昔のノートから
高校時代(1977年頃からのノート)
18歳 1979年12月
2日***
先生の家へバスで行った
大きなおうち(とっても)
犬のシャンプー
先生の写真
お線香の香り
ルノアールの「少女」の絵
絵の入ったスイッチ
しっかりしてる奥さん
でもね、先生
あたしは、まだ 信じない
人が死ぬって事・・・
生徒のための大きなおうち
(いつ泊まりに来てもいいって)
生徒の話ばかり
生徒が自分の子どものようにかわいくて・・・
先生
でも、人間はいつか
死んでしまうのよね
31日***
16日に先生の35日に行った
ねえ、先生
先生の仲間って
みんな先生に似てるね
頭が短くて、何だか人柄も・・・
H先生って言ってたっけ
近くの高校で教えているって言ってた
マラソン大会で
自分の持ちクラスが男女とも1位なのを
喜んでいた
三年生なのによくやったって
先生、みんないい人
奥さんにお弁当(おかずの)をもらって
帰ってきたけど
先生の写真見ると
泣けてきてサ
こまったよ
あっそうだ
初七日の時
先生が最期に買ったというみかん
ずっととっておいたけど
今食べてます
先生おいしいよ、とっても
大きくて、先生らしいみかん
これから
こんなふうに、赤くておっきな
みかんを見たら
先生を思い出すのかな・・・?
でもね、先生
これからいっぱい生きて
がんばっていきたいから
どうかいつも見ていてください
きのう店では大騒ぎ
変な男が言いがかりをつけて
金をゆすったってサ
年末はこわいですね、先生
***************
初めて身近な、自分にとって大事だと思う人の死が
高校の先生でした
死と言うのは、何だか理解できませんでした
先生がなぜ学校に来ないのか
なぜどこにもいないのか
大人といわれる年齢だったのに
「わかりませんでした」
わからないのに・・・辛い・・・辛かったです
その後祖母、父、祖父、友人・・・何人もの死を見たのに
今でも「わかりません」
ただ会えない哀しさでいっぱいです
死を思うことは哲学の初歩であり最終過程であると
誰かが言いました
先生は自分の死で教師として最期の授業をしたと
そんな風に最近考えます
私にとって最初の「死」の教え・・・
昨日うちの息子が学校を休みました
朝登校したけれど、どうにも調子が悪くて(咳がひどい)
引き返したのですが、学校に何も言わず家に帰ったので
先生が探して家まで来てくれたりして、大騒ぎ・・・
若い女性の(担任を持つのは初めてだそうです)先生の
熱心さを感謝するのと、息子の無責任への謝罪の気持ちとで
(何も言わない、無断欠席というのは社会では最悪のマナー)
頭はいっぱいだったけれど、ふと高校の恩師の死を思い出しました
この先生に出会って良かった・・・本当はそんなに
教師との出会いは多くは無いのだと思います
金八先生は先生にも生徒にもあこがれ、理想で終り?
でも、私にはありました
先生が亡くなった事で、大人になった報告もできないけれど
一生の師が・・・私にはいます
息子は小学2年生の時の先生がいまだに大好きですが
中学と言う年齢になって、親身になってくれる今の先生も
なかなかイイセンだよと・・・思います
大人は敵で先生とはその代表格であるのは
今も昔も変わらないけれど、大人になってからでもいい
ひとりでも心に残る先生を持っていたら・・・どうでしょうか
先生、私はもう先生の年を越しました
でも教えてほしい事はたくさんあります
電車の中で坊主頭の背広の人を見ると
先生を思い出します
今日の夜は高校時代の夢を見たいなあ・・・
2004/2/3
1977年 16歳
人を好きになる事で失うものがある
たくさんある
たったひとりの人のために
道をまちがうこともある
たとえば自分・・・
傲慢なほどに自分をかばい
夢を追っていたはずの自分なのに
彼の好きな服を着て
彼の好きな話を勉強して
彼の好きな女の子になって
彼に・・・振り向いてと願う
なぜ?なぜ?・・・なぜ?
私が着たいのはこんな服じゃない
女らしく変わる事は私じゃない
変わっていく自分のカタチとココロに嫌悪する
流されたくはない・・・でも流される
人を好きになるたびに
人はひとつずつ何かを失い
壊れていくのなら
神は何故人が人を求めずにはいられないように
創ったんだろう?
残酷な神々は笑うのか
人は愚かだと笑うのか
弄ばれる人間たちの苦悩を、笑うのか
それでもいい
止められないなら
愚かな事であっても
好きだという思いを捨てずにいよう
道は続いている
かならずどこかに
それは天国か地獄かはわからないけれど・・・
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昔のノートはもう無いんですか?という質問が以前
ありまして、実はまだあるんですけど、プライベートな
内容や固有名詞が(人名とか)多くなっていつ文章が
残っているのでアップするのに迷うのです
やたら**とかアルファベットを使うのも読みにくいし
話がつながらないし・・・苦
でも、まあたまにボチボチアップしていきます
前の文章は会社で残業していた時書いたものです
商品納入が間に合わず客から何とかしろと怒られていた時
まだ覚えています。先輩の下についてやっていた時
先輩が突然退職し私がひとり立ち(?)して
仕事を任されました。始めはうれしかったけど
段々しんどくなってグチをいいまくっていたっけ(笑)
でも今ではなつかしい、イイ思い出です
仕事はダメとかイヤだと思ってもトライしてみると
(例え挫折しても)後で実になっていると思います
後の文章は16歳。いやーはずかしいですねえ(笑)
同級生に片想いってやつでした(しかも玉砕)
同じバスに乗ったとか、授業中こっち向いたとか
そんな事でもけっこううれしかったりして。あはは
息子が今12歳。トモダチ同士で好きな女子の名を
教えあったりしているそうです。小学生同士でも
付き合っているカップルもいるらしいし、すげー!
