読書かんそうぶん 犯罪・心理など
NO!と言える子育て 田中貴美子 飛鳥新社
育児の本というのはとても多く出ている。世の母親たちが
いかに悩んでいるのかわかろう・・・若いあなたも親の気持ちを
ちょっと知って(?)肩のひとつももんであげてください(笑)
クルマ買ってもらったりしてるでしょ、ウソついて外泊したりしても
ちゃーんと親は知っていて見てみぬ振りをしているゾー
育児本は分類すると3つのタイプにわかれる
ひとつは厳しく「しつけ」に重点を置いたり、理論にのっとるもの
ひとつは愛情がキーワードでスキンシップや会話重視のもの
残りは体験談など、理論でなく親のリラックスになるもの
この本は厳しいタイプに属する。今は愛情と言う考えが主流で
厳しい考えが少ない。99年発行なので古いのでなく、あえて
世の中の「愛情」と言う名に惑わされ子どもを甘やかすことに
一石を投じている。また育児のバイブルといわれたスポック博士
の母乳とスキンシップにも真っ向から立ち向かっている
他にも愛情育児を提唱している日本人の専門家の名も文中で
挙げられ否定されているし、ある意味で斬新で勇気があるのだ
けじめとしつけ、と言う点でとても良いことは言っている、が
私が本中で引っかかったのは、添い寝、母乳の否定であった
欧米式にのっとると親子別室はよかろうが、先日読んだ
「平然と車内で化粧する脳」のモンゴリアンの集団性未熟性
の影響ではないが、日本式の狭い家屋での雑魚寝をけっこう
気に入っている私としては、添い寝の否定は納得できない
それと子どもに個室を与える、与えない論争は
(これは本には無いけれど)豊かな、ゆとりのある家庭
ということで、豊かな国だけの論争だ
中2で6畳一間の家賃一万円の(トイレ共同で外!風呂なし
銭湯通い)アパートから始まった私の母子家庭ライフ、その前も
自営業で空いている部屋は客間で、親子同室で育った・・・
独立した子ども部屋があこがれだった・・・そんな私には
親子同室の狭さが今の自分のルーツだと思う
(昨年40歳にして息子の部屋から独立 自分の部屋ゲット 笑
ただし、ムスコの友達が帰ると分断していたフスマを開けて
元のラブラブ親子部屋になる )同じ部屋で呼吸している
バラバラに好勝手なことをしている時も、一緒にテレビを見ても
何となく「調子悪いかな」「機嫌いいな」など感じるし
狭い部屋、家族同室こそ私の提唱するカイラク育児主義だ
添い寝や子どもの泣くままの授乳は、なるほど原始的かもしれない
だが自分にはそれが合っていた・・・子どもの泣き声で
乳が張るのである。母乳がダイオキシン汚染や色々非難もあるが
出るなら、やらずにはいられない、と思う
添い寝の子どもの体温も、授乳も、とにかく気持ちイイのである
(ヘンタイか、私は 笑)寝不足もかまわない魅力
当時新聞などでも話題になり賛否(主に反論)を浴びた著者である
当時私も息子は小2だったがスキンシップを否定されたようで
反対論者だった(笑)当時「手書き」のボク通に載せた私の文がある
以下抜粋
短絡的に読むと、スキンシップも甘やかしのうち むずがる赤ん坊をわがままと決め付ける、赤ん坊が泣いておっぱいや |
ただし私のムカシ方式はグローバルを目指す日本人には
良くないかもしれない。本能のままのお気楽育児だったかもしれない
その証拠にムスコは勉学にいそしむ活発で子供らしい、という
タイプではなく、ひたすら友達と遊ぶことしか頭に無く
家ではゴロゴロしていて、口は達者で大人の揚げ足を取る生意気さ
これを失敗作と世間はいうだろうが、私には大成功である(笑)
一緒にいてこんなに面白い男はこの世にいない!(これを俗語で
親ばかという)
結論:どのように育てたいかビジョンは、考えないほうがイイ
この本は子育て中の人にはオススメである。読んで納得するも
良し。反対して我道を行くも良し。である
魂の叫び 11歳の殺人者メアリー・ベルの告白
ジッタ・セレニー 訳:古屋美登里 清流出版
1968年イギリスで11歳の少女が2人の男児を殺害した事件があった
数年前のイギリスでの10歳の少年による男児殺害の、まるで
前例のような事件の犯人メアリー・ベル本人への取材によるレポート本だ
現在メアリーベルは40代半ばである。今の私といくらかしか違わない
私が11歳の時どんな考えでどんな行動をしていたっけ?と思うと
大変に興味深いのだ。いわば同年代の同性が起こした犯罪だから
気がついたのだがこのメアリーベル事件も97年の男児殺害も
単独犯ではない、という事である。メアリーベルは行動を共にした
ノーマは知能が劣っていて犯行はできないと判断されて無罪となったが
一応「ふたりで」行動しているし97年の事件は少年ふたりの犯罪だ
まだ小学生ほどの低年齢の凶悪犯罪は「おとも」が必要だという事か?
