ノンフィクション 科学
アリューシャン黙示録 母なる大地父なる空
スー・ハリソン 河島弘美:訳 晶文社
紀元前七千年氷河期のアリューシャン列島を舞台に
ひとりの少女がたくましく生き抜くさまを描いた小説だが
それだけならただの物語に過ぎない。これは考古学や人類学
アリュート語などアメリカ先住民族の6つの言語などを
学んだ作者ならではの緻密な当時の人の生活の描写が
とても新鮮でまるで映画を見るように頭に投影されるのだ
13歳の「黒曜石」と言う名の少女はある日村を襲撃され
ひとり生き残る。その後「古に遡る」と言う名のシャーマンのような
老人と出会い生き延びる決意をする。「殺し屋」という男に
妻になることを強要されたり、子どもを産んだり・・・
しかも極寒の土地で、あらゆる知恵を使い生活しつつ・・・である
13歳とはかくも大人なのか。そうかもしれない。
文明の成熟度で大人になる年齢は変わる。今大人といえるのは
何歳からだろう?20歳などと言うのは、絶対にないだろう
下手をすると30歳40歳でも未熟である
50年前、100年前はきっと日本の「大人」はもっと若い年齢
だったに違いない。これから文明が(人類が滅びず文明が発展すると
仮定して)発達して未来は・・・もっと大人になるのに時間が
かかるかもしれない
彼女の村を襲撃した「短身族」はなぜ襲ったか?
本当は人というのは人を襲わないものだ。なぜなら食料にはならないから
しかし「短身族」は人を殺すと動物の殺戮と同じように
殺したものの力がもらえると信じてそうやっていた
無意味な殺戮。無意味な信仰。これらは今現在の世界情勢となんら
変わりはないだろう。人が人を殺す時意味があるとすれば
搾取(食べるために奪う)、憎しみ、快楽、信仰(それが正しいと
信じて行う)などである。それを思えば現代人の精神性熟度は
案外低くて法や道徳と言う不便なもので縛ってもらわないと
どうしようもないのかもしれない(それでも制しきれない現実)
物語で残忍な「短身族」のひとりが返り討ちにあって死んだ
それを「古に遡る」はこう考えた(遠くまで見えると言う男)
<遠くまで見える>はアザラシやセイウチを追っているべきだった |
そう・・・殺戮からは何も生まれはしない
さんざんイスラエルとアメリカに非難されてアラファトも切れた
それはそうだ。アメリカがパレスチナにもう少し援助したら事態は
変わっていただろう。そのニュースを見て「短身族」を思い出した。
一方で「名前と言うのは大事なものでめったに人に明かしてはならない
なぜなら名前を知ると言う事はその人を支配するということに
つながるからだ」という文もあった。この考えは日本でも世界の
あちこちにも見られる考え方だ。面白い。言葉に魂が宿る・・・という
概念はとてもロマンティックでイイと思う
私が「りん」と言う名をここで書く。ネット上に置く
すると私はネットに支配されているわけだ・・・・・・
物語上の名前もドラマティックだ
黒曜石、古に遡る、殺し屋、筋肉、赤い実・・・などなど
親が子どもに何かを願ってつけるという命名本来の意味を考えさせられる
そういえば皇女さまって「愛子」さまだった・・・
女性と言うものの意味も考えた。女性は子どもを産む道具と
現代は皮肉に言われるがまさに貴重な「子どもを産む道具」だった
男はいい女を妻にし子どもをもうけるために狩にせいを出す
腕がいい狩人は評価も高い。一方女性は健康だとか細工物がうまいとか
何がしかの付加価値で選ばれる。古代は現代よりも厳しかったかも。
狩もしない意気地なしの男や、体の弱い器量も悪い手先も不器用な女
などは社会人として論外なのだ。耳の痛い話しだ
落ちこぼれを養う余裕は古代社会にはないから。
ああ、現代で良かった。私なんて捨てられてる、あ、でも健康だけど?
