1983年 22歳


1984・1・1(元旦!)23歳

この日記帳は母から買ってもらった。自分で買ったのではなく
人から買ってもらう、と言う事がこうして記すのに値すると思う
思えばなぜか日記帳は毎年人からもらったものだ
誕生日に買ってもらったり、クリスマスプレゼントだったり・・・

今年はどんな年になるだろう?
ともかく「友達」は大切にしよう
84年もそう思ってやっていこう
私は孤独な人間だと思う
けれど
人は みな ひとりなのだとも思う

人は港
人は船

温かく迎えるのもいい
帆を張って旅立つのもいい

いつか帰ってくるものならば・・・

愛は風
愛は哀

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1984・1・7

自分にまず勝とう
自分にまず好かれよう
でなければ
どうして 他人の信頼を
愛を
得る事ができようか

さりげなくHさんに「ジャズダンスがしたいです」と言ったら
「じゃあ行こう!」なーんて言う事になった
エアロビクスもあるらしい。まずは食事とおしゃべり
途中TにTEL。Hさんは彼の事でなやんで、Tは仕事上の
人間関係に悩んで、私はこのパターン化された毎日が嫌だ
・・・私たち、みんな、年頃です。なんちゃって

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1984・2・4

家に帰るとYさんがいた。女物の靴・・・

離婚して子どもを三人も抱えて苦労していて、
偉いなあと思うのになぜかあの人が嫌いだ。それは・・・
とても彼女が「女」であるから・・・
男の人にさりげなくかける手、甘い声・・・
あの人の隣にいると、わたしは自分がすごく子どもだと言う事を
思い知らされる

元気でいいじゃない、若さね・・・彼女が言うたびに私は
笑いを作る。でも本当はわーって叫んでやりたい
そうやって私が勝てるものは何も無い
かろうじて若さ?でも、それさえたかが一時のこと
彼女と同じ年になって、わたしがあんなに「女」になるとは
とても思えないのだから・・・

用事も無いけれど、わたし外に出た
なぜかYさんには会いたくなかった
行くところ?
海・・・
私をいつも救ってくれるところ

冬の海は私のよう
汚れはぬぐわれて清い水なのに
その寒さ、荒さに、誰も来ない
夏の海はあんなに汚くても
人でにぎわうのだ

 

未来は不安のかたまり
毎日は怠惰のかたまり
おおきく おおきく おおきく
いつかパンクする事もあるようで こ・わ・い

でも

歩かなくちゃ
立たなくちゃ
少しづつでも

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悩めるおばさんの私に、悩めるオトメの私より(笑)
こういう日記を読むとなんでえ、おめえ、悩みっぱなしじゃん
という思いで笑えます。考えると書くという行為は
楽しい事よりもつらい事、悲しい事、を書くほうが多いです
私はね。みなさんはどうですか?