それとも複数になるほど善悪よりもムードに流されやすいという事か
思春期の友達には気をつけろというがそういうことかもしれない
例えば万引きなど、ひとりではしないのに仲間ではやってしまう
という子も多いらしい。集団の心理も関係あるのかも
メアリーがひじょうに聡明な少女であった事が裁判では災いした
責任能力ありとなるわけだ。しかし・・・自分の11歳くらいの時を
思い起こしてみると・・・クラスの事、友達の事、欲しいマンガの事
家庭の悩み、好きな男の子の事、などなど、どこにも激しい殺意は
思い出せない。それは天真爛漫に生きていたという事ではなく
ある程度の分別のできる事も示していると思う
例えば児童会や委員会など学校での「公務」にも参加する年齢だ
そう言うものをこなせる年齢に「やってはいけない事」が判断できない
はずは無い。ましてメアリーが聡明ならばなおさらだ
たぶん判断力はあった、と思う。11歳の責任能力が親にあるとして
親が「ろくでなし」の場合どうなるだろうか?
つまり親にも責任能力が無い、という事だ(多分それもよくある事)
そこで、メアリーの生育歴を見る事にしよう
メアリーは犯罪者の父と(養父)娼婦の母親の元で「要らない子」と
言われて育った。そこに善悪の判断力の育つ素地は無い
この母親が曲者で95年に母親が他界するまでメアリーは呪縛から
開放されなかったという。保護施設でも「ぞっとするような子」という
印象を持たれた彼女・・・それは人が育つ時に親が心がけるべき事を
私達に教えてくれているようだ
親・・・特に母親は子どもに与える影響が大きい
メアリーの母とまではいかずとも、感情の起伏が激しかったり
過保護や放任など、問題は程度のさはあるだろうが、どこの親も
気をつけたほうがいいと言える。人は皆永遠の、マザコンである
親から逃れるには相当の努力や時間が要るのだ
それでも、2人の子ども殺害という罪が消えるのかどうか
悲壮な生育歴だから、可愛そうだから、無実か、それとも有罪か
私にはわからない。彼女は現在優れた知性ある女性という表現を
されるほど安定しているらしいが、私はそれが本当かどうか
猜疑心がムクムクと沸いてきてしまうのである
彼女は本当に改心しているんだろうか?とか、30年以上の時間は
良い方へばかりでなく彼女をもっと巧妙なウソをつける人格へと
変えてはいないか?とか・・・いじわるな考えだけれど・・・
私自身は大人になった事でずるさ(汚い事をキレイに取り繕う術)を
獲得している。キレイな大人などいないと、私は思う
ではメアリーは?傷つき苦しみ再生した?そこに汚さは無いのか?
と、メアりーを心から賞賛できない私は汚れた大人であろう・・・
所詮犯罪の真実は(特に被害者が死んでいる場合)加害者の語る
言葉だけが全てになる。そこには視覚的に(映画のように)
その陰惨な光景を見る事はできない。できるのは加害者の証言や
後からの証拠などによる「推測」の世界だ
(先日書いた読書かんそうぶんの「はみだしっ子」を
思い出して欲しい)その推測は必ずしも真実に一番近いとは限らないし
必ずしも公平とも言えない。被害者側や加害者側に、傾いているのである
昨年の大阪の児童殺傷事件は鬼畜のような犯人に世間でも同情の余地は無く
父の暴力に耐えかねて殺した少年には同情の声が集まる
世間とはそう言うもので裁判もまた事件の背景により判決は変わる
(そうでなくてはいけないが。法の情けを私は賛同するから)
もちろん時代にも。昔なら問答無用の打ち首だった殺人でも
今はむしろ犯人の人権重視であるし、国によってはまだ「打ち首」方式
人が人を裁く事はその時代の価値観の反映に過ぎないのかもしれない
昔の人が現在の死刑廃止の国を知ったら驚くであろう
殺人鬼がなぜ手厚く刑務所で保護されているのかと
また、近未来世界中で死刑廃止になった時代が来れば
昔の「打ち首」の野蛮さに閉口するだろう
わかる事、変わらない事はひとつ。凶悪な犯罪は過去も未来も
無くなる事はなく常に人々を恐怖に落とす事だろう
人が(ほとんど全ての)心に悪を内包しているのは仕方の無い
事で、それを制する事は命題なのだ・・・自身との闘い!
