読書かんそうぶん 心理・犯罪など
ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年
奥野修司(新潮社)昭和四十年代多発した産院での赤ちゃん取り違え事件の
ある二家族を取材したルポ昔子どもの頃母親と話した事がある
「お母さん,私がよその子だったらどうする?」母はきっぱり言った
「私の子はおまえだけ。例え間違えてましたと言われても私の子
絶対渡さないよ」私もどこにも行きたくないと思っただが本当に間違えられた子どもと家族は悩み苦しんだのだ
昨年取り違え事件の母娘がテレビに出ていた
もしかしたらこのルポの母娘だろうか。今は育ての親と住んでいる
良かったと心から思った。時間を共有する事はこんなに大事なのだアメリカかな?やはり取り違え事件があったが不幸にも
片方の子どもは心臓病で死んでしまったのだ
方や父子家庭,子どもの取り合いのようになってしまった
父と子は血ではなく情愛で結ばれていて離れたくないと言った
だが裁判所は実の親元へと判決が下る。残酷だ
確か映画にもなったと思う(少女キンバリーの選択)今,ここにいる息子この子が間違っていても私の子はこの子だけ
血を越えて,10年の時間が私たちを親子にしただが以前主人と事件の話をしたとき悩んでから彼は言った
「実の子,血を取るかもしれないな
血のつながった絆って特別だと思うから」逆だった
自分の体で産んだ母親が「実の子でなくても,この子がいい」といい
産みの実感の無い父親が「実の子」を取る
子どもの寝顔をはさんで私たちは沈黙したただ父親ソックリの顔立ちを前にして「もしも」の話には
ならなかったのかもしれない
みなさんはどうしますか?子どものいる方,交換できますか?
若い方,育ての親と別れますか?でも自分のルーツは知りたいよね。育ての親と暮らしても
実の親と会いたいかもしれないな2001/2/1
約束された場所で 村上春樹 文藝春秋
読んだ人は多いだろう、オウムの元信者へのインタビュー集だ
オウムに入った人とそうでない人、明確に分かれているとは思えず
彼等の言動は興味深い。孤独感、終末感、自我、トラウマ、家庭
現実と理想の落差、数えればキリがないほどのキーワードが
あって、特に若い人は答えを求めてさまよっている世間の言う事が正しいとはいえない。真実を見た人はいない
オウムという場所は「答え」であり「居場所」であったのだと
ふと思う。現実社会は辛い時がある。
自分がこうしてバーチャルに逃げていると同じように彼らも
オウムに逃げたのかもしれない(同じくルポ本 検証オウム真理教事件 瀬口晴義 社会批評社
中のひとりの話が印象的だった。オウムに入り勧誘のノルマを
こなせなかった女性信者は泣きながら報告をした
それを聞いた幹部(あの井上嘉浩被告)はこう言った
「出来なかったからと言って君の価値は変わらない
なぜ、そんな事でこれほど動揺するんだ」
結果を求める一般社会でかけられる事の少ない言葉だ
こんな上司がいたなら職場も安泰なんだけど,実際は
妖怪大全集で,現世の「修行」は厳しい・・・・・
繊細な、こわれもののような人たちが集う場所
なぜか,悲しくなった・・・・・2001/2/14
風俗の人たち 永沢光雄 筑摩書房
すごいタイトルだが,すごいんです(笑)
ずばり風俗の方たちを取材したもの。でも本当に勉強になった(こういう本の紹介してもいいのかな・・・
キレイごとじゃないから大切だって事もあるので,紹介したい
出来れば女性に読んでほしい)例えば「幼児プレイ」なんてものがあって
赤ちゃんに返って女性にオムツなどしてもらって
癒すという場所があるそうだ。不思議な事にそんな男性達を
否定する気持ちは起きなかった。人は何かを抱えている
赤ちゃんごっこで癒されるものがあるならそれで良い
