NO!と言える子育て 田中貴美子 飛鳥新社


魂の叫び 11歳の殺人者メアリー・ベルの告白
   ジッタ・セレニー 訳:古屋美登里 清流出版

1968年イギリスで11歳の少女が2人の男児を殺害した事件があった
数年前のイギリスでの10歳の少年による男児殺害の、まるで
前例のような事件の犯人メアリー・ベル本人への取材によるレポート本だ
現在メアリーベルは40代半ばである。今の私といくらかしか違わない
私が11歳の時どんな考えでどんな行動をしていたっけ?と思うと
大変に興味深いのだ。いわば同年代の同性が起こした犯罪だから

気がついたのだがこのメアリーベル事件も97年の男児殺害も
単独犯ではない、という事である。メアリーベルは行動を共にした
ノーマは知能が劣っていて犯行はできないと判断されて無罪となったが
一応「ふたりで」行動しているし97年の事件は少年ふたりの犯罪だ
まだ小学生ほどの低年齢の凶悪犯罪は「おとも」が必要だという事か?
それとも複数になるほど善悪よりもムードに流されやすいという事か
思春期の友達には気をつけろというがそういうことかもしれない
例えば万引きなど、ひとりではしないのに仲間ではやってしまう
という子も多いらしい。集団の心理も関係あるのかも

メアリーがひじょうに聡明な少女であった事が裁判では災いした
責任能力ありとなるわけだ。しかし・・・自分の11歳くらいの時を
思い起こしてみると・・・クラスの事、友達の事、欲しいマンガの事
家庭の悩み、好きな男の子の事、などなど、どこにも激しい殺意は
思い出せない。それは天真爛漫に生きていたという事ではなく
ある程度の分別のできる事も示していると思う
例えば児童会や委員会など学校での「公務」にも参加する年齢だ
そう言うものをこなせる年齢に「やってはいけない事」が判断できない
はずは無い。ましてメアリーが聡明ならばなおさらだ
たぶん判断力はあった、と思う。11歳の責任能力が親にあるとして
親が「ろくでなし」の場合どうなるだろうか?
つまり親にも責任能力が無い、という事だ(多分それもよくある事)

そこで、メアリーの生育歴を見る事にしよう
メアリーは犯罪者の父と(養父)娼婦の母親の元で「要らない子」と
言われて育った。そこに善悪の判断力の育つ素地は無い
この母親が曲者で95年に母親が他界するまでメアリーは呪縛から
開放されなかったという。保護施設でも「ぞっとするような子」という
印象を持たれた彼女・・・それは人が育つ時に親が心がけるべき事を
私達に教えてくれているようだ

親・・・特に母親は子どもに与える影響が大きい
メアリーの母とまではいかずとも、感情の起伏が激しかったり
過保護や放任など、問題は程度のさはあるだろうが、どこの親も
気をつけたほうがいいと言える。人は皆永遠の、マザコンである
親から逃れるには相当の努力や時間が要るのだ

それでも、2人の子ども殺害という罪が消えるのかどうか
悲壮な生育歴だから、可愛そうだから、無実か、それとも有罪か
私にはわからない。彼女は現在優れた知性ある女性という表現を
されるほど安定しているらしいが、私はそれが本当かどうか
猜疑心がムクムクと沸いてきてしまうのである
彼女は本当に改心しているんだろうか?とか、30年以上の時間は
良い方へばかりでなく彼女をもっと巧妙なウソをつける人格へと
変えてはいないか?とか・・・いじわるな考えだけれど・・・
私自身は大人になった事でずるさ(汚い事をキレイに取り繕う術)を
獲得している。キレイな大人などいないと、私は思う
ではメアリーは?傷つき苦しみ再生した?そこに汚さは無いのか?
と、メアりーを心から賞賛できない私は汚れた大人であろう・・・

所詮犯罪の真実は(特に被害者が死んでいる場合)加害者の語る
言葉だけが全てになる。そこには視覚的に(映画のように)
その陰惨な光景を見る事はできない。できるのは加害者の証言や
後からの証拠などによる「推測」の世界だ
(先日書いた読書かんそうぶんの「はみだしっ子」を
思い出して欲しい)その推測は必ずしも真実に一番近いとは限らないし
必ずしも公平とも言えない。被害者側や加害者側に、傾いているのである

昨年の大阪の児童殺傷事件は鬼畜のような犯人に世間でも同情の余地は無く
父の暴力に耐えかねて殺した少年には同情の声が集まる
世間とはそう言うもので裁判もまた事件の背景により判決は変わる
(そうでなくてはいけないが。法の情けを私は賛同するから)
もちろん時代にも。昔なら問答無用の打ち首だった殺人でも
今はむしろ犯人の人権重視であるし、国によってはまだ「打ち首」方式

人が人を裁く事はその時代の価値観の反映に過ぎないのかもしれない

昔の人が現在の死刑廃止の国を知ったら驚くであろう
殺人鬼がなぜ手厚く刑務所で保護されているのかと
また、近未来世界中で死刑廃止になった時代が来れば
昔の「打ち首」の野蛮さに閉口するだろう

わかる事、変わらない事はひとつ。凶悪な犯罪は過去も未来も
無くなる事はなく常に人々を恐怖に落とす事だろう
人が(ほとんど全ての)心に悪を内包しているのは仕方の無い
事で、それを制する事は命題なのだ・・・自身との闘い!

メアリーは子どもを産んだ。その子どもは18歳になるまで
イギリス政府の被後見である(親がメアリーベルだと世間に
知れれば大変だから。子どもの人権保護)メアリーは子どもを持って
初めて幼児を死に追いやった事を考えたという
私も親としてこのメアリーの言葉を信じたいが・・・


    二元論の罠(略)

    なぜ人は子どもを不幸にさせるようなカルトに入ってゆくのでしょうか

    服部 児童虐待をやらされると事前に知っていれば
       カルトに入る親などいないでしょう
       全ては組織に入ってから体験することです
       カルトの児童虐待は二元論の罠です。カルトは物事を全て
       極端な善悪に分けます。子どもをサタンに引き渡すか
       子どもを堕落と死から救うか・・・

       しかし二つの選択があるようでも、ひとつしか方法が無い
       これを心理用語で「偽りのジレンマ」といいます
       二つの選択を与えるがひとつの道はふさがれており
       残りの道しか選べないのです

       偽りのジレンマは政治の世界でよく使われます
       今ここで彼らを攻撃しなければわが国は絶滅させられる
       座して死を待つか、こちらから攻撃するか
       選択肢があるようだが一つの選択は絶滅だから
       攻撃するしかない。詭弁の一種です