昔のノートから
30代 90年代 母親の日々
1999年(最近じゃん!)みんな何かに悩んでいる 生きる事に苦しんでいる
私たちのこの世代 ちょうど人生の半分まで来た何が良いか 何が悪いか
少し見えてきた年になって
その「悪いこと」ばかりが 心に残ってしまうこんな事なら 何もわからないままでいたかった
人が子どもでいたいと願うのは そのせいかもしれない苦しいよ 辛いよ 泣きたいよ
そう叫べるのが 若さの特権ならば
全て我慢して生きる大人とは なんて哀しい生き物だろう人生の半分
これからはもう下っていく山道なら
その切なさを覚えていよう 生命つきるまで・・・終りがあるから人生は楽しいのだから・・・
BGM: GENIUS OF LOVE BY.TOM TOM CLUB
トーキング・ヘッズの「ヘッド」たちが作った特別ユニットで
これは1982年版のLPレコード 今聞いても別に違和感は
感じない。センスの良さはすごいなー。遊び心のライト・ダンス友達からの手紙
10億年後に地球は滅びるって知ってた?
もうこれは必然で一般常識らしいです
私は知らなかったんで世界観が変わってしまいました
太陽の熱が強くなって金星のように焼けただれて生物の住めない
星になるそうです。10億年後にはみんないなくなってしまうのです生命の行く末を垣間見ました
結局は滅びると言う結末が用意されている事を知り
永遠の命なんて言う宗教はなんて嘘っぱちなんだろうとか
核実験なんかも,この秘密を知っていてどうだっていいやと
やったのかと思いました。もしこの事を世界の人が知ったら
捨て鉢になるかますます愛しくなるか,どっちだろうかと
グルグル思い巡らせてしまいましたと言う手紙をもらって考えた,返事の構想・・・
宇宙の生と死 わたしたちはは絶望するか?
宇宙は生と死に満ちている
10億年後に地球は滅びる。でも太陽系そのものも50億年後に
消滅します。太陽は大きくふくらみ,地球を飲みこみ・・・
SFマニアな私は,子どもの頃から太陽系から人類が脱出して
銀河系へと広く散ってゆくという夢を描いてきました
基本的には大人になった今も,この考えで地球は亡くなる前に
人類は何とかなるかもしれないと楽天的に考えています
もし(本当は百パーセント近いけど)だめで地球といっしょに
死ぬ運命だとしても,だからこそ生きてるっていいなあと思います人間が生まれてきた事が奇跡で宇宙の中ではほんのひと時の
幻としてもなんて美しい夢なんだろう!
地球は本当に宇宙の奇跡です
ここに生まれた生命,人間もまた奇跡
毎日を悔いなく生きたいですね宇宙の生がビッグバン説がポピュラーになってきたけど
その爆発が1回きりなのか、それとも爆発・膨張・収縮・爆発と
繰り返されるのかまだわかってはいない
私としては宇宙は永遠と思いたいので繰り返し説が好きです
さらに,宇宙の外には更なる宇宙があるぞ説や
多元宇宙説などなど夢のある説が好きですね
仏教のバックボーンが日本人にもちょっとはあるから
輪廻転生,宇宙繰り返し説が好きなのかもしれない子どもの頃は夜空の星に泣けた事がありました
星は遠い恒星,太陽なので地球に光が届くのに何万年もかかる
星(何億光年も)も多くて,今見ている星は,とっくの昔に
消滅して今はもう存在していない星かもしれない
実体は消えたのに光だけが地球に届くこの不思議さ
亡くなった人の楽しい思い出のようで,涙が出ましたあんなに美しい星たちが今はこの世にないのなら
なんて悲しいのか・・・それとも悲しい運命だから
星はあんなに美しいのか・・・・・神とは?私にとって「宇宙」「生命」かな?
星を見上げるたびにどんな哲学も理論も宗教もぶっ飛んで
言葉を越えてしまうのですボイジャーのはるかな旅(’96年のノートから)
太陽系の惑星を巡る使命を終えたあとはボイジャーは
長い旅に出る。カール・セーガン「惑星から」にこんな文がある弱いながらも太陽の重力にとらえられている膨大な数の彗星の群れ
これをオールトの雲という。(これをもって太陽系の境界と
するならばボイジャーは太陽系を抜けるのに二万年はかかるだろう
そこでやっと太陽系に別れを告げ第二の旅が始まるのだ
銀河系を廻りつづけるボイジャーは10億年あるいは
それ以上の間そのままの姿を保ちつづけるだろうボイジャーを打ち上げたあとに私たちは自滅しただろうか?
それともさらに発展しただろうか?ボイジャーはとらえられる事はないかもしれない
50億年の間近づくものはいないかもしれない
長い時間である
人類は絶滅するか,太陽も進化して地球を焼き上げて
しまったかもしれない。
二機のボイジャーはすでに無くなった天体の思い出を
身につけたまま飛びつづける事だろう・・・以上「惑星へ」から引用
ボイジャーの孤独に私は泣いた
群れとはぐれた鳥の様に,さまよい続ける銀色の翼
この涙は何の為?
ボイジャーの孤独に?宇宙の広大な無情に?