メアリーは子どもを産んだ。その子どもは18歳になるまで
イギリス政府の被後見である(親がメアリーベルだと世間に
知れれば大変だから。子どもの人権保護)メアリーは子どもを持って
初めて幼児を死に追いやった事を考えたという
私も親としてこのメアリーの言葉を信じたいが・・・
下 蟲の群れが襲ってくる
ロナルド・シーゲル 小林等:訳 草思社
パラノイアとは和訳で偏執病である。ってそれじゃあよくわからない
パラノイアとは?一般には妄想や強迫観念に取りつかれた人という
イメージである。この本にはまさにそうした異様な考えに(異様な行動も
伴っている)取りつかれた人々の話が詰まっている
人工衛星で監視され狙われていると主張する男は物理学博士であり
企業の研究者として期待されていた。きっかけは(引き金?)
友人に誘われたある映画であったのではないか・・・という
その映画とは「エル・トポ」といって監督自ら映画を一種の幻覚剤
として利用し,観客の意識を変える、と述べたような作品だった
派手な色彩と音楽、奇怪な殺人や死体など(私も絶対見たくない
と思う)醜悪な内容らしい。翌日も彼は見事に仕事をこなしたそうだが
この映画が彼の精神の何かを変えたとしたら映像の脅威はスゴイと思った
(だから子どもに暴力シーンなど規制が叫ばれるんだろうが)
数年後彼は思うようになる「私は監視されている」と。部屋中に
アルミホイルを貼って電磁波を遮断しながら・・・
この本にはこのように奇怪な人物がたくさん出てくる
ヒトラーが生きていると主張する男、など小説のような世界観だ
だが問題はこのような妄想は誰にでもあるんじゃないかと言う事だ
例えば道を歩いていて石につまづく。倒れそうになるが大丈夫だった
ああ,危なかった,転ばなくて良かった・・・と思うか
私はそそっかしいから、気をつけなければ・・・と思うか
今日はついてない!運が悪い日かしら・・・と思うか
人の気分や性格によって違うと思う
それが極端な場合・・・まさか誰かが私が転べばいいとわざと置いた?
と猜疑心が働いたりする。それはパラノイアへの第一歩なんだろうか
どこまでが正常でどこからが異常なのか、その線引きもまた曖昧だ
ある意味ちょっと異常は「個性」かもしれない
何にも異常がなければ「つまらない人」かもしれない
人を不快にさせない程度の異常ならまあ良し?なんだろうか?
ところで文中にヒトラーについての記述があって興味深かった
ヒトラーは薬物過多だったらしい。その毒性(副作用?)が彼を
少しづつ、かつ深く蝕んでいったのだろうか。クスリが切れると
注射を打つ、するとたちまち活気に満ち饒舌になったらしい
人を惹きつけたと言うヒトラーの弁舌の影に薬物があったとは
実は私は始めて知った。もしかして世界中を恐怖に陥れた男は
単なる中毒患者だったのか?ヒトラーが性格異常だったのは
近年よく聞くことであるがそうした人間が国家のトップに立ったこと
それが恐ろしい。民たちは集団の心理によって(自分たちによって)
ひとりのカリスマ(悪人でも)に酔ってしまうのかもしれない
国を率いる男が妄想狂で破滅へのハンメルンの笛吹きだとしたら・・・
もう世界のどこの国でもこんな男をトップに立たせてはならないが
経済や文化の衝突や不均衡で世界情勢が悪化するとどこでも
ファシストが強くなる。そしてそういう指導者は攻撃的なのだ・・・
民衆も他者(他国)から幸福を奪うのを期待しているから・・・
と言う事は不幸が民衆を狂気に走らせるのかもしれない
(残念ながらヒトラーの信奉者は世界のあちこちにいるらしい)
ヒトラーだけではない。危険で邪悪なものに魅入られる人は多い
それは人の心の中に(誰にでも)潜む「闇」があるからだろうか
闇を否定はしないが、暴走する事を人は止められるんだろうか?
