読書かんそうぶん SF
ソラリスの陽のもとに スタニスワフ・レム ハヤカワ文庫
あれ?驚いたのは映画の宣伝だった「ソラリス」
たぶん原作はこのレムのSFだろうと思う
最近のSF映画は原作が昔の作品と言う事が多い気がする
昔のほうが良いというより、現代に合っているからか?
(科学技術でなく社会的や精神的なことなど)
ポーランド出身のレムだから「ソ連の作家」と思っている人も多いかも。
現にポーランドはソ連領ではあった。以外に当時の共産圏の作家の
SFは文学としても素晴らしいものが多い(と私は思っている (^_-)
(私の愛蔵本の一冊でもあるこの本を今までかんそうぶんコーナーに
書かなかったとはウソみたいである。もしかして雑文か何かに
書いたかも?ダブったら許して下さい)
静かな海に全体を覆われている惑星「ソラリス」
そこでは研究者たちが次々と奇怪な行動や自殺などをしていた
原因究明をするケルビンの前には亡くなった恋人が現れる
それはなぜか?ソラリスとはどんな惑星なのか?
それは・・・惑星そのものが知性を持ち、人の心理を深くえぐるものであった
この作品が書かれたのは1961年。私の年(笑)だが40年以上を経てなお
鮮烈に、また、読むたびに違う事を考えさせられるスゴイ一冊である
(40年前に買ったわけじゃないよ 笑 高校生の時かな、買ったのは)
人の思い出、つまり記憶とは懐かしかったり楽しかったり
あるいは逆に苦しかった、辛かった、悲しかった、負の思い出もある
それらの「忘れたかった」モノを心の底から掘り起こされて
現実に「見えるもの」にされたとき、人はきっと苦しむに違いない
それが幻とわかっても、記憶が目覚めたら、人にはそれが現実となる
人には思い出したい、でも辛い、というアンビバレントなモノもある
それが呼び起こされた時、人はどうするのだろう?
その時できなかった事をしてあげるのか?
言えなかった事を言ってあげるのか?
それで自分の心が満たされて、その記憶が幸せに転じるのか?
いや、そうではあるまい
幸せな感情を捨てても、忘れられない強い思いもまた
人にはあるにちがいない。
人の一生に泣く数と同じだけ笑えると、私は何となく思っている
今まで泣いてきた人はこれから笑う事ばっかりかもしれない
・・・根拠はないけれど(笑)けっこう好きな考え方
10代の頃悩みがあると海に行った。私は海が好きだ
本当は地球の海もソラリスみたいに「知性」があって
悩みを聞いてくれていたりして・・・
(と書くとトンデモ宗教みたいですが、もちろん、ちがいます
念のため。イメージですので〜)
「惑星地球」の海は、人間の動向を嘆かわしく思っているかも
*****
碧い海の深さも
あなたの心の深淵には及ぶまい
荒れ狂う波も たたきつけるしぶきも
あなたの慟哭にはかなうまい
そうして人は心の中に 海を湛えている
海から生まれた人が、海から離れても生きてゆけるように
心深く水を湛えて生まれてくる
「行きなさい」そっと背を押す声がする
母なる海よ
返りたいけれど、もう人は返れない
そうして乾いた土に、棘の地に、生きて行く・・・
2003/6/18
非P ウィリアム・テン(ウィリアム・テン短編集) 創元推理文庫
世界原爆大戦の後、人類の奇形や人口減少は大問題だった
ある時大戦以前の平均的な人間(姿や生活形態など)が見つかり
昔を思う人々によって彼は人気者になり大統領に当選
大統領の彼の主義は右翼・左翼などの極論はダメであいまいが
ヨシとされた(私じゃん 笑)さて・・・こういう安穏とし、かつ
平均で抜きん出るものがいない世界がずっと続いた後
世界はどうなったか・・・・・続きはナイショ。まあいい結果ではない
作者は戦争風刺物が多い。50年代にこんな作品が多いが
それは第2次大戦の終了と日本への原爆投下など
大きな要因となったのではないか。思えば東西冷戦という時代が
あったけれど、それは長くても血を流すよりはずっと良かった
人が死ぬこと以上の事があるはずはないから 2003/3/18
思考の網 ヘルベルト・フランケ
SFは将来最も恐るべきジャンルであると、かの三島由紀夫が
いったそうだ(ホント?)で,この一冊
(昔読んだので今は手元になくたぶん早川書房)
地球上の全ての知性体が死滅した後、宇宙の訪問者が
脳標本からひとりの人間を蘇生させる
人間が栄えた頃の社会は「網」と呼ばれる体験テストで
社会に不適応な者や、道徳的に良くない性格の者を
振り分けるのだった。社会からはみ出た者たちが住む所は
野獣のような無秩序の世界だった(実は結末を覚えていない。)
網というキーワードにからめて思った。インターネット上で
心理テストのような物をやっているとしたら、なんか恐い
人の思考の数ほどネットもある。まさに思考の網!!
