読書かんそうぶん SF
黙示録3174年 ウォルター・M・ミラー・ジュニア
(たぶん早川文庫?うーん、創元推理文庫かも)
たびたび出版社が不明で申し訳ないが、何しろ昔持っていたので
引越しや友人に貸したりして、ずいぶんたくさんの本が消えた!!
(LPレコードもね!)お気に入りもあったんだぞー (;_;)
池澤夏樹の「楽しい終末」を読んでいたら途中でこの本が
出てきた。おお!私は読んだ事があるぞ!と思って読書メモが
ないかと探した。メモというよりも殴り書きが見つかった
なにぶん昔のメモだからどこか変かもしれないが,アップ
核戦争後の地球。修行僧が地下に埋もれた図面を発見する
それは封印された科学(核)の書であった
核に滅びた前文明はそれを永久に閉じ込めようとした
文明は退化してもそれ(核)は人々から消え去るはずであった
だが3781年世界は前文明のレベルくらいまで達し
人々は豊かな生活を謳歌していた。が憎しみはいつの世も
消えることはない。核兵器の復活は必然であった
人が繰り返す愚行・蛮行をこんなに見事に(ザンコクに)書いた
本もなかろう。冷戦と言う時代に密かに地球に蓄えられる核
人は自分の命を絶つ道具をいつも腹に抱えてる
そこまで人間はバカだろうか?その答えがわかる時、人は地上に
生きていないかもしれないが・・・
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うーん。どうしても戦争の話傾向になる(すみません)
案外昔のSF作品はイマドキの社会によくマッチする
それは社会の危機感がいつの時代も変わらずあったということだし
SFは失望と希望の両面の文学であるのだ
最近のSFは科学考証も正確ですごい、が
昔のSFは破天荒で笑ってしまうようなのにすごくエネルギーを
感じる。大砲の弾型宇宙船で月へ行く、どこでもドアみたいな
タイムマシン、タコそっくりの火星人・・・・・・
そんな事あるわけないだろ・・・という人が少なかった頃
世界はけっこう燃えていたのかもしれない
ラジオドラマ宇宙戦争をホントだと思ってアメリカがパニックに
なったりしたオチャメな時代もあった(今はホンモノだもんね、戦争)
大人になると同時に失ったそれらの「未来」を
私はもう一度手にしたいと願う
未来が無いと泣くよりも、未来にドキドキときめきたいから。
こんな時代だからこそ・・・
で、第一歩。ダンナに古本屋でハヤカワ文庫を買ってきて
と命令(笑)まあ早い話もう一回読みたいだけ
イエスの遺伝子 マイケル・コーディー 徳間書店
タイトルだけで選んでしまった(笑)でもまあ、なかなか。
最愛の娘が妻と母親から受け継いだガン体質のせいで
もうすぐ悪性の脳腫瘍に侵されてしまう・・・それを治すには
奇跡の治癒能力を持つ遺伝子を捜す事だった
「イエスの」遺伝子を求めて力を尽くす一方で神の遺伝子を
探すもう一派は巨大な力を持ったカルト教団であった
あなたの寿命を予測します、なんていうゲーム機か、サイトが
あったが現実に医学的にそういう事ができるなら?
病気を予測してそれが治るものならいいが、不治の病なら
ただの死の宣告である。誰が知りたいだろうか?
自分が「短い」命だと言う事を。または自分の大切な人が
そうであるならば。
カルト教団の放った刺客マリアに、主人公トム博士は言う
「奇跡の遺伝子を発見して人の病気を治して何が悪い?」
マリアは言う「それは神が決める事」と・・・
人は神の決めるはずだった寿命を人の手で、伸ばしてきた
それを悪魔の手技というのなら人の文明は全てそうに違いない
火を使い、石器を使い、集落を作り・・・それらは悪魔の与えた
第1歩だったのだ。文明も知識も悪魔のものである、としても
もう私達はそれを手放せないのだ・・・
人は神の子、という考えがあるが、むしろ人は悪魔の子、という
その方がイメージに近いかもしれない
無垢な魂の猿でいたいか、無駄に付いた知識に苦しむ悪魔でいいか
でもきっと人は、無駄に増える知識の甘い誘惑に抗えないのだ
残像 ジョン・バーリィー
(早川書房 SFマガジン1978年11月号掲載作)
世界は恐慌や原子炉汚染によって荒廃していた。その中で一部の人は
人々はコミューンと呼ばれる共同体を作って生活していた
中でも聾唖や盲目の人によるコミューン「ケラー」は異質だった
(何故ケラーかと言うとそこを訪問した主人公がかの偉人
ヘレン・ケラーから付けたのだ)
見えず、聞こえず、の人にとって「必要なもの」は視覚・聴覚に
頼って生きている健常者には本当はわかっていないかもしれない
例えば光(灯り)は視覚があるものには便利だが無い者には
ただの電力の無駄使いである。手話にしてもそうだ
手話は聴覚のない者で、視覚はある者には便利だが
相手が盲目であるならば役には立たない。ではどうすれば?