必ず自分はコントロールできると自信があっても100パーセント
と言う数字はありえないのだ(だからこその事故というのは起こる
教祖逮捕 「カルト」は人を救うか 米本和弘 宝島社
以前紹介した「カルトの正体」と重なっている箇所もあるが
中にセラピスト服部雄一氏との対談があり、ちょっと面白い事が
あったので一応紹介しておく。
二元論の罠(略) なぜ人は子どもを不幸にさせるようなカルトに入ってゆくのでしょうか 服部 児童虐待をやらされると事前に知っていれば しかし二つの選択があるようでも、ひとつしか方法が無い 偽りのジレンマは政治の世界でよく使われます |
うーむ。ここでさっき書いたばかりの正当防衛射撃を考えた
打たれて死ぬか、射撃するか、といえば打つしかない
これって二元論?でも・・・他に方法があったかなあ?
世の中二元論ばかりではない。というよりも白黒はっきりしない
事ばかりだと思う。グレーゾーンである。そして白黒以外にも
赤も青も黄色も存在してもう大変である。それを道が二つしかない
と言うのも変な話である。だが人の不安感、危機感を煽ってるのだ
ところで、この本ではすっかり浸透したマインドコントロールという
言葉にも触れている。むしろライフコントロールと言った方が
適切ではないかという。なるほど。人間関係の制限や監視
生活習慣など、日常を細かく指示されたらかなり心理的に影響する
まして自分の培った習慣や世間の常識を否定されたら・・・・・
刑務所や病院、学校など生活の場が矯正や治療、。教育の場となると
明らかに家とは違う。そこには不自由さがあるが一歩で集団に
慣れてゆく。家では個々に違う生活パターンがあり個性を産むモトにも
なる。それら生活が全てカルトの指示になったら・・・
ある意味戦時下の日本などもそうであっただろう・・・
信仰の自由と、信者は言うが信仰の不自由もあるし
不信仰の自由もまた、ありである
強いて言うなら私は科学や「目に見える」人たちを「信仰」している
人は裏切るものだと信仰ある人は言う。もちろんだ。人は裏切る
(そういう事もある)がそれでもいいから信じる。家族を、友を。
別に裏切られたからってなんぼのもんじゃい!!
どうせ信じるなら得体の知れないモノよりも、泣いたり笑ったり
しあえる生身の人を信じたいから。私は人がいるから神は要らない!
・・・クリスマスにこの台詞はマズイ?でも人々の敬虔な信仰に
メリークリスマス!’(注:別に普通の信仰はカルトではありません
「子育て」崩壊! 別冊宝島編集部編 宝島社文庫
先日書いた、息子に殴られると「気持ちがいいんです」と言う母
(私じゃないよ 笑)の話しが一体何に載っていたか調べたら
この本だった。文字どうり育児や親の人間関係、父性や親の病理など
ドロドロしがちなテーマを宝島ならではの読みやすさに変えている
中流以上の家庭の集まる地域ではムラ社会のような構図が見える
そこでは人と違う事や秀でる事、劣ることは許されない
生きにくい場所だったと著者は言う(子持ちの母ライターが書いている)
あの園児殺害事件(犯人が子どもの同級生の親)なども
ありえそうな監視されたような場所・・・ひえー、とてもこんなダメ親の
私には住めそうにない、と思った。悪名高き公園デビュー・・・
たかが子どもを砂場で遊ばせるために何故こんなにも神経を使うのか
テレビでもたまにやるがどこどこのブランドを着て行くと印象が良い
とか母親父親の学歴が子どもの公園デビューを左右するとか
身の毛もよだつ感じである(ちなみに私の地域はお気楽であった)
そんなに厳しかったら確かに殺人くらい起きそうだ
「父性喪失」のところではこんな母親が出てくる
しゃべりすぎる母親・・・単なるおしゃべりではない
いじめなど問題もないのに、子どもを中学に行かせないのだ
理由は「管理教育の学校には行かせない」???