この作品が書かれた頃はまさかこんなネット社会になっているとは
想像していなかったろうから(1960年代の作だと思う)
ネットの様々な闇の部分を考える時やはり人の心は野獣なんだと
思わずにいられない。法で統制されるか,野獣になるか
どちらかしか道はないんだろうか。やはり観音様,菩薩様には
人はなれそうもない。理性コンピューターみたいな物を作って
キカイに管理してもらうってのはどうだろうか?
(神様コンピューターってのも可?)情けなや・・・・・
2001/2/8
トリガー
A.Cクラーク&マイクル・P・キュービー=マクダウェル
ハヤカワ文庫
周囲数キロの火薬を全て発火させてしまう装置が発明された
それは武器を持ちこめないユーチピアを実現できるのか?
しかし、武器が世界の国々の力を左右するように、武器を否定する
という「武器」もまた、人々のパワーゲームに流されてゆく
私は子どもの頃から想像した事がある。それは世界中の核兵器や
銃が一瞬にして使えなくなればいい、と。神でも宇宙人でもいい
素手で殴るのが精一杯、という武器のない世界がくればいい、と。
クラークもそんな風に、子どものように、考えているのかもしれない
でも本当に武器が消滅しても、きっと人類の戦いは続くのだ
核も銃も、石斧も、なくなっても人はその手足で人を倒して生きる
今時代や武器が変わっても、やっていることは原始時代、いや
サルと何ら変わりはない。言葉を獲得し他人を倒すことを
正当化し、美しくごまかすテクニックを備えただけだ
各国は石斧を持っている。それが小さいか大きいか、数が多いか
少ないか、違いはそんなところで、進化したサルは今日も
他人の頭を斧で割ってやろうと計画し続けている
世界中の軍備にかけた経費を「生きるため」に費やすならば
もうちょっと人類の寿命は延びると思うが・・・?
今世界はくすぶる火種の上に置いてある火薬の状態なのだ
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
フィリップ・k・ディック
(本が行方不明で出版社不明 たぶんハヤカワ)
洋画「ブレードランナー」を観た。あれ?どこかで聞いたような?
そうディックの作品だったのだ。少し原作と違う気がした
本を探したが見つからなかった(またか。行方不明 笑)
記憶をたどってあらすじを思い出す・・・
大戦の後世界が荒廃した中で、絶滅寸前の「動物」を持つことが
ステータスであり、あこがれであった
一方で過酷な宇宙での作業はアンドロイドにやらせていた
アンドロイドはやがて人間のように感情も出て地球に来る者も出た
主人公の男はこれらアンドロイドの「破壊」を仕事とする
その仕事は高額で男の夢(人工でなく自然の羊を飼う)を
叶えるために割のいい仕事であった
嫌な仕事でもある。人間と違わぬものを「殺害」するような・・・
動物を「殺しても」法的には器物損壊だというが
キカイを壊すのと動物を殺すのとでは全く感情的に違う
有機体には人と共通する何かがあり「同胞」殺しのような
気分にさせるのだろう
この辺も映画と違うような気がするが?ま、いいや
さて。映画に話を移す(ややこしくてすみません)
地球にやってきたアンドロイドたちは苦悩している
人と同じように進化し、感情を獲得、知性もむろんインプットされ
「人間的」な彼らだが、彼らは自分の存在意義に悩む
自分はどこから来たのか?