コミュニケーションが可能なのか?そう・・・ボディー・ランゲージ
手話を使うとしよう。視覚の無い者はその手話を「触って」
相手の意味を知る事が出来る。触覚は人の最大の武器である
そのコミューンのボディー・ランゲージは言語としての機能を
より深くしている。つまり言葉では伝えきれない感覚を
瞬時に伝えるのだ。言葉は感覚の翻訳に過ぎないと思ってしまう
「好きだ」と伝える事は言葉よりも抱擁のほうが効果的なように。
セックスもまた感情伝達の重要ツールとなる
よく考えると生殖以外に使用する場合、これほど密接な
コミュニケーションはあるんだろうか?大人は社会で肉体的な
接触を制限されている。けれど家族や恋人などでは他人と違う
深い感情のやり取りは必要なのだ。それが失われるほどに
孤独は深くなる・・・現代人の深い孤独・・・
人はいつから触覚の素晴らしさを捨てるんだろう?
生まれて母親の体温を感じ乳首を口に含む、乳を吸いある時は
噛み付く、心臓の音を頬に感じながら・・・
歩き始めて、やがて言語を覚え、社会に適応する度に
触覚のコミュニケーションは消える。人の体に触れると言う事が
タブーになってくる。一番必要な感覚が一番に無くなってゆく
触覚は嗅覚とも密接に関係している、汗の匂い、それは誰の匂い?
自分の庇護者か敵対者か、匂いは確実に教えてくれるはずなのだ
この作品は昔アメリカで流行った共同体(コミューンやキャンプ)を
ベースにしている。外部から見ると奇異な事も中に入ると
筋道の通った理論と生活がある、というものである
一方でこれは危険因子だ。何故ならカルトと呼ばれる団体や危険な
思想団体なども基本はこのコミューン式だからだ
寝食を共にすると言う事、中では外部と違った規則があること
などで連帯感が(仲間意識)生まれる。もしもそれが社会全体には
危険な事であったら?この作品はひたすら自然と暮らす良き人々を
描いているが、私のようにひねた読み方をすると、コミューンに
溶け込み思想の同調をしてゆく主人公の心が、ちょっとコワイ
一方で外部(私たち)の横暴も見えてくる。純朴な障害者達は
外部からの無法者の被害にされされやすい。レイプされたり
略奪されたり、それは「あそこの連中は弱い」と舐められるからだ
強者はいつでもそうである。それが大きい場合は戦争であったりする
脱線するが日本人は元から「触らない文化」の側面もあるとは思う
友達同志、親子のキスも無い、抱擁も慣れていない
目は口ほどにものを言う・・・そういう面白いコミュニケーションだ
でも、今の他人感覚とは違うよね?
エサウ 封印された神の子
フィリップ・カー (徳間文庫)
ヒマラヤの人跡未踏の地で発見された類人猿は高い知能を備え
チンパンジーなどよりもホモ・サピエンスに近かった
だが合衆国の軍事的な陰謀で危険がせまってしまう・・・
(続きは内緒 笑)
ストーリーそのものでなく、いくつかの文章に興味深いものがあった
ひとつは現地人ポーターに荷物を持たさず自分で持っていくと
言った事について、ポーターに荷物を持たせれば良かったといわれたが
「とんでもない。ポーターというのは奴隷の別の呼び方だ
人は生きている限り自分の荷物は自分で持つべきだと思う」といい返す
そして・・・その言葉に再反論が・・・
「ここの人たちはとても金を必要としていて
背中に重い荷物を乗せて運ぶという、彼等の得意とする慣れた仕事が
金を稼げる唯一の方法なんです。だから彼等に罪悪感を覚える必要はない
ここに来る西洋人は、それを間違えます。実際には払う金があるのに
自分で荷物を持つ人間を、ネパール人は理解できません。
彼等はあなたをいい人か民主主義の鑑だとは思わない。ただケチだと
思うだけです。」
ここに矛盾するが現実がある。屈辱的な仕事をさせて金を払う事は
尊厳を損なうというのはいいのだが暮らしてゆくにはお金はいるのだ
そしてMBAを持っているわけでもなく、富豪の親がいるわけでもなく
安穏とした先進国に住んでいるわけでもない彼等は
収入を得る為には確かに「できる」事をして外貨を稼ぐしかないのだ
ただ理想論としては全く反対となる。金が全てと断言する事は西欧的な
独善主義であってそれが脈々と受け継がれた腐った西欧の貴族社会の
なごりであり彼等を真の意味で「平等に」人権を認めるならば
民主主義では無理なのである。自分の冨を減らして低いものと平均化する
という考えはどう考えても社会主義・・・で、それは絶対無理であると
私は以前から言っている。何故なら人は自己チューで自分の快楽のみに
動くものである。金持ちは自分がお城に住んでいてこそボランティアも
する気になるのだ、余興の一つとして・・・・・・
そして彼等の気まぐれの金がまた、貧しいものを潤すのも事実なのである
あ・・・熱くなってしまったが続きも書きたいのでまた仕事から帰ったら!