訪問者を次々論破していく母親はさぞや高学歴であろうかと思えば
実は県立高校卒だった。その母は言う「学校の先生と話しが出来ないのは
あの方たちに教養がないからです」と
おいおい、何言っているんだと思ったが、気持ちはちょっとわかる
自分を評価してもらいたい、自分をすばらしいと誉めて欲しい
そんな子どものような世間に対しての「甘え」である
他人から高く評価される人は自分を誇張してみたり
他人を批判したりはしない。する必要がないからである
ノーベル賞受賞者の野依教授が「勉強せず遊んでばかりで」と
言っても世間の評価は変わらないのである
だが世間の片隅でチンケに生きている私が「私って本当は天才で
昔はチョウ美人だったのよ」といっても失笑を買うだけだ
だから少しでも他人(優秀な)人を批判して自分の優位性を
アピールしようとするのだ。ああ。みじめ
だから私はしないけど。分相応ということで(笑)
もうひとつ家庭内暴力のムスコを父親が殺した事件も取り上げている
その事件では父親の仕事がカウンセラーだったこと
さらに子どもに悩んでカウンセラーを回って「子どもに逆らっては
いけない」という方法を実行(自身もカウンセラーだから納得した)
しかし子どもの「嵐」はやまなかった
ここにマニュアルの落とし穴がある。病気にかかって病院に行く
あなたは**病ですからクスリを出しましょう、という診断は良い
顕微鏡で見て最近やウィルスは見つかるからだ
この菌はこのクスリで死ぬ・・・という計算が成り立つ
しかし目に見えないものは違う。むずかしい、むずかしいのだ・・・
決して逆らわないと言う方法が間違っていたかどうかはわからない
逆らって息子を力で制しても結果は同じだったかもしれないから。
でも目に見えないものの問題は正解の確率は何パーセントもない
手探り・・・下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、という原始的な方法が
案外いいかもしれない
この本を読んでいるとああ、親って大変と思う
他人事みたいである。私も親ではあるがかなり「いいかげん」で
人はこんなに苦労しているのかと、お気の毒に思う
まあムスコがこれからどうなるか、で変わるけど
「うちの子に限って」そんな事ございません 溺愛母(笑)
魔法の娘 多重人格者ジェイン、苦しみの手記
ジェイン・フィリップス 堀内静子訳 早川書房
仏語教授である著者は過去の家庭のトラブルにより
多重人格者であった。語りたい、でも、知られたくない
という思いの末、本で告白という道を選択したのである
(ただし登場人物も著者名も、全て仮名だそうだ
家族はもちろん本など反対だろうし、家族が傷つくという事を
著者が気にしているし、告白という形で周囲にばれると
教授という職がどうなるのか、不安でもある、という事で)
それにしても解離だけでなく心を病む引き金の体験で
性的虐待は一番大きな傷になる。ましてや幼い頃ならば・・・
子どもを虐待から守る事、虐待は多くは家庭内だと言う事
その2点を社会人は心しなければならない
家族だ、親だ、という事でよその子どもを守れない事は多い
そうなると、まあ行政(法的)の出番なんだけど・・・
彼女は自分の事をずっと普通ではないと、思っていた
しかしセラピストの門を叩くのはずっと後だった
なぜなら彼女は自分がどうおかしいのか説明できず
「わからないんですけど、でも私にはどこかおかしい所があるんです」
としか言えない。当時多重人格(解離性同一性障害)というモノも
知れていなかったし、さぞやつらかった事だろう
彼女の問いかけ
「わたしはどこが悪いの?何で人生はこんなにつらいの?」
これに答えられる人はきっとどこにもいない
意外な事に人格がひとつである事に対して
「たいくつじゃない?」という問いかけがあった
退屈?なるほど、自分の中に自分のコントロールできない人格
自分の未知の人格というものがあるなら、どうなんだろう
例えば自分でも他人でも精神的なアップダウンがある
「鳴いたカラスが笑った」泣いている子どもがあめなどもらって
コロッと気分がわかって泣き止む。そういう自分の感情の
コントロールは自衛の為の自然な行為だ
それがうまくいかないと精神が疲弊してしまうし
うまくいき過ぎると「解離」するのではないか、と思った
解離して人格がたくさんいるとする。それはそんなに悪い事
なんだろうか?私は自分が辛くなく、生活上問題なければ
解離という状態もまたその人であると思ったりする
人格が一つでなければいけない、なんて思わない
が、大体解離している人はかなり辛い状況だろうから
やはり「統合」を目指すのだろう
解離している人は幾つかのOSを持っている
もちろんキカイは一つなんだけれど・・・
きつねつきの科学 高橋紳吾 講談社