彼らは「記憶」を欲しがっていた
人が自分を自分と認識する情報のうち「核」となるもの「記憶」
アンドロイドのうちひとつは製作者の人間の姪の記憶を
植え付けられていた。それは人間の記憶を植えられただけだと
言われて「私はなに?」「私は偽者ーレプリカー?」と問う
逆に小説では主人公の男はアンドロイドの計略で自分が実は
記憶を植えられたアンドロイドだと思わされてしまうシーンもあった
それらを考えると「私」は情報なんだろうか?と思ったりする
今まで生きてきた「記憶」が私ならば、私とは過去に囚われ
生きているんだろうか?では記憶が間違っているならば
私は「間違った存在」なんだろうか?
過去が真実かどうかどうやって判断するんだろうか?
映画で(また戻ってすみません)アンドロイドの感情の暴走を
止めるために機能停止(寿命)が設定されている。4年だ
アンドロイドたちの苦悩のひとつにこの「寿命」がある
「死にたくない」彼らは叫ぶ。限られた命の喜びを知ったか?
彼らは死の恐怖と悲しみにくれる
アンドロイドの苦悩は今の人間の苦悩そのものだ
自分の存在意義と、死への恐怖、他人への感情(愛憎)
レプリカと人間を区別するための測定(いくつかの質問)は
心理探査にも似ている。質問に端的に答えられない時人ではないと
判断させるなら本当の人間はほとんど「レプリカ」かもしれない
感情や欲望など理想的にコントロールできる人など
ほんの少しだろうから・・・
「私はレプリカ?」「死にたくない」
人間はそんな問いをうまく流して見ない振りをしている
そうしなければ生きていけない
アンドロイドは純粋に問いかけ続けるのだろう
苦しい生き方だ、そして純粋な生き方だ・・・
アンドロイドに言いたい
人であることは「汚い」「いいかげんな」事なのだと
進化の果てはそんな「あいまい」なものなのだと・・・
ローラーボール ウィリアム・ハリスン
ハヤカワ書房 小鷹信光:訳(短編集)
未来、人々の快楽のために「ローラーボール」という
スポーツがあった。それはホッケーとスケートとフットボール
のような競技だが過激でケガ人が出る事を当たり前のように
設定してあるものであった。それは年々ルールを過酷にし
人々の「もっと」残酷なシーンを見たいという欲求に答えるのだ
その花形選手ジョニーはローラーボールで勝ち続けた事で
得た名声と、一方で深く考え始める・・・
27年前映画化されたこのローラーボールが2002年なんと
(ジャン・レノ出演♪)リメイクされ公開だそうで、この本は
公開記念に再出版したらしい。昔の映画を見たことはあるし
原作も読んだ。なつかしい・・・
そういえば日本でも昔ローラースケートで(チーム制)
コースを回りながら格闘するゲームがあった
うーん、何だっけ?ローラーゲームだったかな・・・
確か東京12チャンネル(現テレビ東京の昔の局名)で
チームに東京ボンバーズ、で目立ったのが「ヨーコ」という
ロングヘアの女だった。子どもだったので何やっているのか
イマイチわかっていなかったが、当時話題だったようだ
プロスポーツはみなそうだと思うが、死闘である
観客は美しいスポーツマンシップを観たいのではない
敗者が倒される様を見て(自分を勝者に同化したいという
願望もあるかも)残酷な本能を満足させたいのだ
ケガをしてもがんばって勝者になる、涙を誘う光景
しかしケガをして「痛いのでやめますー」といえば
観客はブーイングなのだ。本人のためを思うことは少ない
クライム・ゼロ マイクル・コーディー
内田昌之訳 徳間書店
増加する暴力犯罪のほとんどは男性による。それは男性の
誰もが持つ「犯罪遺伝子」の仕業で、それを改変することにより
犯罪の撲滅をしよう・・・という一見すばらしそうに見える計画
の影に恐ろしい陰謀があった・・・という内容のバイオサスペンス
死刑確定の犯罪者がある日突然自責の念に襲われる
今まで快楽にしてきた被害者の苦悩の姿が、今は
自分に突如芽生えた「良心」によって、自分の悪夢になる
凶悪犯罪者に共通する事は「共感性」の欠如だ
悪い事を子どもに教える場合「自分がされたらいやでしょ?」と
自分に立場を置き換えて想像させる事がある
それが全く考えられない、そんな人々が確かに存在する
犯罪に結びつかなければそれもひとつの個性かもしれないが
人を殺しても相手の苦痛や相手の家族などの嘆きを全く無視できる
残酷さはやはり人道から外れている、と言うしかない
本に出てくる犯罪遺伝子の計画は「プロジェクト良心」という
思えば犯罪者を苦しめて復讐したいなら、こんなにすごい事は
ないかもしれない。愛する家族を殺された無念さを晴らす方法。
犯人が自分の罪の重さに苦しみ、のたうちまわり、自殺する
単なる死刑以上の地獄があろうか?
