昔のノートから
18歳〜19歳 社会に出た10代
社会人一年生
こうして人と接して、働いて
本当に良かったと心から思います.
そして、ありがとうございましたと
昔の会社のみなさんに言いたいです
1981年11月 19歳
今日考えた事
もう4日過ぎれば20歳
10代のうちに何かやろうと、思ってはいたけれど
結局何もできずに20歳になってしまう
この前の飲み会の話しを思い出す
昔戦地に赴き銃弾に倒れた兵士は17歳
生き残った兵士は18歳
彼らの屍を捨てて、必死で生き残った
生きて帰れない場所に生き
他の選択を許されなかった時代
大人になるのは早かっただろう
昔の人の半分の精神年齢もない
今のわたし
何か・・・
何か決心したい
何を?
わからないけれど
迷いを捨てて20歳に向かいたい
私の10代は、どんな青春だったんだろう
不思議なもので
自分の青春は、時自分では見えないのだ
だから わたしにはーわからないー
ユーミンの詞のような華やかなものではなかったし
かといって、まっすぐ何かを貫いたわけでもない
そんなごく平凡な青春の中で
それでも
わたしの青春はわたしのものだ
誰にもわからない
わからなくてもいい
1年また1年と とうとうここまで歩いてきた
わたしだけの20年
わたしだけのみち
これからの事、まだ見えはしない
けれど・・・ただがむしゃらに走る自分でいたい
今自分がこうしている事がとても不思議
小さな頃から、わたしは多くの詩を書いてきた
12歳から13歳
14歳から15歳
色々な階段、色々な峠
そして今さらに高いところへ登ろうとしている
それでもわたしはあの頃と同じちっぽけなものでしかない
だからこの山は険しいだろう
転げ落ちるかもしれない
でも・・でも
変わり続ける日々の中で
ふと振りかえる時
私は見るだろう
19歳から20歳の階段を登った跡を
***
かけ抜けていきたい
誰よりも速く
誰よりも涼やかに・・・
かけ抜けていきたい
誰よりも高い場所を
そんな強い身体が欲しい
そんな軽やかな心が欲しい
そして
いつもそう願っている自分でいたい
今この時も
20歳というゴールを目指して
わずかな19歳の日々を
全力でかけ抜ける自分でありたい
まださよならを言いたくない
わたしの19歳
あと4日
*****
20歳。法的な成人年齢に当時のわたしは
こだわっていました。何でだろ?
今年成人式を迎えた知人の娘さんがいます
彼女は将来に漠然とした不安を持っているらしかったけれど
深く話しをする事に意味はないと言っていました
大人と話すのがイヤなのではないといいます
むしろ友達と話せないような弱み(?)を
わたしなどの第三者の大人には話しやすいと
でも深く考えるのはイヤだといいます
年の近い友達のどこがいいといえば
深くない(気持ちが、でしょう)事だそうです
町に遊びに出る、マメに鳴るケータイの音
それらは全て「必要」で楽なこと
でも。表は全然違っても
漠然とした不安って
わたしのその年代の時と同じでは?
ガンバレ!ワカモノ! 2004/2/26
親父とアインシュタイン
こんな記事が新聞に載っていた
数学者の矢野健太郎氏の記事だ
アインシュタインが日本に来て「相対性理論」が広まった時
理解できる人間は世界に12人くらいしかいないなどといわれていて
矢野氏は子ども心に,ビックリしていたそうだが
彼の父親はこういったそうだ
「要するに人間が考えたんだろう?だったら健太郎
勉強すればお前にもわかるよ。」
もちろん矢野氏は今や有名な数学者
気になるステキな記事としてメモしておく。
やってやれない事はない。
夢を捨てずにがんばろう!
1980年(19歳)*****
今会社のデスクでひとりぼっちだ
夜の会社は何となく昼間と違う雰囲気がする
昼の喧騒がウソのようでこうして座っている事が苦ではない
点滅する電話の信号。自分の声が室内に響く・・・
夜の時間を支配しているような錯覚
私は全能の神
私は人世界の長
私は長い旅をしている船中の客
・・・とりとめのない空想
子どもの頃、空想が好きだった
自分が描く世界で生きる自分は
とても美しく、強く、賢い姫
何でも出来る、人から賞賛される自分
そんな自分を思い描く事で「しあわせ」な感覚を持った
ウソの世界
それでもいい。私はその時間楽しかった
例え本当の自分は弱く卑怯でバカな人間であっても
・・・私は想像世界が楽しかった
(略)と時間ばかり過ぎてももう納品できそうにないが、
何の為に残業しているかといえば客と上司への
「つくろい」の為である。最善を尽くしましたと
言える具体的なアリバイを作る事
無駄な事である。でも必要悪。たぶんアメリカの企業なら
ナンセンスな時間なのだろう。ただのロスに過ぎない時間!