エサウ つづき*******************
山中で発見された巨大な類人猿は、自分の糞を食べていた
それは珍しい事でなく多くの動物もする事があるという
一度では消化吸収されない栄養分を再度体に取り込むという
無駄の無い食べ方なのだ。この辺に私は感動した
糞が汚いという概念は人だけではないか?糞便は実に多くの情報を
持っていて健康状態はもちろん、動物には性別やテリトリーがわかる
テレビか何かで自分の便は必ず見てから流せと言っていたが
自分の身が大事ならちょっと見るくらいするべきである
ところでこの小説には、区切りごとに著名人の名句が載っている
オシャレな方法だと思った。中でこんな一言があった
科学の大きな不幸 美しい仮説を醜い事実で滅ぼす事
T・Hハクスレー
地球は神の造った箱庭、地球は神の水晶に浮かぶ幻
地球は神の長いドレスのすそから舞った一筋の糸・・・
それが、科学によれば重力に捕われた無粋なガスの塊が冷えて
何の感情も持たない有機物からアミノ酸・・・そして偶然の進化を経て
人族へ・・・難解な数式とデータの世界となってしまうのだ
これぞまさしく悪魔の仕業である
この悪魔のマジック「科学」は一方でまことに魅力的だ
神の杖の一振りに匹敵するロマンがぎっしり詰まっている
分子の形が何故規則的で美しいのか、DNAはたった4つの塩基で
何故膨大な情報を伝えられるのか、「正確な」円の面積は?
謎を解くごとに神に迫ると錯覚するほど、魅力的だ
人は堕落しても、地獄に落ちても、知恵のみを食べていたいのだ
信じないものは救われない・・・のであるがあなたも、ぜひ
悪魔のしもべになって科学教徒になってみませんか? 笑
サンドキングス J・R・R・マーティン ハヤカワ文庫
7編の短編からなるSFトップの「龍と十字架の道」は
信仰とは何か、を考えてしまう作品。裏切り者の代名詞のような
ユダに目をつけた作者のセンスが光る。
広いはずの宇宙で繰り広げられる宗教抗争はあの血の十字軍史を
思い出す。自分の教団を守る為異教徒を粛清する事について
大僧正は言う「時には殉教の血も流さねばならぬ。異端の血も
流されねばならぬ。魂が救われるのであれば、生命が失われても
かまわぬではないか」・・・・・・・
それが信仰と言うモノだ、少しの疑いも持ってはならない
正しい教団の神父はダミアン(オーメンを思い出したのは私だけ?)
彼らに対して異端の宗教「龍と十字架の道」というのがある
その異端神父は言い切る。彼の宗教「龍と十字架の道」は自分の創作だと。
自らをうそつきと呼ぶ異端者は言う
「うそつきは死後を信じない。神を信じない。宇宙をあるがままに
見るのだ。ありのままの真実は残酷なものだ。人生を信じ人生を
尊ぶ我々もいずれは死ぬだろう。その後には何もない。永遠の無だ」
「我々が死んでも宇宙は我々の事を長く記憶しているわけではない
すぐに、我々が元から存在しないかのような状態になるだろう」
「宇宙とは永遠のものではないし、そのような事を気遣いもしない」
真実は残酷だ。それでも人は真実を求めるのは、残酷でない事
救われる事、を真実の中に求めているからだろうか?
この話はショートなのでオチがわかるからあらすじも書かないが
ベースになっている「龍」について思う事は人は幻の龍や
絶滅した恐竜にロマンを感じるのは何故なんだろう?