先日息子にせがまれて小学校時代の日記を見せてやったら
もう爆笑状態。私の片想い日記や友達とのケンカ日記が
面白かったらしいです。もー絶対見せてやらん(怒)
息子の人生に参考になれば、と思って日記も捨てないで
おいてあるけれど、いやー恥ずかしいものですね
ちなみにそれ以上の日記は当分見せない。刺激強いから(笑)
年代不明メモ たぶん高校
ボサノヴァ
この曲は何だかいいねと、私はつぶやいた
でも彼女は笑って言う「お嬢ちゃんにわかるの?」
たちあがるとカセットを取りかえた
透明だった空気が崩れる。耳をこじ開けたのは
ドゥーリーズ・・・私は黙ってしまう
二人で何も言わないまま曲が変わる
ボニーM・・・
私をこんな曲で踊る馬鹿な子どもだと?
だんだん腹が立ってきた私は彼女をじっと見据えた
静かに火をつける、細い煙草、漂うメンソール
カバンに忍ばせたセブンスターに
私はとうとう手をつけられなかった
化粧を始める彼女。甘い香りが部屋に広がる
所在の無さで私は彼女のカセットボックスを触った
「カセットかえていい?」
彼女は鏡を見たままうなずく
ダイアナ・ロス・・・美しい強い女性!
彼女がこちらを見る、私は無表情を装って答える
「黒人好きだもん」
着替え始めた彼女に私は目を奪われた
黒いレースの下着。今の私が着けたなら?きっと
不似合いで笑われるだけなんだ
いつ大人になるんだろう?私が欲しいのは夜の香り?
大人の香り?そうじゃない、何もしなくても
そこに「在るだけ」で大人だと人に認められたいだけ・・・
何をしても子どもだと笑われる気がした
煙草も化粧もお酒も・・・たぶんセックスさえも?
それを越えなければ大人ではないと
彼女の背中が言う・・・
彼女から漂う夜の香りがうらやましい
嫉妬というのはきっと、こう言うことなんだ
ボサノヴァを聴くたびに私は思い出すに違いない
大人の女に負けた悔しさを、自分の内部から出して
だから私はボサノヴァがきらい
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中学、高校時代かわいがってくれたお姉さんがいました
二十代の真ん中の彼女は女の魅力全開の頃ですよね
一緒にいるとコンプレックスを感じていたようです
大人になると(彼女と同じ年齢)私もそういう夜の香り
が身につくと思っていたりして(笑)
現実は当たり前ですが「個人差」があり個性差もあるから
大人どころかオバサンになっても私が夜の香り、を
身に着けることはできませんでしたー!
あの頃精神よりも「形」を追いかけていたのかな
煙草やファッションは「形」を真似ることで大人の気分を。
煙草は百害あって一利無しといいます。そのとおり・・・
でも当時煙草を買って持っていると言う事で何となく
安心していたのかもしれません。吸ってもいましたが(笑)
社会に出て働き始め、さらにバスケを再開した時
ぷっつりと煙草には興味が無くなりました
夜遊びにあこがれることもなくなりました・・・
大人になったのではなく自然体の自分を大人が(会社など
の大人たち)受け入れてくれたから無理する必要がない
面白いもので大人から見ると若さこそが賞賛の的なのです
(トシとった今よーくわかります 笑)
1978年 17歳
売り子
その町は貧しかった
皆その日食べるものを得るために必死だった
色々な物を持ち寄り売る
そしてパンを買うのだ
ある者は売るものはないからと
子どもをひとり二人と、売っていった
ある者は売るものがないからと
自分の体を男たちに売っていた
そんな町のどこにでもある幌の下の
少女は売り子だった
少女は町外れの丘に少しだけ咲いている花を
集めて売っていた
花を買って下さい
珍しい花です
けれどそんなものに人々は見向きもしない
金持ちの異国人はそんな少女を哀れんだのか
たまに小銭を投げてくる
ああ、これで今日のパンが買える・・・
でもいつも少女は思っていた
お花は売れないのね
命を摘み取っているのに・・・
ある寒い日町は凍りついていた
通る人もいない
でも少女は帰れない
パンがない、でも・・・パンを買って帰る?
何の意味があるかしら?
家といっても何もない
誰もいない場所
ただ生きてゆく事だけのパン・・・
もうパンは要らないわ
少女は花を土に埋めた
摘みとってごめんなさい・・・
少女の幌に売るものが無くなった
少女は消えて・・・・・
数日後誰か別の少女が木彫りの人形を売っていた
そうして町の生活は変わらないで過ぎてゆく
花を買って下さい
花を買って下さい
花は売れないのね・・・
生きてゆく事はかげろう
少女の摘み取った花こそが
少女の命
あなたは買っただろうか?
少女の花を
命の花を
私はきっと通り過ぎ
何も知らないままなのだ・・・
自分こそが摘まれる花であっても
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17歳、生きている意味というものを真摯に
考えていました。パンのために(利害)生きる意味は
あるんだろうかと、死ぬ事が遠いところにあった年代だから
死という概念にあこがれていたかもしれません
不思議ですがだんだん年を経て肉体もくたびれてきて
老いというものに不安を覚えると生に執着が沸くのです
「死にたくない」この一点(笑)美しく死にたいと願った10代
もちろん今も美しく死にたいですよ、ただし長生きしてからね!