Uさん(良い上司でした。上司にも良い悪いがいまして 笑)
は三年ガマンしてごらんと言う。三年たって半人前五年たって
一人前。納得がいかない事が多すぎると、私が嘆くたびに
何年かたつと見えてくるモノもあるさという
「何の為に日曜日を潰して接待ゴルフに行くと思う?
夜飲みに付き合うと思う?うれしいわけでもないけど
イヤだ、無駄だ、だけじゃないこともあるさ」
そうなのかもしれない。ただ楽しいだけの時間では見えない
そんなものがあるかもしれない。イヤな中に何かを見出す
大事なものは泥にまみれて埋もれているものだ
もう帰ろう。まっすぐ帰るのは何となく淋しいが
ひとりで踊りに行く勇気はちょっとない
ナンパはされたい、でもついていくほどバカじゃない
くだらない思いが駆け巡る今夜
もう少しここに座っていようか・・・
もうすぐ二十歳。10代と何もかわらなさそう
では10年後は?30歳の私は何をしているんだろうか?
20年後は?・・・今と同じようにこの場所で
ぼんやりニセモノの仕事をしているんだろうか?
1981年4月
スペースシャトルが15日無事に(多少のアクシデントがあったが)
一応成功した.
アメリカ国民は喜びで沸きかえっている.お祭り騒ぎ。
だが一方で「軍事利用」の声もあり、メリットはそんなにない気もする
軍備拡張としての計画なら、あまりにも宇宙に対しての冒涜だ
神に等しい宇宙
それを人間の「力」の争いに利用するのは感心できない.
宇宙時代?いや、そんな言葉はまだ早い.
軍備優先の科学で、本当の意味の科学ではないからだ.
軍備に気を取られて、われわれの宇宙科学はあまりに幼い.
私にとっての感動はやはりボイジャーの、木星・土星の接近であろう.
夢、星という名の神秘への夢
私達の手はそれらをつかみとるにはあまりにも小さいのだ.
力による文明が長く続くかどうか、それは歴史が語っている.
核兵器を作るエネルギーがあるのなら
何故? 何故? 宇宙へ飛び出そうとしないのか
1981年9月
結婚の決まったねえさんへ(先輩をそう呼んで慕っていた)
あなたにききたい.
結婚するってどういう事ですか?
これまでに築いてきた自分の世界を、壊してしまうモノですか?
それとも別の世界を作るものですか?
例えば、私のつたないこの感覚というものも
置いて行かなければならないのですか?
ああ、私は子どもです.
それだけの事で、結婚を恐れている。
私は子どもです.
名を変えて、姿をかえて、それでもまだ
自分のオモチャを手放せない.
Jねえさん、今何を考えていますか?
Jねえさんは,自分のそんな世界を手放す覚悟で
嫁いで行くのですか?
「御伽草子」を借りた.
懐かしい「浦島太郎」や「一寸法師」などが納められていた
それにしても日本語はきれいだ.
私は日本人である事をほこりに思う.
だからこそ今の日本のだらしなさが許せない.
(この街などは代表的だ)
ジョン・レノンが殺されてから一週間
今年は芸能人がよく死んだ.あたり年と言うのはあるものだ.
ジョンは有り余る才能を内包したまま死んだ.
他人に殺害される事で伝説にもなった.
長く生きて伝説になる事の方が偉いと思う.
しかし,長生きして美しい伝説を残すのはむずかしい
(早く死ぬ事が良いのではないが)
ちょっと失敗・・・ミスした
誰からも「好かれる」のではなく
「信頼」される人間でありたい
間違ってしまうのは仕方ない.
だが,嘘だけはやめよう.
他人をあざむくことを恥としよう.
失敗しない人間でなく
失敗を乗り越えられる人間になりたい
そんな人間になれたなら
もう,傷つく事を恐れずに歩いてゆける
「なかぬ事を常とするより、笑う事を常とせよ」
けれど死ぬまでにどれほどの事ができるだろう?