この物語は伝承なども考慮してあると思うから言い伝えを調べるのも
後からの楽しみだ。何よりも読みやすい。上下2冊になっているのに
一日で読めた(しかも会社の通勤と帰宅後の数時間で!)
イヴの七人の娘たち ブライアン・サイクス
大野晶子:訳 ソニー・マガジンズ
ミトコンドリアDNAの解析により現存する人類の「母」がいると
わかって久しいが、では今の人類(人種)の母は??
つまりミトコンドリア・イヴのさらに子孫とはどういう女なんだろう?
これがこの本のテーマである
ミトコンドリアDNAは母系遺伝だと言う
つまりミトコンドリアDNAは母親のみ、から受け継がれるのだ
人は全て「女」から生まれた・・・ああ、良い気分(笑)
系図と言うのは代々どこの国でもほとんどが男系である
ところが・・・人類というファミリーをたどるには母系の図が必要なのだ
興味深かった話がもうひとつ書いてあった
全ての女は人類の始祖になる可能性がある
娘を二人生んだ女は将来(5万年くらい?)その子孫が地球に栄える
(かもしれない 笑)現在のゴールデン・ハムスターは
たった一匹の子孫だと言う。しかもそんなに古い話ではない
人は必ず死ぬ,その後何を残すか?
子孫(こども)と答える人も多かろうが遠い未来もしかして
地球上に自分の遺伝子を持った人間が広がっているかも、と想像すると
ドキドキもするだろう。さて・・・地球を覆うくらい栄えるならば
遺伝子に恥じない生き方をしたいものだ
あー,しまった。私は子どもはひとりで,しかも,オトコだった・・・
なぜオトコにこの遺伝子が受け継がれないか、というと
突然変異のサイクルが一番安定しているのがミトコンドリアらしい
変異のサイクルの早いオトコは調べるのに大変だそうだ
うーん,オトコってDNAまで浮気モノ(笑)
オトコが家系や自分の血にこだわるわけがわかった
女は何も要らない。自分の細胞のひとつひとつにヒトの記憶を持っている
なんちゃって。ああ優越感 (^.^)
ひとつの疑問。骨髄移植などでも問題となるHLAなど
遺伝子の型と言うのをよく聞くが,どういう意味だろう?
ヒトの起源をたどるDNAはその中の一部に違いなかろが
素人はぜーんぜんわからないので,私なりに解釈をしてみた(アヤシイ)
例えば国際郵便の住所は国から番地まで書く
日本,東京都、東京町、東京村119−110と言う具合だ
移植などでは多分119−110くらいまでの住所が必要で
人種などは東京町くらい・・・で、その人種の祖先となると日本
と言う感じだろうか?DNAの全てを一致させる事はなく
たぶん人種の起源などは大きなカテゴリで判定するんだろう(と思った)
これを読んでいると自分の、日本人の系図をたどってみたくなる
うさんくさい家系図なんかでなく、肉体の真実の歴史、を・・・
日本人はどこから来たか、とはいつも話題になるのだが
やはり民族のルーツは知りたくなる
サイクス氏によれば日本の母というヒトもいるらしい・・・
ところでこの本は後半世界に広がった七人の娘をフィクションで
綴っている。なかなか素朴な物語風にし上がっていてセンスを感じた
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ひとつ気になったのはここまで解析できると言う時代だから
以前から危惧されているように遺伝子レベルで差別が起こる可能性も
あるとおもう。それは阻止したい事ではあるが
避けられない事かもしれない
クスリには効能と副作用があるのだから。ただし副作用は緩和されるよう
努力しなければならないとは思うが・・・
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たったひとりの母に
今の子どもらを見せられようか?