女装クラブでも、SMでも他人に迷惑をかけないならいいと思う
まあ,出来れば奥さんで癒してほしいけどね(笑)他にもダッチワイフの話があってイヤラシイイメージがあるけれど
以外にも必要なものじゃないかと思った
例えばこんな悲しい話が書いてあった。障害児の息子の為に
母親が相手をしていたという、そんな悲劇を解決する一つの方法が
ダッチワイフなら、大いに活用して欲しいくらいだ
世の中には正常な(この言葉もヘン。何がその範囲なのかあいまい)
性生活を送れない人や,状況がある(単身赴任や男ばかりの船など)
そんな時ロボット(違うけど,そういうイメージ)で代用できれば
良いじゃないかと思った。円満解決。奥様方,怒るなかれもう一冊この著者の本に「AV女優」というのがある
ずばり彼女たちへの取材だ。ここにも色々な人生ドラマがある
トラウマがあるからこの道に入ったと言って欲しく無いと
著者は言う。私は彼女たちを女の敵だなんて思わない
生き方に王道なんて無いと教えてくれる
私も男だったらまあ,お世話になったかもしれないし!?ちなみにこれらはエッチ本(?)に連載していたらしいんですが
内容がマジメなのでウケなかったそうです2001/1/30
凍りついた瞳 ささやななえ 原作・椎名篤子 集英社
続凍りついた瞳(被虐待児からの手紙)もありますマンガになってはいるがこれは幼児虐待の実話を漫画化した物だ
社会問題となっている虐待の根は深い忘れられない事がある。これを買ったのは三年ほど前だ。
ある友達にこの本を見せた。彼女は少し読んで閉じた
「今これを読むのは無理」びっくりした
そう,彼女は夫から暴力を受けていた。聞けば結婚してから
ずっと暴力を受けていると言う。「別れたくないの?」と聞くと
「子どもには手を出さないから。それにたまにやさしい時があるの」
何も言えなかった。明るい人だったから気づかなかった
何も言えないまま時が過ぎてしまった。どうしているだろう
気の利いた言葉をかけてはやれなかった
私は「逃げた」のだろうか。年賀状は変わらぬ彼女の微笑みが・・・暴力を振るう人は自身もトラウマを抱えているという
夫婦間暴力は最悪なものだ。たぶん夫婦だけでは治らない
第三者の手が必要だと思う。
私は何の解決にもならないのに,自分が何故こんな本を
読むのかわからないが、彼女がこういう本を手にとって
読める日が来ることを祈らずにはいられない同じ原作者の本 家族の中の迷子たち 鈴木雅子 原作・椎名篤子
家族関係のひずみから色々な症状の出る子供たちを
児童精神科医の実話を書いた本 (集英社)2001/2/2
子どもを殺す子どもたち デービッド・ジェームス・スミス 翔泳社
以前通信でも書いたが、1993年イギリス・リバプールで
2才の男の子が殺され
犯人として逮捕されたのは、なんと10歳の子ども二人だった
世界中に衝撃が走ったこの事件も昨年、この犯人の子どもが
別の戸籍を作られて,釈放されるというニュースで話題となった
18歳になり,大学進学も考慮しているという。
ふたりの人権を守るなら,死んだ2才の子にどう人権を与えるのか
言いたい事は多い・・・
さて,この本は事件の経緯,ふたりのインタビュー、生育歴を
詳しく書いている。中で印象に残ったのは
殺人は認めても,自分の家族の欠陥については認めなかったこと
殺人は認めても,性的なイタズラは認めなかったこと・・・・・
殺人よりも「知られたくない事」とは「大事な事」ということか・・・
もしも彼らが社会に出るとしてどう生きるんだろうか?
彼等は事件を今、どう考えているんだろうか?
私も息子がいる。10歳だ。事件当時は2歳。
被害者の年齢,加害者の年齢である。複雑な気持ちだ。
被害者になったなら私は絶対許さないが,加害者なら??