良心プロジェクトのさらに隠された秘密がある
それは「クライム・ゼロ」この身の毛もよだつ計画は全て女性の
計画だ(内容は秘密 笑)以前私はショートで女の楽園と
地球最後の男の子と言う男性撲滅の話(苦笑)を
書いたが男性の暴力性に着目したマイクル・コーディーはエライ
ニュースで多くの少女にいたずらしたとか、快楽殺人とか
そういう事件を聞くたびに「男性の持つ危険な本能」を感じる
本のように男性から暴力因子を取れたならどんなにいいだろう?
とさえ思う。しかしそれは性衝動とリンクしていると思うし、逆に
そういうものが野心として偉業をなし遂げる原動力だとも思う
最近の男はヨワイとかだらしがないと聞く(電車などで痴漢にあって
ほとんどの女性が自分で、痴漢に対処しているそうだ。若い子ほど
大胆に警察まで手を引っ張っていった武勇伝も・・・)
けれどそれは喜ばしいかもしれない。男性因子がウスくなっている
(笑)でも、女性がだんだん強くなり男性化しているのか?
だとしたら危険度はいつの時代も変わらないのかも・・・
*************
書いてる傍から金融会社の放火殺人犯逮捕のニュース・・・
犯人はおとなしい人柄と言うが中には「かっとするとこわい」と
言う人もいた。こういう「かっとする」所を「カット」したいものだ
こんな5人も亡くなった事件の犯人でも人権があるし
やはり小説のようにまるで人格を変えるなんて、許されないのか・・・
でも、亡くなった人には人権も何ももう、ないのだけど・・・
(ただし犯人には小学生の娘さんがいると言う。くれぐれも
家族を糾弾する事のないようにしたいものだ。特にマスコミ)
復活の日 小松左京
早川書房(昔買ったので今同じか不明)
インフルエンザで欠席する子どもがチラホラ出ているので
一発こんな本を紹介してみる。皆さんもインフルエンザ当分ご用心
細菌兵器として開発されたものが空輸中アルプスで墜落
その細菌は世界に猛威を振るうこととなる
人をしに至らしめる「チベット風邪」は全く新しいモノだと
判明するが(しかもインフルエンザなどの感染力の強いウィルスに
乗って感染する性質もある)時は遅く人類の大半は死滅する
一握り生き残ったのは南極大陸の一万人であった
南極を中心に人類を存続させる計画を思案。16名の女性を中心に
つまり子孫を残す、のである。うーん好き嫌いでなく
ランダムに(公平に、ということで)相手を決める
でもそう言う場合は崇高な使命といえるだろう。チベットの
一妻多夫のように(逆ではあるが)女性が人工の制御をするのだ
しかし、全自動報復装置が南極に向いている事が発覚!
ふっふっふこの後は教えてあげない(笑)
これが書かれた時代は米ソ冷戦時代の頃で、互いの不信感を
払拭できないのであった。互いの核兵器が相手を狙っている
どちらにも「自分が滅びても報復できるように」設置された核
人類を破局させたのはウィルスではない。人類自身だ
どんなに恐ろしいウィルスが自然発生しても人の悪意や殺意の
脅威よりはマシだしきっと克服できると信じる
人の心に巣食う悪魔(人類の英知とともに誕生した)を
人が制することができるかどうか、息子や孫たち(もっとか)
に託そう。私たちはムリだった・・・
胎動 マイクル・ビショップ
(ハヤカワ 文庫 80年代SF傑作選より)
ある日謎の者たちが地球上の「配置換え」を行った
それは突然の出来事で、リンチバーグの町から目覚めると
セビリアで、しかも人々は暴徒と化していた・・・
私たちは今年テロ事件を見た。それは映像で「観た」のだ
そして爆撃されるアフガニスタンも、進撃する北部同盟も「観た」
たぶん暖かい部屋で食卓を囲みながら・・・
いくら悲惨な映像が届いてもそれは私達には現実ではない
明日飢える心配をしながら観てはいない
この短編はまさに人類の公平な分配とは何か?