兄弟で憎みあい殺しあう
流される子どもらの血
母はきっと泣いている
たくましい母の血肉が
子どもらを大地いっぱいに送り出した
それは、子どもらの血を見たかったんじゃない
大地に、血を流すためじゃない
見たかったのは微笑み、聞きたかったのは笑い声
憎しみが、また、憎しみを呼ぶこの世界で
母の泣く声は届かない
Newton 2001・8
特集が「男と女のサイエンス」であった
まあ、なんてタイムリーなんでしょ
「ボク通」では下ネタの流れだったので・・・
(おいおい ニュートンは下ネタなんてないぞ! ハイ)
注目なのは3人の遺伝子を持った赤ん坊の誕生、と
同性愛遺伝説、多数の性別を有する生き物などなど・・・
3人の遺伝子をいうのはテレビで聞いたがガセネタかと思った
しかし、事実は父親の精子と母親の卵子と、さらに母親の
卵子の中に第三者の女性の卵子の細胞質を注入したという
細胞核以外でDNAを持つのはミトコンドリアで、それは普通
母親から受け継がれるものであるらしいが、このケースでは
卵子提供者のミトコンドリアが入ってしまった・・・
という事は通常子どもは例えば「顔はパパね、性格はママね」
なんていう感じなんだろうが3人の遺伝情報とは?
「頭の良いのはパパ 眉毛はママ1 鼻はママ2ね」って?
女としてはフクザツな心境だ。だって自分とダンナの遺伝子の
「愛の結晶」のはずが第三者の女が入ってるとは・・・
なんかダンナが浮気をしたようなミョーな気分(笑)
自分の子を可愛がっているのに「よその女の子ども」?あはは
実は大変えげつない想像をしていた
基本的にどんなに女性が浮気をしようとも生まれる子どもは
たったひとりの男性の遺伝子情報であるはずだ
100人とエッチしても生まれる子どもの遺伝子はひとつ・・・
だから始めは3人の遺伝子と聞いて「ありゃ?浮気で混ざったの?」
という半分ジョーク半分真面目に考えていた(あきれないで下さい)
ちなみに私の中でミトコンドリアのイメージはすこぶる悪い
これはあの「パラサイト・イブ」を読んでからだ (^^ゞ
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性別がたくさんあるというのは何となくわかる(汎用性!?)
あらゆる事態に備え単種は打撃を受けたら致命的・・・
人も男女だけでなくオカマ、オナベ、などなどバラエティーが
ある方が良いかもしれない
そうそう。以前海水魚を飼っていた時、クマノミという魚もいた
これが両性具有なんだ!年頃になると男女に分化・・・
する予定が両方オスになりケンカして傷から死んでしまった
よっぽど相性が悪かったのか?人間に生まれてもこいつらは夫婦でも
短期で離婚か暴力沙汰でワイドショーに出たかもね
という私の文のようなくだらない本ではない。ニュートン誌は
ハッブルの最新の写真やアフリカ古代都市の写真など
グラフィックも美しい。ぜひ買ってみてください
いのちの始まりと終わりに 柳澤桂子 草思社
生命科学者であり大病を抱える筆者は私は好きである、その新刊
受精卵など、どこからが命といえるのか、体外受精や延命など
色々な話題を投げかけている
さて、中で知らなかったのは通称AIDと呼ばれる非配偶者間の人工受精だ
これは男性に受精能力が無い場合、第三者の精子を取りだし
妻の子宮に着床させる事である。しかしその精子の提供者は主に
医学部の学生であると聞いて何となくビックリしている
思えば若い肉体からの精子の提供のほうが、受精にはいいだろう、が
それはその人の精子(遺伝子)が世界のどこかで子どもとして誕生して
「生きている」という事である。うーん・・・
私はそれでも子どもが欲しいと熱望するならばかまわないと思うが
子どもは自分の出生を知る権利があると思っている
倫理上、システム上、問題はあろうが精子の提供者は子どもに将来
伝えるような事はできないだろうか?ほとんどがAIDで自分が生まれたと
知らないらしいから、今更知らせる事は良くないのかもしれないが。
でも・・・AIDで生まれた子どもはもう日本にたくさんいるだろうから
これはかなり大変で、私の考えは浅はかであるとわかってはいる・・・
が、自分の親が育ての親で生みの親がどこかにいるとする、その時
あなたは生みの親(遺伝子の親)を知りたくはならないか?