人類の定められた終末に?彼こそが,全ての人間の罪を背負って
「天」へと登っていくキリストに見える
彼は人間を愛したか,人間を許したか私たちはどうしてこんなにも辛い計画をしたんだろう?
答えがあるのなら知る事が出来るのはボイジャーたちだけだ
でも私たちの終わりを知る事もまた必要なんだと思う孤独・・・50億年の孤独
それでも夢や希望のかけらを乗せた箱舟は
飛びつづける100年カレンダーなんていうのがたまにある
でもたぶんその中の日には自分の人生の終わりなんかが
あるのでイヤだという人もいる思いきって千年カレンダーはどうだろう?
ボイジャーは億年カレンダーだ
その中に書かれるのは人類の死、地球の死、太陽系の死
でも自分の決して見られない風景を人は想像できる
学問とはそうしたものだと思った
命の告知は辛いけれど残りの人生をより良く生きる為に必要だ。
地球の余命,限りあるからいい思い出にしたいよねウラシマ太郎
むかしむかしウラシマ太郎という漁師がいました
心やさしい太郎は,いじめられていたカメを助け
竜宮城へ招待されました
それは光速の彼方でした
三日ほど太郎は美しい宴を楽しみ,帰路につき
お土産に美しい箱をもらいました村へ帰るとなんだか村の様子が変でした
お父さんもお母さんも,村の人も
自分の知っている人は誰もいません
山や野原は同じように美しかったのですが・・・ふと歩いていくとありました!
太郎の家が!でもずいぶん新しいようです
その時家の中から男の子が飛び出してきました
家の中から声がします
「太吉,危ないから川へは行くんじゃないよ」
それは太郎のお父さんと同じ名前でした
どこかで見たなつかしい顔を
小さな男の子は持っていました「おじちゃんだあれ?」
太郎は子どもの頭をなでて涙ぐみました
涙はとめどなくあふれました海辺に帰るとお土産の美しい箱を開けました
長い年月はゆるやかに太郎の内部を逆行しました
青年の太郎から,少年へ,赤ん坊へ
そして胎児へ・・・・・
そしてそれぞれの細胞へ・・・・・
今まさに太郎は時間と合流できました
時の旅人だけが知る「あるべき世界」へと海辺には空っぽの箱だけが
波にさらされていました光速に近づくと,その固体内部の時間はおそくなる
ウラシマ効果の話を発展させ
では光速を越えると?時間はどうなる?
理論上未来へは行けると言う
過去へは行けないし行けたとしても
重大な事はタイムパラドックスなんて考えるとウラシマ太郎ってすごい話
ムスコが言った「ウラシマ太郎ってヘンだよ」
ウラシマ太郎の絵本を見ていた(お前何歳だ!?)
何故か聞いたら「乙姫様の玉手箱って、決して開けないで下さい
ってさあ、じゃあそんな物何でくれるんだ?って思わない?」
あーなるほど。それは・・・そうだ
思えばウラシマの話は意味深である。浦島太郎は御伽草子の中の1話である。よく考えてみると伽とは
お殿様などの夜のお相手の事である。あのアラビアン・ナイトも
シェラザードは王のお伽の相手であり、エッチの後は殺される
はずだったのをワクワクする話しで、王の気を変えさせたし
現在伝わっている子ども達の絵本の数多くは「夜のお話」だったに
違いない。そう考えると童話・民話の類はちょっとエッチ(笑)ウラシマ太郎(もうひとつ 別作品)
男は海を見に来ていた。彼は漁を生業としているので
海の様子を見る事は仕事の一環なのだった
男の名は太郎。老いた両親と細々と生計を立てていた今日もおだやかないい日だ。そこそこの漁はできるだろう
そう思って引き返そうとした時だ
どこからか若い女の悲鳴が聞こえてきた耳を澄まし声の方向へ走ると、そこには数人の男達が
美しい娘をはがいじめにし、乱暴を働こうとしていた
太郎は力自慢ではない、ましてやあの連中は有名な荒くれ者
太郎が割って入ってもひどい目にあうだけである
見ぬ振りをして立ち去ろうか・・・しかし、あまりにも女の姿が
美しく、目に焼き付いて離れなかったそこで太郎は一計を案じた「オーイ」男達に声をかけた
「何だ?邪魔をするとただじゃ済まんぞ」
「いや、その娘の事だが、知っていなさるかね?」
「何を?」男達は怪訝そうに顔を見合わせた
「その娘は災いを呼ぶといって、綺麗な顔で男を呼んで
病やら不幸やら呼ぶという事で色んな村を転々としているらしい
手篭めにしたり傷つけたりすると、祟るそうな・・・」
屈強そうな男達は手を止めた
「ふん、そんなもの信じちゃいねえが、興ざめしたわい」
狼狽を隠して退散していく様は太郎にはおかしかった娘は太郎に礼を言った、太郎は娘の家まで送っていった
すると、そこは大きな屋敷で娘は一人娘だった
大きな屋敷、美しい娘、年頃の太郎の心が動かぬわけも無い
数日の滞在の後娘を太郎は結ばれ、新婚の日々が過ぎていった
やさしい妻、生まれた子どもは愛くるしい・・・至福の生活 太郎は老いた両親の事を忘れて、幸せに埋もれていった
ある日太郎は心の底にあった両親への思いを口にした
「親を引きとってここで暮らしてもいいかい?」
妻は何も言わず微笑んでいた太郎は両親を連れて来ようと、村へ向った
そこには変わらぬ村の風景があったが太郎の家は無くなっていた
「おとう!おかあ!」太郎は駆け出した
丘の上に小さな墓があった。父と母と・・・そして太郎
村に向かって歩くと幼馴染の男がいた、声をかけようと手を振ったが
太郎に全く気がつかない。男は太郎の墓に手を合わせると
家路につき太郎は後をつけた「ただいま」
「お帰り また太郎の墓?」
「うん 太郎が殺されてから あそこのじいさんも、ばあさんも
気弱になって、死んで、本当に・・・なあ、気の毒で」ああ、そうか。太郎は悟った
本当はあの時海で暴漢に殺されたのだった
彼らは酒を飲み誰でも良かったのだ 誰であっても傷つけたかったどうして自分が?