「龍」は失われた太古の世界を求める人の記憶を刺激するのかもしれない
ここを先に書いて小学生殺傷事件があった。
死んでも何も残らない、残酷な文章だ。生き残った人に(親に)
あなたの子どもはもはや存在しないと言うのか?
いや、違う。月並みだが真実のひとつは「あなたが生きていれば
子どもも生き残る。記憶という神秘の能力の中で」という事か・・・
天空の劫罰 ビル・ネイピア(上・下)新潮文庫
巨大な小惑星が北米大陸に落下?犠牲者の推定は2億人
世界の協力でこの惑星(ネメシス)は軌道変更できるのか・・・
最近多い惑星衝突テーマのSFだが、それよりも有事に対しての
世界の覇権を考えさせられる内容だ。
ロシアではジリノフスキーが政権を取った(!)
という設定になっている。ロシア帝国拡大を狙っている。
もしも本当ならどうせ落ちるなら日本列島に落とせと言いそうだ(笑)
著者は天文学博士で彗星のプロだ。だからちょっと難しい所もあるが
いつ起こりえるかわからない天体の衝突というテーマは頭の隅に
ちょこっと置いても損はない。
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その時天は大きく口を開いた
今まさに最期の審判が下ろうとしている
ハレルヤ・・・しかし人類に下る判決はただひとつのみ
神を裏切ってまで得た知恵の実は、この最期の時に
何の役にもたちはしなかった
神の国へ入るものは誰もいないだろう
懺悔をしても・・・ 懺悔?それは神を信じ神を裏切らない
清い人間のみに許される行為なのだ
やがて人がその幕を閉じる時 やっと気がつく
人は神の泥人形に過ぎなかったのだ、と
人は泥に戻る。人は存在しなかった 幻・・・
すべては神の見せた幻 眠りにつく青き惑星のために
神が見せる美しい夢 ・・・地球よ眠れ
人がいない清浄な世界で・・・
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っと私の惑星衝突の詩もどきです(なぜもどき?というとちゃんと
した形態かどうかわからないから)実はこの本、下巻がないんだな!
2月に買ったのに下巻はその時注文したのに届かないー!!
で後半は知りません(笑)
惑星衝突モノは必ずいわくありげなネーミングです
この本はネメシス、クラークの「神の鉄槌」ではカーリー
クラークとバクスターの共作「過ぎ去りし日々の光」では
ワームウッド にがよもぎ・・・これってロシア語では
チェルノブイリだそうです うーん最後が一番印象的
惑星衝突は破壊と同時にもしかして生命の芽を積んで来るかも
しれないという点では再生(創造)の象徴でもあります
で、私はこのところ惑星衝突モノを読みまくっているわけです
最後の子どもたち グードルン・パウゼヴァング 小学館
(今の入手は不明 1984年の本)
子どもにも十分読めそうな文章と字の大きさである
さて、この本はヨーロッパに核が落ちて、その後の悲惨な生活を
子どもの視点で描いたものである
生き残った人々も放射能により病で倒れ亡くなってゆく
衛生状態も最悪で伝染病も蔓延してゆく。当然のような略奪行為。
生き残ったわずかの子どもも悪夢にうなされる
髪をとかすくしに毛がたくさん抜け落ちる、明日血を吐き倒れるのは
自分の番ではないかとおびえている
大人である教師は生徒たちからこう呼ばれるのだ「ひとごろし」
なぜか、それは核兵器を許した社会を作り上げたから、そしてそれは
落ちたのだから。子どもは減りクラスも減ってゆく
教師である父親は言う「お前がクラスを受け持つんだよ」
少年は思う「先生になるのはまだ早いし授業のやり方を習ってもいない
けれど勉強よりももっと大事なもの、あらそいの無い社会を作ること、
助け合う事、皆が愛し合う事、そんな世の中を作らなければならない
たとえこの世界が長くは存在しなくても」と。
核廃絶を絵に描いた餅と批判したこともある私としては
何とも重い本だ。先日地雷を無くそうという番組を見ていたら
ムスコが「何で戦争なんてするの。ボクが大統領なら(なぜ総理
じゃないの?)絶対止めさせるな。絶対戦争反対」という。
学校教育の勝利かマスコミなどの媒体の教育か、幼い彼にも
反戦思想は根ずいている
反戦思想・・・どこかで納得できない自分がいる
もしも核兵器で国が焦土と化したら私は彼に「ひとごろし」と呼ばれるのだ
必要悪という言葉で妥協点を広げてしまう大人の思考
それゆえに大人は犯罪者なのだと思う
私は日本が被爆国という事実も実感してはいない。強く子どもに戦争反対を
