかに家族に見取られて逝く人
戦場で灰も残らないように消える人

でも、長いからしあわせとは言えない
自分が短くてもしあわせだったか
人に何か与えたか
しあわせとは長さなんかじゃないと
気がついた

短くても激しく生きぬく
そんな未来があってもいい

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これを書いた時は死というものを実感した事は
ありませんでした。親も若くましてや自分や友人も若い
死の匂いはどこにもない中で、漠然と死へのあこがれ
みたいなものをいつも文字にしていました

なぜ若い頃死という言葉をよく口にしたのだろうと
不思議に思いましたが「僕が死に方を考えるのは
死ぬ為じゃない、生きるためだ」というマルロー(仏の作家)の
言葉のように死から一番遠い若い年代に、死を問う事は
生きるエネルギーが満ちているからなんでしょう
だからね、今は年々絶対死にたくないと長生き宣言(笑)

余禄:若い女は美しい、が、老いた女はさらに美しい
   (ウォルト・ホイットマン)ホイットマン、あんたは
   えらい! 笑

なんの為に勉強するのか

教科書に載っていない事が好き。先生はよけいな事は受験期になったら
しない方が言いというけれど,なんの為?勉強って?
好きな事をつきつめていくのは勉強とは言えないの?
教科書が全てなの?芸術科目は受験の邪魔なの?
私はこのごろ怒っている。いろんなことに。大人に。

勉強のこともそう。試験に為にしてるんじゃない。
好きな事をやって何が悪い。英語でスヌーピーと,アメコミの対訳を
宿題で出したらスラング(俗語)が多くてこれはいけないねと
言われた。きっとこちらの英語の方が通じると思うのに。
日本語でも「ごきげんよう。」「さようでございますか」なんて
国民の何人が使っているというの?てふてふ(チョウチョ)なんて
今の時代に書くと思う?まあ,試験ができたらいい訳だ。了解。
頭にきたので試験はがんばります。

何の為に勉強するのか?立派な社会人になるためとか
立派な学校へ進む為,以外の答えをしてくれる大人はいないのか・・・

深くて浅い穴 (1975年 14歳)

ふと気がつくと空間に穴があいていた
見慣れた私の部屋の私のすぐそばに、である
不思議にも恐いと感じなかった

外へ出た
秋から冬へ向う空気は澄んでいて
人の介在できない自然の力に感動していた
ふと振りかえると・・・穴があった
私の部屋にあった穴だ
同じものだと何故わかるのか?
でも私は確信できた それが「ついて来た」のだと

繁華街に近づく度に人の気配が増えてくる
シャーレの中の細菌のようにそれは 増えていた

何かを感じてまわりを見渡すと、所々にそれはあった
そう・・・穴だ
それは人によってついているようにも見えるし
その場所についているようにも見える
その存在の強さに驚く
穴に比べれば人の生命の出すモノは何と弱い事か

穴が私を呼んだ
私は穴に目をやった
そこは深い闇と命の元が渦を巻いていた
人の永遠の問い
どこから来てどこへ行くのか
穴は知っていた
そこから産まれてそこに返る
その事を教えたくて私の視界に入って来たのだろうか?

いいや、ちがう

穴はただそこに開いていただけなのだ
そっと穴をのぞく
穴は深い闇でもあり 鏡のように、浅くて反射するようでもある
穴は人のためではなく、何のためでもない
ただそこに開いている 空いている

雑踏にまぎれると穴はどこにもなかった
私は穴などはじめから見たこともなかったように
振り返らずに歩きつづけた

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何かと話題の歳(?)14歳の作品で一体何を言いたかったんだい?と
突っ込みたくなるようなオチで、すみません(苦笑)

中学時代というのはよくわからんテーマは多いです
情緒も年毎に人は変わるんでしょうが、作品でも日記でも
残す事は面白いですね
過去の自分も、未来の自分も、自分であって自分ではありません
きっと心は変化している部分があると思うんです
肉体は生まれてから成長し、完成すると今度は老いて、死にゆきます
心は同じように成長したり、変化したりすると、私は思っていて
ただ医学的には老化もするでしょうが(最近物覚え悪いんだよねー)
心は気の持ち方で老化しないと願っています
ただしこれでいくと、心は若くても老いたり死んだりする、という
脆さはありますよね・・・

さて、穴。あなたは穴に何を見ましたか?