資本が世界を覆い持てるものと持たざるものの現実とは?
そんな事を考えさせられる話しである
世界は永遠に「平等」にならないと私は思っている
なぜならそのためには多くを持つものはそれらを持たないものに
分けなければならないからだ。絶対それはできないだろう
上流の富豪が「ほどこし」をする、しかしそれでは解決しない
全世界の「持たざるもの」に分ける分量はそういった「ほどこし」
になる「ゆとり」の分量では足りないからである
オーダーの何十万もの服から980円ぽっきりの服に
一流シェフの高級料理から激安300円切る牛丼に
そのくらい落ちてもまだ足りないかもしれない
やはり米の配給(笑)そこまで「落ちる」勇気が私には無い
貧乏な私がこうだから裕福な層には絶対できないだろう
話は変わって、言語は文化、国という物にとって重要なことである
色々な国はあるけれど日本のように単一言語に近いくらいの
共通語を皆で話す事は国をまとめるなら都合は良い
意思の疎通だけでなく共感しやすくなるからだ
「あなたのおっしゃる謎の”彼ら”が地球全土の人間を配置換え |
いきなりの「配置換え」で多くの人が死んだり不幸な目にあっている
その中でそうして同族を求めて人があつまる、そんな描写に驚く
その通りである。紛争の絶えない国は言語や種族、文化、宗教など
多様な場合が多い。日本人には実感できないと思うが・・・
まだ日本人は多民族ヴァージンであると思うから
だってちょっと歩いたらそこの家は言葉が通じない・・・なんて?
考えもしないに違いない。まあ東京などではまあそういう場所も・・・
朝 目が覚めたら虫になっていた・・・じゃなくて朝 目が覚めたら
アフガンの寒い山村にいた(ソマリアでもいい。イメージとして)
という配置換えになったら?私は絶えられないと死ぬんだろうか?
それとも・・・たくましく「聖戦」の兵士相手に商売でもして
それなりに暮らしていくのだろうか?
もしも「配置換え」が現実にあってたまに実行されるとしたら?
自分がどこへ行くかもわからないから皆世界をなるべくどこでも
暮らしやすいようにしていくだろう。人は皆自分勝手である
自分がそうなるかもしれない、が一番有効だ
今実感が無くてもテロをよく覚えておこう。先進国の足元には
飢える国が潰されている。自分は食えるから関係無い・・・
そういっていると足元の者たちが我慢できず「怒り」をぶつけるかも
しれない。欧米の言う「人権」はある意味大事だが
別の角度ではやはり間違っているのだ
でも共産主義は失敗しちゃったね。やはり平等は永遠に無理なのか
神は?それもまた無理。世界でどれだけの「神様」がいるんだろう?