もうひとつは夫婦間の問題である。妻は自分が生むし、自分の卵子なら
「自分の子」だが、夫にはそうではない。遺伝子から言うと「よその
オスの子」である。柳澤氏が夫婦の長期的なカウンセリングが必要と
書くのはまるほどと思った。長期的・・・そう、子どもが成長するにつれ
父親とは似ていない事がはっきりしてくるのだ。これに耐える夫とは
とても忍耐強いと思う。再婚相手の連れ子や妻の浮気の子・・・と
比較するのは下品な話かもしれないが、そのくらいインパクトは強い
不妊カップルにクローン技術を導入。夫のクローン人間を作るという
計画がニュースになっているが、これは100%夫の遺伝子だが
産むのは妻・・・一見いいようにも思うが「借り腹」的にも思える
まあ女性は良く言う「あなたの子が欲しい」でも、ホントウは
普通半分は自分の子なのである・・・自分の遺伝子がゼロの子を
女性は産むんだろうか?そして長い育児をするんだろうか?
それ(人工受精)と、養子はやはり別物なんだろうか?
でも、これは子どものいる私が言える事ではない。
子どもの欲しい人の心は察して余りある・・・
そして人は望むものを手にいれる権利があろうから・・・
ヒトゲノムビジネス 中原英臣 小学館文庫
遺伝子情報から得られる事がどういう産業で使われるか
を雑学いっぱいに教えてくれる1冊だ
ヒトゲノムというと昨年クリントン大統領が解読を終えたと
宣言したのが印象に残っているがヒトゲノムって何だね?
アメーバかね?というスルドイ質問を投げたのはうちのじいちゃん
であった(笑 ムスコも似たような質問であった)
ヒトゲノムビジネスの有望株はもちろん医療産業である
中でガンは巨大マーケットとなる。文中ガンについての部分もあるが
ガン細胞は(ガン遺伝子)人が必ず持っていると聞いた事があるが
なぜそんな要らない厄介モノが存在しているんだろうかと
普段から疑問であった、が、この本に答えがあった
ガン遺伝子は人が生きていくための細胞の増殖に欠かせないもの
だったのである。成長遺伝子と呼んでもいいかもしれないと
著者は書いていた。なるほど。不死の可能性を秘めたガン細胞
ずっと増殖し続けるガン細胞、それは死の細胞でなく生の細胞であった
ロマンチックな話ばかりではない。とかく金がかかると純粋な学問は
存在しなくなる。金になる学問にばかり力が入るだろうし
特許を取ってしまうとどんなに貴重で有意義な、広範囲に使いたいような
モノであっても高額な使用料を払うとなると一部の金のある企業などが
その学問を独占してしまうのである。うん・・・命も金で買うのだ
全然関係無くて申しわけ無いが、カルテと言うのがある
あれは病院の機密で本人でさえ自由に見る事は出来ない(らしい)
最近はカルテを添付してくれる医院や、要求があればコピーを
くれる所もあるが、基本は病院のデータである。それってなぜ?
自分の体なのに?シロウトはそう考えるのだ。うーん、なんで?
以前テレビでこんなことをいった医師がいた
「ふつうビデオを買っても製造過程を教えろと消費者に言われて
教える企業がありますか?無いでしょ?医者も同じです
運営上の秘密は漏らせません」うーん・・・でも、自分の体でしょ?
何されたか知っておきたいんだけど。
2001・4・18文藝春秋5月号に「これでいいのか子供の教科書」
とあったので買ってしまった。中に国語の教科書が
面白くないと言う意見があった(中国文学者 高島俊男氏)
ふと手に取ったムスコの国語の教科書(小学5年)
うーん、確かに面白くない。子どもの読める薄さなのに
とっても苦しい。全然わけのわからない生物学やコンピュータの方が
読んでて楽しいのは何故だ・・・わかるはずのモノがツライとは?私たちの頃よりも大判で薄くカラフル。なのにどうして?