過去と未来のはざま

眠れない夜が続く時,自分が今生きていて脈打つ手首の
暖かさを思うときでは,子供の頃の自分はどこへいったのかと思う。
時間と言う連続性の中で決してとどまらない今の自分。

そしていつかの大人になった未来の自分も
本当に存在するんだろうか?今,この時の(現在の)自分は
本当にここにあるんだろうか?

自分という人間は無数にあってひとりひとりは一瞬で消えてゆく

そう映画のフィルムのようにたくさんの自分がいて
パラパラとつながっている気がする。
今スクリーンに映る自分は実は多くの自分の連続体で
ひとりひとりは寸時に消えていく

時間は無常だ。本当は同じというものは一つもないから。

1975年 14歳

オトナノ スベテガ キライ
悪臭を放つ者
汚れた者
楽園を追われて 永遠にさまよう者

いつかわかるさ・・・そんな言葉はやめて
わかりたくない わからなくていい
でも。そうして時間と言う魔法が
いつか私をオトナに変えるのか
私もいつか楽園を追われるのか

お前たちは何もわかっていない
先生の口元を見た
まるで操り人形のように見える
先生の台詞が聞こえない
ただ繰り返し 繰り返し 聞こえる
お前たちは何もわかっていない

汚れたオトナから知識を得る
ほかに方法がない
悔しさでいっぱいになる
それが学問だと?
それが生きる知恵だと?
いつからそうしなければ人は生きてゆけなくなったのか

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お前たちが大人になる頃 社会はどう変わっているか
それはお前たちが変えるかもしれないし
全てお前たちの努力次第だ

何も知らないのはオトナじゃないか
何が変わると言うの?
変わるのは昔子どもだった世代が大人になり
新しい子どもたちをまた愚かしく教育するだけ
顔ぶれが変わっても 世界は同じ

きっと昔むかし、の頃からそうなんだ
卑弥呼がいたくらいの時代でも
聖徳太子の時代でも
黒船に驚き世も終わったと嘆いた時代も
みんな、きっと同じ事の繰り返し
きっと、言ったんだ
「お前たちは何もわかっていない」

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今の自分にできることってなんだろう?
オトナになってからやるのでは遅すぎる
今の私が死ぬ前に(オトナになるってことは
子どものたましいはきっと、死ぬって思う)
できることをやらなくちゃ
悪魔に魂を売る前に(オトナになるってことは
信念とか美しい部分を無くす事って思う)
オトナになっても忘れちゃいけない事を
記憶しなくちゃ・・・

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何かに相当怒ってますね(笑)多分担任の先生の説教か何かに
反発して書いたんでしょう。当時のキライな大人というのは
教師か親(今もそうかな)で、特に教師というのは
堕落の象徴(笑)に見えました
先生なんて要らない。コンピューターやロボットでいい
なんて思ったりしてね。大人のくたびれた様子や妥協
「まだ若いから」っていう悟った台詞・・・どれを取っても
腹が立って・・・

この時の私が今の私を見たらどう思うでしょう?
見事にくたびれた大人になっていて幻滅するでしょうか
それともちょっとは頑張っているとか、残った遊び心などを
評価してくれるでしょうか?

14歳の私へ・・・
あなたの年からたくさん時間が経ちました
色んな事がありました
何倍も泣いたり笑ったりしたんです
だんだんあなたの言う通り私は大人になり
情けなくなってきたかもしれませんね
でも、ひとつだけわかって欲しいのは
一生懸命やっている、と言う事です
とても生きるのが下手です 不器用でカッコよくはない
みっともない。でも、いつもね、必死なの・・・
そして今の自分がとても好きです
一年前10年前20年前・・・ずっと遡って
どの自分がいなくても今の自分はいません
自分というのはその時に生きた記憶の自分の
積み重ねかもしれません
あなたの想像とは全然違うけれど
頑張って生きております

神様のえこひいき

天は二物を与える。三も四も与える。えこひいきな人だ。
福沢諭吉ってバカ。天は人の上にも下にも人を創ってるじゃん。

部活も学校も何かの上下ばかり。平等に見える友達、でも
やわらかな上下ってあるんだよね。友達が好きだ。
だから同じに付き合っていきたい。でもなんとなく引いてしまう子
強く押せる子,いるんだよね。そういう感覚の不平等はなくしたいの。
先生や先輩,大人たちなんてジャガイモかカボチャだから