まあ、ファイト、ファイト!120%楽しいぞ
なんていう人のほうが少ないって!?
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光を抱く女 (1981年 20歳)
いつからか覚えていないがその女の額にはうっすらと
傷があった。女は幼少の頃おとなしい可愛い子どもであったが
傷つくばかりで弱い母親は自分で精一杯で、子どもへ愛情を
かける余裕は無かったし、父親は暴力と気まぐれな失踪を繰り返し
果ては母親と子どもを捨てて出ていった
母親は酒にすがった。美しかった母親はやつれてゆき、子どもに
手を上げることも多かった。酒と暴力・・・そして母親の涙
それが女の少女時代の記憶だ。母親は小さい子どもを残して
死んでいった。床に散らばった酒のビンと母親の長い髪、そして血
その傷はそんな歴史の中のどこかでついてしまったに違いない
女は美しく育った。がその美ゆえに額の傷は「まともな育ちでない」
という証しになり女のゆく道をいつも阻んだ
酒場で働き、男達に媚び、時には騙し、盗み、荒れた生活は続いた
それは自分がそうなりたくはない母親と同じ生活、人生であった
ある夜、男がそそくさと身支度し帰っていった
愛はない。ただの金だけのワンナイト・ラヴァー・・・いや
心の深い所で孤独を癒そうとする淡い期待もあったろう
でも女は男の背中を見送る事もなく紙幣を数えた
細いシガーをくわえ窓を見る・・・するとそこには昼間のような
こうこうと輝く月があった
女は身じろぎもせず見つめていた。そうしていると産まれてから
ずっと光の当たらないところで生きてきた自分が洗い流されて
ゆくようであった。ベッドからおきあがり裸のまま窓に立った
ふと鏡を見ると白い自分の裸体が映っている
じっと見る・・・月にさらされた自分の体は美しかった
汚れたこの世界とは何の関係もない、清浄な自分がそこにいた
笑顔?笑う事など誰も教えてはくれなかった
だから笑顔の自分はどこにもいない、映りはしない
それは・・・悲しくはなかった。笑いを知らない事が自分でもある
月は女の顔も照らす。傷が輝き浮かび上がる
それは十字架のようにも見え、そこから全てが始まる気がした
雲が出て月を隠し始めた。部屋にはまた薄暗い帳が下りてきた
鏡を見た。女は元の娼婦でしかない
だが、生きる事はそういうものだと、女は思う
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砲弾を受けた女は救護班に保護された、が、傷は深くもはや
助かる可能性は低かった。共に戦ってきた者たちも多くは
先に逝った事だろう。私は今こそ神の元へ、仲間の元へ
逝く資格を得た。自分の一生は何であったのか、たぶん
わかる時間はもうないが、満足だ
ジャングルに夜がくる。獰猛な時間だ。敵だけではない
餌を求めた獣たちが、ここかしこに潜んでいるのだ
木々の間から光が差す・・・美しい光・・・たぶん最期の光
光が女に当たった。額の傷が浮かび上がる
それは幻想のように美しかった。女は微笑んだ
月の光に照らされ、胸には共に戦ってきた愛器(銃)を・・・
美しく強く、そして、最期に人生で初めての微笑みを浮かべて
女は・・・去ってゆく
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戦うのは何の為
国の為ではない
人の為でもない
ましてや自分のためでもない
ただ「戦うために」戦うのだ
血を流し、無駄な時間を過ごし
大事なものを、命さえも失っても
人は・・・戦って・・・
それはきっと果てしない行為なのだ
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額に傷のあるカッコイイ女性のマンガを読んで当時
書きました(たぶん高口サトスミ氏の)
だから戦争うんぬん、は関係ないのですがイマドキタイムリーでしょ
一番ラストの詩は実は今書いたもの(笑)
NYのガレキの撤去作業中鉄筋が偶然十字架の形になって
いたという事です。それで作業の人々が死者に祈ったりしているそう
十字架・・・祈りの象徴なんですね。欧米文化圏の人には・・・。
私は・・・合掌・・・・・

2001・9・25
友からの手紙(たぶん1982年くらい? 21歳?)
無許可なので張り倒されるかもしれません。まあ20年近く前の事
時効だと思ってお許し!彼女は在学中で自分の状況に疑問を
持ちっぱなしであった・・・これは時を同じくして企業に
取りこまれた私も同じだったんだけど。まあ若い人に、アップします
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(色々略)今の状態じゃ学校行った所で何もならないよね
本当に一番軽蔑していた人間に今私はなっているんだよ
まだマチガイ(資格)の取得の為と割りきって学校に来ている連中や
本気でつっぱっている連中のほうがよほどまし。
何をするというわけでもないんだ、今更。私は・・・
何か学校の中で楽しんで身を入れて勉強しようと、できるものを
探したけれど。ああ卒論にはこんな事書こうか、とか思って
少し本を読んでみても考える事がことごとく異端なんだ
それはいいんだけど。過去にもそういう論文を書いた人はいる
でも問題は私がバカなのでそれだけの物を書けない、基礎知識がない
と言う事だ。何故卒論にこだわるのかというと、それを書ければ
卒業できる、単にそれだけもので、純粋に学問に引きこまれた
と言う結果ではないんだよね。他に理由はありません
一から独学でやるのなら高いお金払って大学で勉強する意味は
ない。大学なんて来ることはないじゃないか?私は大学を見て
本当にくだらない所だと痛感した
皆適当に大卒の肩書きが欲しいだけなんだよ
割りとマジメにやっている人でも、高校の延長の優等生に過ぎない
とうとう私の望んでいた同じ志向の人間にはめぐり合えなかった
そう言うエネルギーのある人間というのがいても、エネルギーはあっても
方向が違う。同じ志向かなと思える人がいても大体男で
「女なんて」というのかそんな雰囲気なんだ。女だから脳みそはないと?
そして一番大切な問題は本当に大学の勉強をしに来ている人は
白い目で見られているというう事。こういうのってどっかおかしいよね
この前学校の友人に「哲学なんてくだらない学問だ、宗教だ何だかんだと
理屈をこね始めたらお終いだアンなのは体で感じて体験して、得た物が
信仰だ」とか何とか彼女に喋り捲ったら呆気に取られてずっと黙って
いたので悲しくなった。私はしゃべるのをやめた。わからなければ
それでいいし、興味なければそう言ってもいい。黙ってしまったら
どうしていいのかわからない。バカヤロー!とわめきたくなった
自分に腹が立った。なんで彼女にそんな話をしたのかと、自分がバカだ
彼女がそう言う事を話せる相手じゃないって事くらいわかっていたのに
私はよほど「話」がしたかったんだろう
私の中にいまだに夢は転がっているのに・・・・
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という友からの手紙を今読み返すと彼女の迷いや失望がよくわかる
だがその頃社会人として働いて新人から一歩出ていた私は
社会というモノの曖昧さや「ずるさ」に失望していた時期でもあった
利益を生む事に参加していると正義とは「儲かる事」なんだよね
そこには個人の意思と言うものは無い。同僚達と青春(死語 笑)を
謳歌していた反面私もついには職場で「同志」を見つける事は
出来なかった。それは他の職場でも同じだったし、母親となり
そういう地域の仲間の中にも「いなかった」
私の仲間探しは育児ネットワークで始まった。近くにはいなくても
全国には同じような「変人」はいそうだった。時折回ってくる
ノートや会報は本当にうれしい物であった
子どもも育ちメンバーとも疎遠になっている今、私はまだ「探している」
まあその手段のひとつはHP何だけど・・・
今日友人にメールを出そうと思う。この手紙の彼女である
何十年経ってもきっと・・・・・・・・・私たちは・・・