(私たちの頃ももちろんつまらなかった)
私は国語は大嫌いだった。点数を取るには数学よりも
高得点を期待できたが、それはあくまでもテクニックなのだ
先生が求める理想の解答を予測する、ただそれだけ。
国語と言う教科で何か大切だったものはあったかと
問われれば「ひらがな、カタカナ、漢字」と「ローマ字」
あとは漢文、古文が少々・・・と答えるだろう高島氏も書いているが現代国語ほどクソつまらなかった教科もない
私は高校で文芸部、さぞや国語は好きだろうって?
さにあらず。家庭科の次に嫌いだった(笑 家庭科がダメな女!!)
小説や随筆の断片を載せて何が面白いのか?
今は教科書を薄くしようという傾向らしいが、本というのは
ぶ厚くても面白いものは一気に読んでしまえるし
つまらないとペラペラの薄いものでも辛いものだ私のお気に入りだった遠藤周作の「沈黙」が教科書に載ってて
正直怒りまくった。たった5ページで何を身に付けさせようと?
ただし、ことわざや慣用語など、そういう物は頭の柔らかいうちに
摘め込んだ方がいいと思う。どうだろう?抜粋の文章なんて
スーパーの試食品くらいのものだ。思い切ってある程度の読書を
ノルマとして読ませる方がいいんじゃないだろうか?高島氏もいうように文学は芸術科目であって国語なら
外国語のように文法などテクニックを学ばせ「文学」は別科目にしたら
いいかもしれない。文字から読み取る感情というものは人によって
絶対違う世界だと思うから・・・そう言えば文藝春秋に教科書検定は検定中に海外から
批判されたわけだがどこでどう漏れるのかとあった
なるほど。どちらにしても問題の教科書を含め
今の教科書と言うものを読んでみたい。
学校に指定しない書籍なら一般販売してもいいんだろうから
ぜひともオープンに検定に落ちても販売してほしいものだ
(検定合格後はどこの本屋でも割りと手に入る)読んでないのに悪いかどうかわかりはしない
それと誤解があったが日本ではあくまで民間に自由を与えた
教科書で中国や韓国は国定教科書だという
フーン。知らなかった。毎日読まされる本だから
ぜひとも手に入れたい物だ(中・高向けの。小はあるからね)******************************************************
文藝春秋にはアーサー・C・クラークのインタビューもあった
わーい。オマケが当たったようで嬉しいクラークの話の中で「私は今までに未来を予言しようと試みた事は
一度もありません。私が試みたのは既知の事実の基ずいて
これから起こりうることを客観的に予測するということです」
「予測という行為自体は自由です。しかし、それと正確な予測をする
事とは全く別の事です」予測というものを私たちは履き違える事がある
地震一つとってもそうだ。長い避難生活を強いられている三宅島の
方たちは専門家の大丈夫のひとことを待っているし
天候一つで泡と消える商売もある。しかし予測に百パーセントはない
限り無く100に近づけるように、と日夜努力を重ねるのだクラークの理論でもう一つ面白い見解はコンピュータと人間の違いは
自己の存在の認識だという。我思う故に我あり、というのが人
コンピュータはその自己の存在を知らない・・・と。我思うと我思う 故に我ありと我思う・・これが正確な訳だと
聞いた事があるが、それが本当ならば面白いかも。真偽は?なんか1冊買っていっぱい入っているのってウレシー・・・
だから雑誌はやめられない「量子論」を楽しむ本 佐藤勝彦 PHP文庫
その名のとおり「量子」についてやさしく書かれている本だ
ボーアという名と「量子物理学」という名は知っている
が、それだけ(笑)しかもSFで読んだのでかなりアヤシイいきなり「電子は粒であり波である」という導入部になんてまあ
勝手な量子ちゃんと思った(笑)読み進むうちに面白いエピソードが。
初めて「量子」を登場させたプランクのエネルギー量子仮説(長い)
は、溶鉱炉の中の鉄の温度を正確に測る為に研究されたものだそうだ
良質の鉄を作るために温度を正確に測りたい・・・なるほど。
それまでは鉄の色で赤いなら何度黒いなら何度という職人のカンで
判断していたそうだ。発展の元はやはり実用ってことだ電子が波である状態は見る事は出来ないそうだが、数式で出るという
なんか素人としては騙された気持ち。科学は仮説と証明が命だという。
これではアブナイ宗教だってば(笑)見られないけど信じなさいと(笑)さてさて「シュレーディンガーの猫」という実験があって
これが残酷。鉄の箱に猫を入れる、そこには放射性物質、検出装置、毒ガス
などの装置が・・・ああ残酷。放射性物質が崩壊すると毒ガスが出る
崩壊しなければ出ない、猫の運命は?