いえ,もしかしたら何一つ成就しないかもしれない.
ただ歩く事しか出来ないかもしれない
それでも,生きている.
こんな宇宙の中,こんな道を歩む私は、ひとりきり。
数にも出来ないくらいの確率
命の暖かさに涙しても,不思議ではないような・・・
きっと神にも等しい「命」というもの
「心」というもの
ただ・・・ただ
自分を,人間を,地球を
愛していたい
その青くたたえた水ほどに
人の心も深くなれ!
私の中の「何か」が少しづつ死んでゆく
夢というもの
愛するというもの
時間が全てを飲みこんで、吐き出すたびに
私は変わってゆくから
時の旅に出てどこへゆくというの
自分は強いと思っていた
自分は弱いと思っていた
それらが全部混ざった人形が自分なら
人の形になんの意味もない
白いはずの壁が少しはがれる度に
真っ黒な自分の本性が見え隠れしている
1981年7月 19歳
「無になれ」そう自分に言い聞かせる
「何も考えてはいけない」
「人間であることさえ忘れろ」
強く強く 私を揺さぶるものに
負けてはならない 決して
そのためにも 無心に・・・帰るのだ
未来は遠いものではなく 実に近いものである
それを見失うことのない 自分であるように
いつも・・・
***********
おばあちゃん このごろ店に出ていない
店はずっと閉まっている
たまに会いに行くと おどろくほど年を取った人が
あの家にいる
月日と私と・・・このふたつが
おばあちゃんを老けさせた
わかっている
私は悪魔だ
ごめんなさいという資格もないほどに
私の罪は重い
けれど悪魔になりきって見せよう
お母さんの20年の過去と
私の心の自由のために
*************
おばあちゃんのことを考えるとき
苦しくてたまらない
なぜ
みんないっしょに 幸せになれないか
知っている人がいたら 教えて欲しい
これだけは記しておこう
私はおばあちゃんを 憎んでなんかいない
神様 信じてください
できるならずっと愛してあげたかった
あの家で・・・
おばあちゃんの人生を飲みこんだあの家で・・・
**************
みんな悲しい
自分さえも悲しくゆがんで見える
「助けて」そう言ってみる
でも 本当は
誰にも触れて欲しくない
大人はどうして 生きてゆけるんだろう
こんな多くの悲しみの中で
ごめんなさい・・・ごめんなさい
誰にそう言っていいのかわからない
どれほど多くの人たちを
私は苦しめている?
ごめんなさい
**************
宇宙のどこかの(遠い)星へ行きたい
そう言う淋しい所へ立てば
きっと みんなの事を
やさしく思ってあげられるだろうから
そして
この地上での色々な悲しみさえ
飛ばしてしまえるだろうから
あるのは空間と私と、いっぱいの星々
そして地球の思い出
そんな所なら みんなを愛せるだろうから
***************
私が生きている間に犯した罪は
きっと
私の人生自身よりも 重たいのだろう
悲しみや淋しさは きっと
そんな罪をごまかすためのものだと 時々思う
自分の甘さで 誰かが傷つく
それが私の心を重くする
そして・・・その重さで そのせいで
私の心はいつまでたっても
素直になれないのだとも思う
****************
19歳の当時おばあちゃんの具合が悪くて
私はとても心配でした。母と二人で家を出てから
おばあちゃんは急に老けこんでしまって
それを私は自分のせいだと感じていました
今だってそうですけど、大人のずるさかな
仕方がなかったのだという言い訳が
心を軽くしているのかもしれません
自由というのは必ず何かを引き換えにするものかも
しれません。おばあちゃんやおじいちゃんのことを
思うのなら黙って父の不在の、父の愛人が使用人として
暮らす家で我慢して過ごす、という選択になるし
自分の自由を考えるなら、祖父母は捨てるということです
私は自分を選択しました
もう償えない 絶対償えない おばあちゃんに対しては。
だから、息子の人生で選択肢があるならば
その時は自分を選択しないと心に決めています
捨てられる覚悟・・・その時は姥捨て山に行きます
暗くなっちゃいましたね
でも、色々な選択肢が人生にはあると思うけど
後悔するよりも、謝罪しつづけてでも
「自分の」選択をしたいと思いませんか?
若い人にはがんばってもらいたいです
ただし・・・自分勝手というのでなく
自分のために他を切るのだから一生忘れない
という覚悟で・・・親はあなたを絶対思っているから!