日本などで昔よく言われたケモノつき(憑依)と言う現象を
精神医学の見地から述べたもので、文章もわかりやすく
イラストや写真、図などもふんだんで、気軽に読める
「つく」というのはたとえば素人的に言うと一種の
人格交代(解離)であると、いえばそれまでだが
そこに民族や文化にも相違が見られる事が面白い
文中、日本で初めて「日本のきつねつき」を精神医学的に
書いたのはドイツの内科医であったとある
当時政府は狐憑病の流行に頭を悩ませていて
日本が西洋に追いつく事が急務であるため、きつねつきなどの
悪習を一掃したかったのだと言う
私は、そういった迷信などが文化の遅滞に影響するかと言うと
「影響する」と答える。例えば、何かの建築をしようとして
そこに「御神木」や「お稲荷さん」「お地蔵様」などなど
むげに移動したり、無くしたりしては「祟りがある」というものが
あるとする、すると、その辺を考慮してお払いをしたり
そこだけ残したり、もっとすごいと工事予定地を移転したり、と
時間も経費も手間も、かかるのだ。それは数字的にはマイナスである
宗教の奇異な慣習や、悪法(根拠の無い階級差別など)もまた
文化を停滞させている。
一方で奇異な風習が経済効果を生んでもいるのでバランスが大事
(ねぶたや、だんじり、など祭りで観光客は来るよね
クリスマスなんて商用イベントになっているし)
********************
話は本に戻って、憑依と日本人の死生観に著者は着目する
題材に選んだのは「能」だ。三つの有名な「能」を取り上げている
「道成寺」若き女性が男に裏切られ、蛇に変身し復讐する
「葵上」源氏物語の源氏の正妻葵の上が病に苦しんだが原因は
源氏の愛人六所の御息所の生霊であった
「鉄輪」かつての愛人を殺すため鬼になるが、いざとなると
情が沸いて殺せずわが身を嘆く
これらを「憑依」と考えると面白い。能というのは、実は面白い
エンターティメントであると、日本に来た外国人から聞いた事がある
能の面白さはその、敷居の高さで一般にはなかなか生の舞台を
体感できないが、能関連本やダイジェスト本で、能独自の日本人感を
楽しむ事はできよう。能は男女の愛欲ドロドロのいわば
上品な(?)仮面をかぶったワードショーなのである
ああ、だからほら仮面かぶってる(笑)
どうでもいいけど、これ皆女じゃん?霊版ストーカーって?
ストーカーって昔は女の特許だったのか。では、今ストーカーは
主に男だと言うのは?男性が女性化しているのか
女性の自由度が増えて、女性が受身で無くなったのか、どちらかか
犯罪心理学入門 福島章 中公新書
タイトルどおりの本なのでいきなり印象的なエピソードを紹介する
強盗殺人犯29歳 暴力団構成員だった彼は精神病を拘束中に発病
懲役の終わった後精神病院へ収容されたが、妄想で
組関係者に殺されるのではないかと怯え実際に幻聴もあったらしい
ところが病院での薬物両方で快方へ向かい症状が消失
彼の持つ本来の攻撃性・反社会行動パターンが戻った
病気を治してもらったおかげで犯罪者に戻ってしまった
しかも暴力団関係者でなく夜勤明けの看護婦から引ったくりを
しようと、騒がれて殺した、罪のない人への殺人である
医師の使命は病気を治すこと、だがこのケースは治さないままの方が
良かったと誰もが思うだろう。
以前ロボトミーという言葉が話題になった。かなり昔だ。
前頭葉切除手術だ。前頭葉は辺縁系で人の情動を司る。
1935年解剖学者のジェームス・パーペスが
狂犬病で死亡する患者は死の何時間か前に発作的な激しい怒りと
恐怖を見せる事を発見したという。狂犬病ウィルスの作用点を
調べると辺縁系であったという
(上下私のうら覚えなのできちんと調べていただきたいが)
てんかん患者にロボトミーを施した時術後に患者から感情や
攻撃性が失われた。重大な欠陥手術であったが
前頭葉が感情や攻撃性に関連する事は裏付けられたんだろう・・・
このロボトミーはSFやサスペンスモノのかっこうのネタである
犯罪者や政府に反抗する勢力へロボトミーをする設定
しかし人間の感情を殺していいんだろうか?と考えさせようという
狙いはわかりやすすぎ(笑)
罪のない人が毒牙にかかって殺される
その時ロボトミーとはいわないが精神病を治さなくてもいいと
思うのは人道的ではないだろう、でも死んでいった人にもはや
人権はどこにもないのだ。あらゆる殺人事件に言えるんだけれど。
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犯罪者といっても実に様々だ。100人いれば100通りの人格に
生育歴、犯罪パターン・・・それらを何とか分類して研究しなければ
ならない。心理学は未知の分野だから宇宙に挑むのと同じ事だ
犯罪者の心理、自分たちとは違うと言い切れるか?