こっから先が哲学的。ふたを開ける前の猫の状態をどう考えるかだそう。
確率の問題というとテツガクは関係ないんだけど、選択肢が2つというのは
「さんすう」っぽいと思った・・・プラスかマイナスかって
はっきりしないと使えないのが「さんすう」の宿命かも。ところで以前紹介した絵本「小さな小さな世界」は
まさに行き着く先が「量子宇宙」だった。150億年前の宇宙の姿が
まさにこの小さい世界。そこから先は時間も空間も意味を失ってしまう
量子の世界は宇宙の過去(未来か?)の旅でもあったのだ
ムスコの本で二度おいしい。もうけた。ちなみに量子・・・と
つぶやく私にムスコは言った「りょうし?お魚とる人ね」あ・・・
PCの日本語変換じゃねーっつーの。人がロマンに浸ってるのに・・・BGM:TO MUCH OF HEAVEN BY.EFFEL65 (やっぱ量子はエッフェルでしょ
?といわずテクノサウンドを楽しんでね)
Newton 2000年7月号 「神の設計図」
ニュートンプレス
創刊号から愛読していました。シロートにもわかりやすくて
キレイな科学雑誌です。何年か購読しなくて(意味はないです
オバちゃんは何かと忙しいから)たまになってしまったけど
このタイトル「神の設計図」にはクラクラっとしました。
DNAをわかりやすく「見せる」ことに感激。
理数オンチの私は理数系への憧れがありますね・・・
(子どもの「さんすう」を教えるのにも四苦八苦)
この雑誌のこの号のタイトルを見ると本当に
神様ってぜったい理系だよ!っと勝手に思う私であった
ちなみに九月号「エマージングウィルス」もすごかったです
恐ろしい,人類の天敵のウィルスも「美しい」と感じました
原始人が電気を見たら驚きと怖れを感じるかも。
神と思うかもしれない。自分を見て確信してます
無知は楽しいですよー・・・何見てもうれしいもん。
数の悪魔 算数・数学が楽しくなる12夜エンツェンスベルガー 晶文社
子どもに買ったんだが早すぎた。面白いが難しいのだ
よく読むと「10歳から100歳までの子どもへ」とあった。
良かった。39歳のこどもでもオッケーだった0と言うのは「発明」された物だったのか。「何もない 存在」
を数で表す事の大切さ。すごさ。余談だが先日子どもの参観会で「算数」だった(小4)
問題が「一辺が8センチの正三角形の中に1辺が1センチの正三角形が
何個出来ますか?」を考える問題だった。ムスコはもがき頭を抱えて
ついに出来なかった。クラスの3分の1の子はできた。
問題は,私だった。出来なかった(恥)32個と思ったのだ
聡明なみなさん,笑ってください。そう,私は面積を出してしまったのだ後から先生が「これは中学2年の問題で子どもは出来なくて
当たり前です。増える数の概念を感じればけっこうです。
もちろん普段はやりません。今日は特別。お母さんの中でも
出来なかった方もいらっしゃると思いますが,大丈夫です
難しいですから 笑」おいおい・・・でも,面白いと思った。
この先生は授業外の「ニュース」なども教えてくれるそうで
「よけいなこと」を教えてくれる貴重な先生でありがたい。家に帰ってドーシテ64か、悩みましたよ。なんで2で割らないか。
(わかったのは夜中であった・・・)
今ムスコと算数をやりなおしている私だ。早くも小2でつまずいた
デシリットルと言う存在を覚えていなかった。何それ?