言えない。自由な発想と選択肢を重んじるが故に、エゴの為に・・・
科学的に考えると、反対ではあるのだ。
核兵器は自然への影響が大きい。仮に戦争と言うモノが無くならなくても
核兵器は使用してはならない。この地球に生きていきたいのならば。
書いていると思う。ムスコはまっとうな人間で親の私はやっぱりヘン・・・
猫城記 老舎 サンリオ文庫(今入手は不明)
北京生まれの著者。1899年生まれの彼がよくもまあ
こんなSFを書いたものだ。縛り首になってもおかしくない
時代が時代だったのだから・・・!といってもイギリスに
渡ったから書けたんだね・・・
そこは猫の顔をした人間(いや、人間の体の猫?)の世界
人々を怠惰にしてしまうという植物「迷葉」を植えて
それが権力の象徴でもある。かなりいいかげんな性格
面白いというか猫だなと思うのはその思想だ
禁を犯しても自分たちに都合の良いように法を変えていく
自分の欲しいものを手に入れるために泥棒したならば
泥棒という犯罪行為の後で法で正当化するわけだ
よく考えるとどっかの政府もやりそう(笑)
怠惰である事をいけないと言う認識は日本では特に強そうだ
人の権利を侵すこと、あいまいな道徳・・・
これは人が今の社会で生きるための制約ばかりだ
縛られて生きる事が辛い人もいるはず
毎日電車に揺られ学校へ、会社へ、食欲を満たす為の「狩」が
別の形へ変化していく。いや、変わらないのかもしれない
自分も食われるかもわからない「狩」と毎日精神的には
社会という名の怪物に少しずつ食いちぎられているとは
同じ事なのだ。
文化大革命真っ盛りの中国を離れイギリスで西欧文化を
見ていた著者はそこに何を見たんだろうか
地獄のはずの中国であっても、イギリスで音楽に、ダンスにと
楽しむ若者を見てそこが本当にユートピアとはきっと
思わなかったに違いない・・・・
萩尾望都「マージナル」
アリが家に侵入してきた。アリの巣コロリというのが効くと
聞いて早速買ってみた。効果は後日報告しよっかな・・・
さてアリというのは女帝の社会だ(蜂も)女王アリが
ひとりでセッセと卵を産んで子孫を増やしてゆく
さて、人はというと一夫多妻が効率良い子孫の残し方で
(ハレム型)それでごらんのように地球一杯に増えた
という事はこれから人口抑制には一夫多妻はヤバイかもしれない
一夫一婦制はモラルでなく人工調節に都合は良い
さらに人工減少を目指すなら一妻多夫がいい。
どんなに夫がたくさんいても女は一年にひとりしか
子どもを産めない。思えば先見の明のある人が
人口抑制を見こして女優位社会に変えようとしているのかもしれない
一人の彼女の彼は10人とか、人妻の不倫大流行(ってホントかよ)
とか擬似一妻多夫制が密かに進行しているからだったりして・・・
恋多き女性は人類を救ううかもしれない(あ、男はダメ。増えちゃう)
**********************************
さて、紹介する「マージナル」という本の世界は
汚染された地球は女性のX染色体を傷つけ
全ての女性は不妊になり地球は男性社会となった
人はキカイの管理下で産まれるしかない。ところが地球では
文化が退行していた。中世かその前のような文化レベル・・・
人は「マザ」と呼ばれるたった一人の聖女をあがめ、彼女が産む子どもを
もらって育てるのだ。そう、アリやハチ型社会。そして
退行している彼らは人類はそうして増えてきたと信じていた
実は「マザ」というのは象徴に過ぎない。本当はただの男で
見かけのよさそうなものを選んで無理やり胸を大きくして
女性に仕立てる。なぜそういうシステムにしたんだろう?
たぶん女性を永遠に失った男性には宗教(聖女)が必要だったのかも。
性の対象はもちろん同性しかないのだが、同性が幼い頃は保護者で
成長途中では性愛の対象となる(大人が男性役子どもが女性役)
それはゲイというよりも「異性愛」に近い
肉体は同性でも多分求めるモノは異性愛なのだろう
実は地球外では文化も高度に発達しているし、女性もいた
染色体を傷つけるウィルスのいない宇宙にすでに人は散らばっていた
(詳しくはいわないっと・・・これ結構面白い)
途中部外者はこう言い放つ「マザ?女が欲しいか?女なんか
いくらでもいる。女がいない世界はここだけだ。何もかもが作り事だ!」
これは残酷。人自分の信仰(宗教とは限らない)を否定されると
生きるのは辛くなる・・・女性(聖女)は彼らの命なのだ
(ま、読める人はどーぞ。小学館 今はどこかな?)