なんとか更生して過去を忘れて(償って、ではなく)人生を
生きて欲しいと思うだろうか。
自分の親としての身勝手を思い知る・・・
2001/2/27
記憶を消す子供たち レノア・テア 草思社
幸せな母親が,ある日娘の姿を見て、幼い日の忌まわしい
殺人現場の記憶と虐待の記憶がよみがえる。封印された記憶。
トラウマと記憶の関係にせまるノンフィクション
記憶は嘘をつく、という本もあるそうだ。とくに幼児期のトラウマが
人の記憶に重大なミス・プリントをさせたり、封印したりする
日常でもありうる,記憶の混乱や記憶の嘘
パニックになった時、ブレイン・コントロールされている時
人は自覚ないままに「嘘」をつく。詐欺的な悪意のある嘘ではない。
本人に「自然に」出る嘘。本人も侵食する怖さ・・・
自分の記憶が正しいものか、ふと考える。
幼い頃の思い出、昨日の夕ご飯,数年前の旅行先・・・・・・
もしかしたらただの,私の作り話か?
私という人間は,連続した自分と他人の記憶から成り立つが
それらの記憶は正しいのか?
自分の1日が,本当は見ている夢なのかもしれないとは誰もが
思う時があるだろう。同じように記憶というのは連続・蓄積されて
いるというのも「嘘」の刷りこみだったら・・・
余談だが単純労働や車の運転などは,違った意味の記憶である
「体で」覚えるという奴だ。だから本当に信頼できる記憶とは
そういう「体」で記憶したものだけかもしれない
ありさの「虐待日記」 白石宏一 小学館文庫
99年秋インターネット上で母親による虐待の様子が
描かれた日記が公開され,テレビ・新聞報道でも波紋を読んだ
(転んですりむいた傷に塩をすり込んだ、夕食のハンバーグを
食べたいと言ったので夕食抜きにした、など書かれている)
その問題点をまとめた本だ。私は虐待でない問題点に注目した
この虐待日記の問題は「本当かどうか」わからない点にある
真実ならば虐待を第三者が止めなければならないし
ネットでの創作だったらお騒がせで終わりである
(本当はやっていないと本人らしき人物からコンタクトが
あったと本に書いてあったが)
インターネットと言う特異性が生んだ「騒ぎ」だったのか?
やっているかいないかわからない文字だけの世界だから・・・
彼女の書き込みも「虐待は悪いことではない」とあったようで
虐待している本人が「悪いことではない」と書いたことが
よけい世間の反感を買ったと思う
一般論,議論として「虐待は悪いか」とテーマを掲げ
それに「悪くない」と答え意見を言うのとは違うのだから。
人を殺した人が「悪くない」というのはとんでもないが
普通の人が理論で「人を殺すのはいいか」と議論は自由だ
意見はどんな異端で禁断の意見も封印してはいけないと思う
本と同じだ。禁書はいかん。世の中の暗部を隠しては
それは永久に解決しないのだから・・・
カルト教団 太陽寺院事件
辻由美
新潮OH!文庫
(これいいですよ。文庫は安いし電車で読むので軽いし)
1994年スイス,ベルギー,フランスなど
広い範囲で謎の集団自殺,殺戮を起こした太陽寺院
この事件の恐ろしい所はしばらく経ってからも
第二,第三の殺戮事件があったということだ
それはオウム事件のあった日本にとっても
恐怖を覚えるのに十分だ。
しかも第一に事件後信者はもう脱会したかのように
振舞って周囲を安心させているのに次の惨劇が・・・
もうサリン事件を忘れかけていた
だが太陽寺院の場合信者に脈々と思想が伝えられ
殺戮も伝えられていた。
(太陽寺院のニュースは日本では比較的小さかった)
人が狂気に走る時の恐さをこの事件は
再認識させてくれる,オウム事件,宗教のこと、など。
フランスがなぜカルト・セクトの取り締まりに
厳しいのかよくわかった。総勢七十四人死亡
もちろんその中には赤ん坊や子ども,若者もいる
ビニールをかぶせられ射殺されている
人が殺戮を起こす時。例えば金,色恋沙汰は
わかりやすい。深く本能に根ざすのだから
人は誰でも危険因子は持っている
しかしカルトの教義の上の事件はなんともわかりにくい。