ムスコに教わった。ムスコも今年5年生・・・算数こわい・・・ところで・・・割れない証明ってどうするんだろう?
どこまでも割っていくわけ?何万桁めでついに割れたらどうすんの?
そうなると無理数じゃないじゃん・・・無理数って無理ッス。 リーマン幾何学はサラリーマン向き
ボヤイの幾何学は何なんだ!とボヤイた
無理数飲むリス・・・書かなきゃ良かったかも・・・
というわけで(どういうわけ?)数学は難しくて楽しい。
2001/2/19
五感喪失 山下柚実 文藝春秋
五感とは視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚である
そんな事言われなくてもわかっている。本当にわかっているか?
失われゆく現代人の感覚をユニークな取材で書き上げている私は犬や猫のマーキングを見ていると匂いはすごい情報を
含んでいるといつも感心する。オシッコやウンチはいつから
くさい物になったんだろう?
本に出てくる「便の匂わない薬」は聞いた事がある
しかし子育て中の今、排泄物の情報は大切だ
便や尿は健康のモノサシだ。匂いは子どもの状態がどうであるか
大事な要因だ。(大人だってそうなんだけど)
子どもが病気の時は吐いたモノをかぶってしまった事もある
くさい,確かに。でもそんな強烈な匂いがまた思い出になる自分の子どもの匂いが好きだ。他人の子ならくさいだけだろう。
夫婦,恋人なども匂いがキライになったら別れの第一歩と
聞いた事がある。匂いは理屈ではない何かと固くつながっている匂いだけではない,五感の話が詰まったこの本を読んだら
森林浴なんてしたくなるかもしれない2001/2/2
火星の人類学者 脳神経科医と7人の奇妙な患者
オリヴァー・サックス(早川書房)色彩を失い白黒しか見えなくなった画家
止まらないチック(飛びはねたり何かの癖だったりする症状
ビートたけしの肩を回す癖もきっとチックの一種
私の息子も緊張すると目をパチパチ瞬きする)の外科医
まるでカメラのように正確に風景を書き上げるサヴァンの少年脳のトラブルによって起こる不思議な症状から
人の能力の神秘が見えてくる普通とはなんだろう。tagLowさんのHPで「赤という色の持つ意味」
と言うテーマがあるが本当に私たちは同じ色を見ているんだろうか?
色彩を失った画家は以前と違うものを見ているのか?
世界は変わったのか?いびつな多面体を見るとき
見る角度で形は変わる。世界はそんなものかもしれない脳みそ関係(?)でもう一冊オススメがある
脳のなかの幽霊 V.Sラマチャンドラン
サンドラ・ブレイクスリー(角川書店)普通の人も想像妊娠したりする
手足を失った人が自分の手足があると確信する
脳は宇宙と同じくらいわからない広い世界
みなさんが生きて思考している,それはすごい奇跡かもしれないあなたは奇跡の存在かもしれない
2001/2/1
地球の秘密 SECRETS OF THE EARTH 坪田愛華
私は生協で買ったんですが,地球環境平和団と印刷してあるけど
小学六年生で突然死した女の子が亡くなる直前に書いたマンガ。
アースという案内人が環境問題を詳しく説明してゆく
この作品はご両親が少数本にして同級生や先生に配ったものですが
広がりを見せ世界中で発行されているそうです
これを書いた後亡くなったという事に何か彼女の使命のようなもの
短いけれど大きなモノを残した事を感嘆せずにはいられません
環境問題を考える優秀な子どもは確かにいるでしょうが
漫画と言う開かれた形で(読みやすい事で多くの人に読まれる
マンガの最大の武器は大衆性だ)表現できる子は少ない
子どもの描いたものといわずに読んでみませんか?