私はロボット アイザック・アシモフ ハヤカワ文庫
なつかしいと言う人もいるだろう。私もそう思って再読した
SFの古典で有名なロボット3原則という言葉を世に出した
実は短編集で独立して、リンクして、という形式なのだ
中の一つ、冒頭の話を紹介する
少女グロリアの子守り役はいかにも「金属」というロボットの
ロビーだった。モノマネで良くやるロボコップの「ギーガチャン」と
言う擬音がぴったりするイメージのドラム缶のような無骨な形態
けっしてホンダの現在のロボットのような優雅な歩きはしない
と言う感じのもの。
そのロビーに彼女は夢中だった。母親が心配するほどに。
やがて母親の危機感からロビーは会社に返送される
おかしなキカイのせいで同年代の友達もできないと心配したのだ
しかし彼女はいなくなったロビーを探しつづける
ある日ロボットの組みたて工場にロビーの姿が!!
そしてトレーラーに轢かれそうになる少女・・・・果たして・・・
この話はロボットを語っているのではないと思う
ロボットと言うものに人間性を求めた人間たちの心理を
考える為だ、と私は思う
ロボットのロビーは2001年のハルのような思考型でなく
ただのブリキのおもちゃに近いものだ。何故彼がいなくては
いけないかというと、それはロボットと言う媒体関係なく
自分の発信した物を受けとって投げ返すという機能があったからだ
人は自分の言う言葉に反応してもらいたい生き物だ
生きている人間であっても反応しないのならそれはその人には
生きていないと同じかもしれない。また何の感情も知能もなくても
自分に反応(反抗でも)するものは生きていると感じるだろう
この理屈に笑うだろうか?ちいさなグロリアはロビーにいじわる
をしかけたり、シンデレラのお話を聞かせたりする
ロビーは反応する。ただのプログラムであっても・・・
アイボが何故大の大人を虜にするのか。アイボは現代に蘇った
ロビーなのだ。あるいはあなたの見ているこの画面、キカイは
ロビーなのだ。この画面の向こうに見知らぬ多くの顔がある
と、信じているのは私だけで実は誰もいないただの0と1かも。
それでもあなたは今日も電源を入れている。もう
あなたはロビーのいない世界は考えられないに違いない・・・
人は淋しがり屋だ。ひとりでは生きていけない。でも
永遠の孤独。それを忘れさせるものがロビーなら
その鉄の塊を「彼」と読んで何故悪いんだろうか・・・
この「私はロボット」は1930年に書かれ1950年に
刊行されたらしい。70年以上の時を経てなおみずみずしいのは
アシモフの深い洞察と人間観察のせいかもしれない
BGM: MR.ROBOT BY.STYX (なぜか日本語で始めに
ドモアリガトミスターロボット・・・という言葉が入る
遊び心の歌ってやつか・・・1983年頃。私が持っているのは
LPだがCDも出てるかもよ)
BRAIN VALLEY (上・下) 瀬名秀明 角川文庫
前から読みたかったが文庫になっていた ウレシ
孝岡という脳のレセプターを研究する男が突然体験する不思議な
エイリアンによる誘拐・・・神懸り的な謎の女
そう書くと何だ、イマドキのトンデモ本じゃんと思うかもしれないが
トンデモない。私がそんな本を読むわけがない(エラソウ)
これでもか、という科学の知識を大放出・・・さすが理系作家
難解な用語も登場人物の子どもに説明するという形で
脳の活動や脳内物質について読者にもわかりやすく説明しているので
親切だと思った。これ以上難しいと本当にワケがわからないだろうが
これ以上簡単にしてもらうと、つまらないかもしれない
わからない事を覚えたり調べたりも、また、本の楽しみだから。
その辺のツボは憎いばかり。
中で子どもに人工生命(AL)の説明をする部分がある
子どもは言う「それは命じゃないよ」と。しかし説明する大人は
答える変わりに聞く「なぜこれが生命ではいけないんだい?」
それはコンピュータの中で基本的なプログラムを与えただけで
後は自分達で勝手に集まったりえさ(?)を取ったりしているという
デジタル生命。プログラムを生命と呼べるかどうかといえば・・・・・
呼んでみたいと答えよう
私たちは「生きている」生命体である、と定義しているが
これが神の手による作られた(人工の)生命でないと言い切れはしない
私たちは皆本当は神のプログラムなのかもしれない
お前は無神論者だろうと言うなかれ。私は神(の存在)を信じていない
というわけでなく人の信仰に疑問があるのだ。いや、神の存在を
信じていない、とも言えるがそれは神の証明がなされていないから・・・
(やはり矛盾かな)信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのだ(マタイによる福音書)
イエスを信じて海を渡った折「大丈夫かいな」と思ったとたん溺れた
私?私は疑っている。始めから渡らないが神は怒るだろうか・・・
「神」に迫るサイエンス BRAIN VALLEY研究序説 角川文庫
これも書いておく。もちろんBRAIN VALLEYの関連本だが
脳科学、分子生物学、コンピュータからUFOなど、色々な分野のプロが
テーマ別に解説してくれる。科学雑学書としても、いいかも。
臨死体験のことも出てくるが「あの世」というのが脳内にあると思っては
いけないだろうか?あの世は異次元や霊界にないと救われないんだろうか?