カテゴリの数だけ神はいる・・・いない人を入れるとさらにややこしい
電子頭脳 <ユエ> ウィリアム・カミュ 角川文庫
実はこの本以前持っていた。学校のバザーで偶然売っていて買った
懐かしかったからだ。マニアックなSFでないから処分したのだが。
カミュっていっても「異邦人」などのカミュじゃないよ・・・
2020年、あとほんの少し先の未来であるが
人類は核戦争と細菌戦争によって大国はほとんどが消滅していた
そして一握りの生き残った人間を、存続させるために
プロジェクトが組まれる。人口知能による完全な人間の生の管理である
そのキカイを
<ユエ>と呼んだ・・・
人類の最後の希望とは、生き残る事
そう著者は作品で書いている。なるほどそうかもしれない
個々人の自由を制限して社会(種族)を守る事
自然な形ならレミングの集団自殺、人為的な制度なら「社会主義」
になるのだろう。2020年人はあらゆる忍耐の代わりに
人類の存続にかけたのだ
出産制限は厳しい。人類が殺しあった原因の一つには人口増加があった
個人が自由に子どもを持つ権利、などがあったために地球の資源は
激減した。一方でその資源分配の偏りもあった
好みで食を選ぶ人がいる反面、今日の食料も無い飢える人もいた
そんな不均衡は<ユエ>はさせない。一番良い選択肢で、分配する
出産も同様に制限がある。もしも法外に生まれたら・・・死である
そんな中なぜか「人の住めない」所に「名前の無い人」たちは住み
野蛮でたくましく生きていた(名前とは許可された人だけが許される)
酸素ボンベ無しでは生きられないほど脆弱な人類とは正反対に。
作者のウィリアム・カミュは父親が北米インディアンらしい
この作品はSFという形を借りているが世界の現状を嘆いているし
(訳者あとがきでは、少数民族の復権もテーマだと言っている
少数民族はどんなに大国に保護されているといっても所詮は
大国のいいようになっているし、だから手厚くされていても減少傾向だ)
先進国の資本第一主義に警鐘も鳴らしていると思う
でも自由とはムズカシイ。どこまで自由にしてどこまで制限すべきか
いまだに世界の国全てが納得する方法は考えられていないのだ
みんな自分の事ばかり考えている。国も個人も(もちろん私も)
こんな事をやっていると本当に2020年までに<ユエ>が登場するかも
SFとしてはジョージ・オーウェルの「1984」などに比べると
ちょっと物足りない感はあるが、青少年向けにはかなり良いし
環境やその他を考えるいい教材にはなると思う
余談だが三流と言われるものが、悪いと言うのは間違いだと思う
娯楽もまたしかり。わかりやすい事、楽しい事、は悪い事ではないはずだ
Slaughterhouse-Five
(邦題 屠殺場5号)
カート・ヴォネガット・ジュニア
(多分出版社は早川書房 伊藤典夫訳だと思う)
本が行方不明だ(誰かに貸した。結婚前かなあ・・・返せ)
SFの奇才ヴォネガットの戦争モノである
第二次世界大戦ドイツのドレスデンで13万人以上が死んだ
ドレスデン無差別攻撃を著者は体験した。その忘れられない
体験を書き残そうと思いついたSFだそうだ
(もちろん奇才の名に恥じぬ普通の小説で無いひねりのきいた
面白さになっている)時間をさまよう主人公ビリー・・・
その過去や未来に行ったりきたりの感覚が混乱もさせるが
面白くもなっている(SFに慣れないと読むのはツライかな?
でも彼の作品はSFというより社会風刺モノといえるのが多い)
医学生であったビリーは第二次世界大戦でバルジの戦いに
行かされるそれが時間に振り回される始まりであった
過酷な捕虜(殺害される確立の高い)になったり
時を飛んで宇宙人に誘拐されたり(笑)
そして・・・運命の1945年5月13日ドレスデン爆撃
一夜明けると文化の町ドレスデンは廃墟になっていた
まあオチにつながるのでこれ以上書かないけど(いつも 笑)
ヴォネガットの小説を包むあきらめ感皮肉感は
(どうでもいいことさ、しかたないさ、と言う)
人の命や社会にたいする失望を表していないかと思った
今朝私は夢を見た。なじみのこの町が崩壊する夢である
寝る前のニュースはいつもアフガンで終わるからかも。
でその時なじみの建物などが崩れて家族と逃げている
やっと家に帰ってテレビにかじりつく、なぜかサソリがいて
かまれて「いてー!」と叫んで目が覚めた(笑)
でふと頭によぎったのは「ヴォネガット!」だったのである
日本では原爆が印象が強いがドレスデン無差別爆撃は
同じく大量殺戮・破壊であったのである
(もちろんこれは大国,特に英国などの意向によっていた)
なぜこの作品を私はアップするなのか?そう、連日のアメリカ軍の
アフガンでの空爆のニュースは「私は戦争を知らないのに
知っている」という思い。第二次大戦というものにアフガンが
重なるからである。親が戦争を知っている、これは大きい。
(脱線するが韓国などで戦争体験を知らないはずの世代が
反日感情が強いのも親世代や教育による刷り込みによるかも)
ヴォネガットはアフガンの現実にこういうんだろうか
「そういうものさ」