(大学ノート大のいかにも小学生の本でそれもいい雰囲気)
2001・1・23
科学の終焉 ジョン・ホーガン (徳間書店)
科学の必要なくなった世界なんて想像できないし
知るべき全てのことを科学者は本当に学び取れるのか?
と著者は言う。文学的な、哲学的なアプローチで科学を
批評するという(違うかな。うまく言えないけど)
おもしろい試みの本です。書き方がうまいので
本当はむずかしいはずの内容が,けっこう読めます
大物へのインタビュ―もあって一冊で何冊分も楽しめます
(科学版ソフィーの世界,と私は命名)
科学はすでに,文学・芸術・音楽・哲学が歩んだのと
同じ道をたどるだろう。手法について自己反省する事が
多くなりさらに主観的に多岐にわたるものになり
手法にこだわるようになる(リミトジーの終焉より)
物事を深く突きつめるという事は,必ず限界があって
限界が破れないものなのかは,わからないけれど
その時にどう現状を打開するかによって未来が変わりますね
科学者の(あるいはあらゆる世界のプロ)限界点でも
悩みは人の人生そのものかもしれない,と思いました
できないこと,わからない事,完成してしまった事、など
多くの「事」の後どうするか?もうやめて引き返す事も
多いと思いますが「ないかもしれない」限界の壁の小さな
ほころびを探す人もいるでしょう。
そのほころびから,向こうの明かりが差すことを願いつつ
一昨年かった本ですが内容がバラエティーに富んでいて
良く取り出しては章ごとに読んでます
科学エッセー入門としてもいいんじゃないかな?
2001/1/15
科学が証明する旧約聖書の真実
竹内均
ザ・マサダ
トンデモ本のようなタイトルだが
「ニュートン」誌の竹内氏だもの。しっかりした
科学アプローチで聖書を検証してくれている。
エデンの園はどこにあったか
ノアの洪水伝説は本当にあったか、など
聖書も,科学も,トンデモ本も苦手な人も楽しめる
旧約聖書の話のいくつかは
さらに遡ってメソポタミヤ先住民族の神話が
元になっているそうだ。キリスト圏では
あせったんだろうが私のようなものには
意外な接点に感動している。歴史のリンク。いいな。
私は聖書に限らず宗教の文献は
すばらしい物語であり,哲学書であり,歴史書であると
思っているから、こうして聖書と「本当にあったこと」
の接点が検証されるのは嬉しい。
だいたい,神話や伝説,伝承童話などは
歴史の史実にもとずくものが多いよね。
どこから来たか謎の日本人も
天から降りてきたのではなく
大陸のどこからか移住してきたんだろうし
さるかに合戦は、民衆の権力者へのささやかな抵抗だし
その辺が伝承されている昔話を読むのは楽しい。
そう言う同じ「ノリ」で聖書も読むといいよー(^○^)
大きな大きなせかい
かこさとし
偕成社
今,私たちの見ている所から出発して十倍づつ拡大していく
人から家,巨大建造物,山,地球,惑星,宇宙
子どもの本だったがその発送の面白さに買ってしまった.
子どももお気に入りだ.(小さな小さなせかいという本もあるが
子どもは大きい本が好き.私は小さい本も好き.)
最後のページには10の54乗の世界が広がる
私達が肉眼では見えないイマジネーションの世界がそこにある.
姉妹本「小さな小さな世界」は逆に十倍ずつ縮小していく.
それもまた,未知の世界.自分の体の細胞ひとつでも
私達は実は,何も知らないのだ.
子どもの本のよい所
絵がきれいであること.わかりやすい事.
夢がある描きかたが多いこと.
絵本は大人向きなのかもしれない.
絵本の癒しブームもわかる気がする.
まあ私の好みは変わってるけど。