太郎は悔しかった。まだ俺はやることがあったのに・・・
老いた両親を面倒を見て、そのうち器量のいい嫁をもらって
可愛い子どもを持って・・・まだ・・・まだ・・・死にたくない!美しい妻と子ども、夢のような屋敷
それは彼のこの世の未練が見せた幻だったのだ
振り返ると両親が立っていた
「太郎待っていたよ。きっと迎えに来てくれると思っていたよ」
「うん、待たせてごめん、いい嫁をもらって、孫もいるんだよ」
両親の手を取ると太郎は帰っていった
妻と子どもの待つ永遠の幸せの中へ・・・**********************************
生きている事は時として地獄である、辛い目にあったとき
人が死にたいと思うのは、死に楽園を求めるからだろう
死ねば楽になる、死ねば天国へいける、死ねば・・・・と
しかし死ぬことがただのピリオドだと認識する時の辛さは
生きて辛い時の何倍も辛いに違いない私達は思う 生きていたい、例え地獄であっても、と・・・
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日本人は悪魔などよりも幽霊の概念の方がなじみやすい
それは、対人関係を重要視した村社会の日本ならではだが
もうひとつ、霊という(魂でもいい)概念は
短い寿命と、苛酷な労働にあえいだ民の「願い」もあったんだろう
生きている今が辛くても、辛い分だけあの世で幸せになれると
考えれば、がんばって生きてゆける思えば信仰というものは人の生きてゆく為の支えなのだ
神でも仏でもナスでもカボチャでも何でもかまわない
その人を精神的に支えるものは必要なのだ・・・要らない人はそれでいい。もちろん。
ある人が「ダーウィンの進化論を信じているか」と聞いた
その人は宗教上の理由で進化論を否定している
彼女は私に「自分の祖先がサルだって事でいいの?」と言ったサルでもいいジャン,私は答えた
単純なタンパクから微生物,魚類、両生類,哺乳類,人・・・
人の祖先がサルでもトカゲでもかまわない
進化論が正しいならばすごいと思いませんか?
(ミッシング・リンクなど怪しい所もあるけど)
利己的遺伝子説なんかも耳にする、そうした
自然淘汰の結果生き残ったのが今の生物ならばすごい偶然かも神が形あるものとして存在して教えを説く,そう信じるより
あるがままの現実をすごいなと思い、人の技ではどうしようも
無い現実に「負け」を認める潔い感覚が欲しい神は「サルが嫌いだ」とおっしゃったんだろうか?
ちなみに私はサルは嫌いだ。でもサルでもゴキブリでも
生命の不思議さと,つながりは考えると,どきどきするなんで宗教者は科学が嫌いなんだろう?
例えば足し算・引き算は便利な概念・方法だ
でも250円のおかしを買って1000円出して
750円のおつり・・・このテクニックは一日で出来た事ではない
人は火を使い,道具を作り、言葉を獲得した
やがて文字が出来・・・・・算数はその先の「進化」じゃないか!
十進法はもしかして人の指が5本だったからだろか?
人の指が7本だったら14進法だったのか?
ちなみに二進法というのは私はちっともわからない
なんて不便なんだ。でもキカイはこの概念しかないらしい面白いよねー算数。全然出来なかったけど!
癒される場所
田舎になじめない、と言って転勤先から帰ってきて
落ちこんでいた人がいた。いい空気,環境抜群、と言われる所
しかしその人には「合わなかった」のだ都会に生まれ・育った人は,汚れた空気,雑音さえも
故郷の記憶なのだ。どこまでも青い空が人を不安にさせる
そんな事はあるのだ。*************************************
私を深い闇の中に
置いていって下さい
泥にまみれた私が本当の私泥の中でしか呼吸が出来ない
そんな生き物はいるのです人の足元にいる私
多くの靴が私を踏んでいく
でも
どうか私を摘まないで
ガラスの器に活けないで闇の中で生まれた命は
死に場所は決して光り輝く場所でない事を
幾人がわかってくださるでしょうか・・・(2001・3・23 39歳)