人の肉体は宇宙にも等しいと思っている。とりわけ脳は深宇宙だ
そこに「あの世」を求めていけないだろうか?
ドグラ・マグラ 夢野久作 カドカワ文庫
昔持っていたのと出版社が違った気がしたが
扉絵も同じだし,オッケー。輪廻,脳髄,胎児の夢、狂気・・・
オススメはしないオススメだ
胎児の夢の殺人?どこまでも深い奈落の底へ読者を落とす
胎児よ胎児よ何故躍る 母親の
心がわかっておそろしいのか
胎内で見る夢は悪夢でなくてはならぬ、と言う一文が出てくる
人族は牙も羽も何もない無防備な状態で自然淘汰をかけ抜けてきた
その苦労を胎児は細胞の一つ一つに夢を刻む・・・
胎児の苦労はその親達が現世で受けている些細な苦労に比べて
大いなる苦痛なのだ・・・と狂気の科学者は言う
私はふと思う
この世に生まれて,言葉を獲得してもはやほとんどの人が
胎児の記憶はないに違いない。だが胎児の時代も脳は発達していて
記憶は必ずあるという。言葉による記憶を得た代わりに
感覚という確実な記憶は永遠に失われたのかもしれない
この人を見よ マイケル・ムアコック ハヤカワ文庫
神秘主義者の男がキリストの生涯の研究に心血を注ぐ
ある日タイムマシンでキリストの最期を見届ける為に
エルサレムに向かった。後は内緒(笑)
こういうのも「あり」かなと思った。昔買った本だ。今あるかな
キリストには多くのなぞがある。死体が消えた説、キリスト複数説
復活したのは別人説、なんといなかった説!(笑)
聖書が世界の大ベストセラーで素晴らしい書物であるのはもちろん
謎や矛盾が多い事でも人の想像力をかきたてるのだ
歴史は嘘をつく、本当の事は誰も知らない
私たちは過去の人々の残したものから推測しているだけだ
神の国は実にあなたがたのただ中にあるのだ
(ルカによる福音書17・21)
あなたは私を見たので信じたのか。
見ないで信じるものは、さいわいである
(ヨハネによる福音書20・29)
歴史が真実になるのは現在の時間を生きる人が
そうと認めたからである・・・
祈りの海 グレッグ・イーガン (ハヤカワ文庫)
SF短編が11編入った作品集。中のひとつ「キューティー」は
子どもは作りたくない妻と子どもが欲しい夫。夫はキューティーという
かわいい赤ちゃん様の愛玩生物を買った。それは赤ちゃん期を過ぎる頃
確実に死ぬように遺伝子操作された生物だ
彼はキューティーを「妊娠」し「出産」する。
男が妊娠するという話は珍しくないが、この話は笑えない。
出産によってか,彼はキューティーに愛情を感じる・・・
代理母と言うのはたまにニュースになる。先日も不妊の娘に代わって
母親が(五十代だと!)娘たちの受精卵を移植し,出産。
出産という行為は私には人生が変わるような経験だった
自分の体でひとつの生命体を成長させてゆく、そして出産・・・
女で良かったと思う瞬間。だから代理母はビジネスでは後が
辛いんじゃないかと思う。例え他人の受精卵でも自分の子宮に
留まっていた子を他人へと渡せはしない。
母親や姉妹なら身内だから、まだ楽だろう。つながりはあるから。
(ちなみに出産時はもちろん痛い。モータイヘンである。
最近は立会い出産を望む奥さんもいるが、やめたほうがいいタイプの
男性もいるから,無理強いはいけないと思う。
ショッキングなシーンではある。貧血を起こす夫もいるって。
同じ理由で子どもの立会いも,子どものタイプを見極めた方がいい
子どもは出産シーンがトラウマになる場合もあるそうだ)
未婚女性のみなさん,脅かしちゃったかな?何,大丈夫,大丈夫。
良くない事なら多くの女が生むわけないのだから・・・
2001/2/14
攻殻機動隊 シネマ・コミック
原作:士郎正宗
監督:押井守
講談社
アニメかと言わずにこれは必見の価値がある。
近未来、脳の一部などを除いてサイボーグ化が可能になった
サイボーグ化した機動隊長草薙素子は言う
「人間が人間であるたの部品が決して少なくないように
自分が自分である為には驚くほど多くのものが必要
私の電脳がアクセスできる膨大な情報やネットの広がり
それら全てが「私」の一部であり「私」と言う意識そのものを
生み出し,そして同時に「私」をある限界に制約しつづける」
私というものが情報の認識だけの産物ならば
他人もまた同じ。ならばなぜ自分は
「特別な他人」として認識されるんだろう?