ハイハイっでかまわないが,友達は違う。
傷ついても腹を割って話したいじゃない。嘘はイヤだよ。
嘘は対大人用に取っておこう。友達には体当たりで・・・

もうすぐ期末。なぜ別の事をしたくなるんだろう?
読みたい本なんて後でいいのに。テストの前に限ってむしょうに読みたい
我慢していらついたので思いきって一時間だけ読んだ。

レイ・ブラッドベリ短編集 太陽の黄金の林檎
かれの作品はどれも透き通った悲しさに満ちていて
生きること,世界の美が悲しいことである事,をひしと感じてしまう
こんな作品が教科書に載るようならみんなもっと勉強するんじゃない?

もっとも,それでは私はイヤだけどね。

作者がなんと言っているのか述べよ、だなんて無粋だよ。
本は読む事。あとは個々人の感性に委ねるべし。

ねえ 私を殺してよ 大人などにならないように・・・
私は「やさしい」大人なんかになれやしないから
誰からも好かれ 敵を作らない方法なんてわかりやしないから

ウソなんかいらない やさしくてもウソの世界ならいらない
ねえ 誰か!私の叫びが届いたなら
誰か・・・私を殺してよ 大人になんかならないように・・・

美しいという事

美しいという事は「生きていない」ということだと
私の中のある人は言う。その人はどこまでも優雅で透明なのだ
私は?鏡に映る私はこの世の「生」にまみれたみにくいアヒルの子

美しい人生を生きたい、行きたい、それを願うなら
もうウソはやめようと、手招きする美しい人

生きる事の辛さ儚さが 私の心を刺す時 差し伸べられる手を
とってそこへ行きたくなる

行かないで、と誰かが呼ぶ。ふりかえるとそこにいるのは
泥にまみれた小さな子 この子を置いては行けないと
私は美しい人に別れを告げる
二度と私は美しい場所へは行けないんだろう 辛い
けれど泥と闇のこの世界で きっと私は生きていく

手に取ったはずの小さな手が 幻であって
世界には自分しかいない 悠久の孤独 それでも私は・・・

**************

く・・・クライ!いくらボク通が暗いといってもこれは
暗すぎ(笑)なんだって14歳こんなに暗いんだ?
それがわからなくなったという事はやはり今の感性は
大人になった、年をとったってことでしょうねえ・・・

理想郷って何だろう?どこだろう?
私はそれを求める事がどんなに虚しいか知っている
たぶん大人はみんなそうなのだろう
「幸福の青い鳥など本当はいやしない」
大人がそう言うのなら
何故教えるのだ?理想郷と言う言葉を・・・
意味を持たない言葉など、この世にはないというのに
大人たちにはそれがわからない      1975・7.20(14歳)

すぐそこに扉があって,それは閉じられていて
でも、少し力を入れれば開くような気がする
そうならば私はその扉を開けるのだろうか?

その向こうに何があるのか
そこはきっと絵の世界
ルソーの「蛇使い」の静の絵
動かない風景は生きていない,
決して死んでいる世界ではないのだ、でも
生きてはいない

もしかするとルノワールかな?
でも私にはあの光の世界は似合わない
淋しくないのはきらい

扉はいつもそこにある。でも
私は開ける勇気があるんだろうか?

シチセキ伝説

これはなあに?そう七夕の事よ。小学校のころそう聞いた
もうすぐ七夕。図書室で調べた

織女は,来る日も来る日も機織にあけくれていた
ハタをおるだけで化粧一つするわけでなく
なんの楽しみもなかったので,天帝はかわいそうに思い
夫を持たせた。が,彼女は夫「牽牛」との暮らしに
夢中で仕事をしないで夫と遊んでばかり。
怒った天帝はふたりを離れさせ、1年に一度しか
会う事ができなくなった・・・

一年に一度でも会えるならいいよね
好きだという気持ちと一緒にいたいと言う気持は別で
まだ子どもだから,なんて言われるといやなんだけど
好きと言うのは自分の中の問題だから・・・・

結婚するなら「2番目に好きな人がいい」と
何かで読んだ。私は違うと思う。
結婚は一番好きな人としたい。でも好きと言気持ちを
全部出すんじゃなくてちょっとだけしまっておく。
それは、おじいさん・おばあさんになったときに
出してまたふたりで恋愛するわけ

こんな事でまた寄り道。期末も近いんだけど・・・

中国の神話

面白くて(シチセキ伝説で夢中)調べたらあったあった
「天地創造」神話

混とんとした宇宙から盤古という巨人が生まれ出た
にごっていた世界がやがて澄んだ層と,よどんだ層とに
分かれてゆく。私が創造する事はクリームソーダ!