自分の中に犯罪性はないのか?と問うた時自分だけは・・・とは言えない
平凡な主婦である、が、子どもを虐待死させたり、よその子を殺したり
みんな主婦の犯行だ。普通の人とは何だろう?普通の人というのは
本当はいないのではないか?
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先日日本でコーランを何者かが焼いた事件がありイスラム教徒たちが
犯人逮捕を懇願したニュースがあった。この犯人について考えると
愉快犯、確信犯?ワケもわからず焼いたならここで話はおしまい(笑)
確信犯、計画や目的のあった場合は?どういう心理でコーランを焼いたのか
興味があるところだ。人の大事なものを破壊したい、という衝動
わたしたちはなぜ科学にだまされるのか
ロバート・L・パーク 主婦の友社
これは科学を疑うものでなく世にはびこる「科学もどき」に
騙される事の無いように警告をしたエッセーである
アメリカ物理学学会のワシントン事務所長である著者が
科学を悪用した「科学もどき」は世間に警告する義務が
科学者にはあるのではないかと書いたそうだ(うんうん)
導入部にこんな部分がある。ある健康法を生んだ教祖が
「自分のあみ出したスピリチュアル・ヒーリングの基礎は
量子論にある」ともっともらしく説明している・・・と。
このように科学用語を出せば素人の私たちはいとも簡単に騙される
私などは科学用語を出されると水戸黄門の印籠よろしく屈服
「まいりましたー」となってしまう。原子だ、分子だというのは
私には神のお言葉でありもうほとんど科学教徒(笑)
怪しくても信仰は揺るがない、そこに落とし穴がある
UFOから正確なデータのない電磁波の影響、常温核融合など
身近なトンデモ話から巨額のかかったはずの技術まで
詳しく書いてある。必見の一冊だ
数年前の事だ。知人がこんな事を言った。
カウンセリングの講習会に参加した際に、そこで
(一体どういう講習なんだ?なんのカウンセリング?
私も当時通教でカウンセリングの授業を取っていたが
聞いた事のない内容だった)輪廻や幽体離脱などの話になったという。
半信半疑の彼女に講師はこう言い放った。これは有名な科学雑誌
ネイチャーにも載った科学で証明された事実なのです。
安心して学んでくださいと言われたそうで「ネイチャーだって!」と
興奮気味に私に話していた。私は開いた口が塞がらなかった
いくら素人でもネイチャーくらい私も知っているが
輪廻や幽体離脱が本当にネーチャーに載ったんだろうか???
(この真偽は確かめてはいない。臨死体験などのレポートが載る可能性は
あると思うしそう言う現象を科学的に分析するとどうかという
試みもあるかもしれないが、あの世が実証されたといっても・・・)どう考えてもアヤシイ場合「科学」という名の権威に安心して
人は猜疑心を捨てる事がある。科学は懐疑主義のはずなのだから
もっと疑って臨んでもいいと思うんだが、神は信じなくても
科学は信じるぞという私のような素人バカは多いのだアヤシイ者こそ科学を都合良くカンバンに掲げるという事を
忘れずにいたい。日本にも山ほどあるアヤシイ「科学的な」商品
年寄り狙いの健康布団や若い子を狙った痩せるクスリや美顔器
1万円が大儲けになるという新経済理論(科学じゃないけど。
先日ダンナが街で配っていたという大儲けチラシを持ってきた
大爆笑の食卓のネタになったので、意義はあったチラシだが)
神の降臨が科学的にも証明されたなどという団体など
自分と世間のそこそこの知識をフルに思い出してアヤシイかどうか
判定していきたいものである(多くは金が絡むからわかりやすい)