と言う問いを美しい映像と音で(ビデオも観た)私に
語りかける作品。
アニメはちょっと・・・と言う方も。ぜひ。
私もアニメファンじゃないがはまったぞ
(これと、エヴァンゲリオンは)
神々の午睡
清水義範
講談社文庫
三大宗教をパロディー(?)にして見事に描いているが
こんなに面白いのに読後感が恐ろしかったのはなぜ?
宗教は実はすごいバーチャルなものかも。
本も,テレビも,映画も,かなわない想像の賜物が
実体を伴っている。ゲームに近いのかも。
だから近未来の神が出現するならば
それはもちろん,こうしたディスプレイの中でしょ。
私はクラークの2001:a
space odysseyが
好きなんですが(3001年終焉まで,読んだよん)
私にとっての神の概念てHALかもしれないな・・
横道にそれました。・・・が
面白いですよ。気楽に読めるし。
アルジャーノンに花束を
ダニエル・キイス
早川書房
「24人のビリー・ミリガン」で多重人格者を世界に知らしめた
ダニエル・キイスの作品.
実は昔映画化されたんだよ!(微笑みを君に)
キイスは心理学ものに,すばらしい作品が多い。
よく表現してあるし詳しいのに,なんとなく切ない.
「白痴のチャーリイ」は毎日パン屋でこき使われ
仲間にはいじめられる.
それでも言いくるめられて「みんないい人」と,楽しく暮らしていた.
ある日知能を上げる実感の被験者になる、すると
日ごとに頭脳は明晰になり,ついには天才というべき域に達する
うーん,そのあと書くのよそう.ふっふっふっ。読んでね.
いきなり頭脳明晰になって,今まで見えなかった事が見える事
いいことばかりじゃない.自分を可愛がってくれていたはずの仲間は
実は,自分を馬鹿にしていたのだと知る
人の悪意,世の中の悪意も,わかってくる.
「知らぬが仏」なんて言うけれど知らないで守る幸せはある.
文化の遅れた国で「電気もガスもなくて不便でしょう」なんて
先進国のテレビ・クルーが云うとき,あれは自分達の見方で
現地人を見下しているんじゃないだろうか.
実は「わかっている」私達とは悪意の満ちたこの世界で
苦しむチャーリイそのものだろう.
この本,結構泣けますよ・・・
「五分後の世界」
「ヒュウガウィルス」五分後の世界2
村上龍
幻冬社文庫
五分のずれで,日本は地下にアンダーグラウンドという都市を作り
ゲリラ活動を続けていた.そこには,今の日本人の失ったモラルや
プライド,(家庭という最小の共同体においても)があった.
(ヒュウガウィルスはその後の話.)
現代においても,まだ大戦は続いていた.
しかし,若者の燃えるひとみ,一途さ,ともすればファシズムにさえ
はまってしまいそうなほど,読みひかれる私だった.
北朝鮮の大学生のインタビューをふと思い出す.
テレビ上とはいえ清冽な学生達.
全てをかけて学問に挑んでいるのだろう.
日本がだめになったとか,今の若い人はダメだとかそうじゃない.
人は,与えられるモノが多いほどうまくコントロールできなくなる.
自分も,社会(団体)も,そうなのだ.
同じく村上龍の「希望の国のエクソダス」もそうだったが
日本という国のこの状況の中で、一番よい道はない。
何通りも道はあって,どれもまた不確かだ.
しかし,日本人としてのアイデンティティーを
深く考えた「五分後の世界」と
この国に希望だけがないと,子どもが言い放つ「エクソダス」
日本が進む道は,もしかして世界が驚愕する道になったりして?
(悪い道かもしれないが) 2000/10/15