盤古はずんずん背が高くなってそれにつれて
天井も高くなっていった。空が高くなっていった

やがて盤古が死ぬと,その死体から色々なものが生まれた
盤古の吐いていた息は風や雲になり声は雷になる
左の目は太陽,右の目は月

私は死体から世界ができたというのがおどろいた
きれいなだけの聖書の「創世」よりももっとすごかった
風の強い日にはきっと、これからは
ああこれは盤古の息の名残か,なんて想像するかもね
深呼吸できなくなりそう?

太陽神話

中国神話の続き。ほんとおもしろいね。返却日も近いから
あせってメモ。速記って早いのかなー、くそっ!めんどう。

大昔太陽は十個あって東に湯谷という谷があり太陽達は
そこで水浴びをしてから,ひとつは扶桑の上に登っていき
他の9個は下で待機した
そうして順番に大空を廻って西に沈み太陽は輝くのだ

太陽が十個あるという考えは中国の暦の考えに関係があるという
ギリシア神話や日本神話もそうだけど
たくさんの「人間」ぽい神々の話は楽しいね

神様が本当にいるかどうかわからないけれど
人が知っている事は「知らない事」の中の一握りだと思う
神話は映画のように創作で,本当の事は聖書に書いてあるのだと
言った人がいた。本当の事だと何故わかるんだろう?
三大宗教なんてあるのは何故?真実は三つもあるの?
本当の事は教えて欲しいけれどそれはどうやって見分けるの?

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中学三年

誕生日

ガラスの箱に、わたしは閉じこもる。他人の顔なんて見たくもない

少女のままに、十五のままに、時を止めてしまいたい。

考える事はしたくない。何も・・・何もしたくない。

何回となく誕生日を迎えても、十五のままでいたい。

ガラスに映った自分の顔。変わってゆく?・・・いつかは

いいえ

変わってゆくのは外の世界だけでいい。

わたしはわたしだ。わたしはわたしのものだ。

中学三年

なくした思い出の箱を開く為に、鍵を探しに出かけた
見つけた鍵は、重く錆びつき
わずかに残された、錆のない部分は、鈍い光を放っていた
何年も、人の手に触れていない、その鍵は
人里離れた庵に住む 老婆のように、昔のことを語ってくれた。
かなしく・・・やさしく・・・
そしてなつかしく・・・
人が忘れ去った何かが、少しずつ胸に広がっていく。
幼い自分は、その素直な目で何を見たか
そして心で何を受けとめたか

しかし・・・
人間は哀しい生き物なのだ
しばし心のままに、思いをめぐらせても
それは、一瞬にして消えてしまう
解き放つ何かを、信じる事も忘れ
また社会と言う箱の中に、閉じこもる
生きんが為に、明日を持たんが為に
人間は、祈る事さえ忘れてしまったのだろうか・・・

かなしいよ、とカッコウが鳴く
深い森の中で今日も誰かが泣いている
迷い子の母親は子供は神かくしにあったんだと
生きている希望を捨てた
生きて森をさまよう子供は親に見捨てられた
一人で行きぬく孤独の森

今日の食べるものはどこにあるの
今日のねぐらはどこにあるの
子供は探す,探して,生きる
一人で生きぬく孤独の森

人は裸で捨てられ泣いている赤ん坊だ
いつも拾ってくれる母の手を待っている
待っても、来ない、待っても、来ない・・・繰り返しては日がすぎる
ある日白い手が抱き上げる
喜びに精一杯の笑みを返す・・・そして・・・手はすべり
赤ん坊は地に落ちる

人は神を求めて泣いている赤ん坊だ
こんなにも生きる事が切なくて、苦しくて・・・泣く事しか出来ない
来る日も来る日も待つ・・・そして残酷なその手を待ちつづける
   (1976・11・23 15歳)

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