(1981年 20歳)
人は一人では生きてゆけないようにと 神は造った
愛する人が恋人であっても 友であっても
足元にまとわりつく子犬であっても 神であっても
・・・そして・・・鏡に映った自分であっても
人は一人の空間で決して呼吸する事は出来ない
喪失感 人はいつもそれと共に生きている
愛を無くす事 友情に裏切られる事 時間の無情に泣く事
神に見捨てられる事・・・自分を疑う事
それはいつも影のように自分の一番大切なものの後ろに
隠れてついてくるのだ
私は怯える
今手にあるものが明日消えてしまうかもしれないという
思いに・・・子どものように怯えている
一生持ち続けられるかもしれない
明日失うかもしれない どちらかは誰も知らない
なのに私は失う恐さに負けている
人を愛したくはない 誰も失いたくないから・・・
自分さえも 信じたくはない 
自分が何も出来ない木偶の棒だと 鏡にそう映るのを見たくない
神・・・神ならば愛してみようか?
実体もない 愛もない 悲しくもない 決して人を愛さない者
失っても恐くはない なぜなら・・・
愛も 悲しみも 夢も 何もかも越えて何もない高みへ・・・
それこそが神だから
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若い頃私は怯えていました 毎日楽しかったし、何故?
それは正体のない不安というモノで明日のビジョンが見えないと
悩んでおりました。安定していませんでした
神探し(信仰を求めた)をしていた時期でもあります
聖書を始めとして自分の居場所としての信仰を探していました
でも、何かが違う・・・自分のしている事はただの逃げである
敵の正体がわからないから、とりあえず誰かの巣に隠れよう
そんな感じです。私はいつのまにか脱出しました・・・
↓1984年メモ(23歳)
現実と戦う方 辛く素晴らしい現実の世界
それを教えてくれたのは ひとつではないけれど
幾多の科学 幾多の文学 そういうモノに触れてきた事
それは・・・全て人の手によるものだ
そして自分を誕生させた者 私の今まで関わった者
彼等も全て「人」なのだ 傷つけ傷つけられても
愛し愛されても 全ては「人」
私は神に何をされてもいない 全ては人の手による魔法だ
そんな風に思うと現実から逃げて 神の隠れ家に行く事は出来ない
例えそこが安住の地であっても 
そして現実は魔界であっても 人は戦って生き延びるのだ
血まみれの肉を食らい、幾多の屍を踏んで、自分もまた踏まれ
そうして到達する所には、他でもない「私」がいるはずだ
戦おう 誰にも庇護してもらわずに 自分の足で歩き
自分の手に剣を取って戦うのだ そう・・・戦おう
私の、私だけの人生を!
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打って変わって81年とは吹っ切れた文です まあ前向きでして。
実は今のダンナと知り合ってるんるん♪だったんです(笑)
いえ、これあながちウソでもないですよ
目の前の異性にトチ狂ってもう世の中バラ色でした はっはっは
マサカ後にケッコンしてビンボーまっしぐらとなるとは
思いませんでしたが(笑)まー私は金には一生縁がなさそうです