人間という高等生物にのみ与えられた「宗教」に
人間自身が対応できないのだ
宗教アレルギーはみんな強い。あんな事件のあとだもの。
なぜ宗教が「恐い」のか、それは
宗教が(もちろん他のあらゆるイデオロギーも)
個人の意思を、他人が自由に変えてしまう恐怖だ
自分をなくす,自我の死だ
宗教はすばらしい一面もある
人間の思想をここまで高めたのは宗教の功績もあるだろう
どの宗教も深い学問だと思う。
だから信仰するのならいい付き合いして欲しいと思うのだ
人は弱い。死ぬのは恐いし悩みもある。
宗教が光を,希望をくれるならいい事だ。
しかし殺人や法に触れる事はやはりその教義は
間違っていると疑ってみて欲しい。信者自身が。
(難しいけどね。自分の顔は自分で見えないのだから)
殺人など最近気になるストーカーのアメリカでのレポート
本当に被害者は気の毒なんだけれど法規制というものが
いかに無力か,アメリカでさえ施行錯誤している
一つわかったのはストーカーという人は
ターゲットを愛しているのではなく自己愛が強い事
つまり自分が一番カワイイから自分が良ければ
人の気持ちはどうでもいいのだ
人は皆自己チューなんだけれどストーカーは
そのブレーキが利かないだけだ、なるほど。
この本には狙われた時の対処法も載っているが
一番確実な「消える」つまり転職や引越しは
本当に大変だ。ここまでしないといけないなんて。
そういえばテレビで以前別れた暴力夫が
逃げた妻を探偵に捜させて,見つけてしまった
探偵が仲介に入ってもう暴力はしないなんて
誓っていたが本当だろうか?
ドメスティックバイオレンスは悪循環が多い
二度としないといって直らないケースをよく耳にする
そして入院する怪我をしたり殺人になったり・・・
私は若い人じゃないけど子どもがいると
男のこはどう育てていいのか本当に責任感じるし
女の子がいる人は被害に合わないように心配でしょう
やだやだ。こんな世の中・・・
死への扉 東海大安楽死殺人 (入江吉正) 新潮社
点滴殺人のニュースの時だから数年前のこの本を載せます
末期ガンで苦しむ患者の家族に懇願されて
注射による安楽死をさせた事件。今回の点滴無差別事件とは
ぜんぜん違う事は強調しておきます。
安楽死の前に「尊厳死」と言う言葉が先に話題になったが
それは苦しんだり人間性を失ってまで延命治療しないでくれと言う
宣言で安楽死とはまったくべつなんだが無駄な延命を断る点で
似てはいる。
この本はその「安楽死」を医師として実行したことによる問題点と
延命はいやでも生きる人の義務なのかと言うことを考えさせられる
医師は人の命を救う仕事だ。その医師が人の命を断つこと。
普通なら許されないが、医師にしかできないこともある
苦しまずに人を死なせる事なんて普通の人にはわからない。
プロの手が必要だ。より良い死のために。
しかし医師に「安楽死」の権利も与えられたなら彼らに
殺人と言う十字架を背負わせることになる
家族が苦しんでいても私たちは手を下せるか?できないだろう
それなのに医師にそれをさせるのは間違っている・・・うーん・・・
2001/1/10
カルトの子 米本和弘 (文芸春秋)
オウムなどカルト団体の中で育った子どもたちの問題を
取材した本。共通している問題はカルトの子どもたちが
一般の被虐待児と同じトラウマを抱えているという事だ
気がついたのは「学校」というのがとても重要だということだ
いじめられても何でも,カルトの子が公的な学校に通うという
のは重要な社会との接点になる。(こういう子達が
何人かいたら教師は大変だろうが)
教育力というのをあらためてすごいと思った
赤ちゃんから,言葉や慣習を覚える。たぶん体で。
言語能力を獲得後は言葉によって社会とのやりとりを覚える
学校で有益なのはそこなのだ
いくら教団で算数を覚えても肝心の社会とのコミュニケーション
能力は身につかない。それは体は大きくなってから
本人の大きなマイナスになる。
学校とは色々な批判もされるが(特に公立)実は
欠点の多い,批判できる自由度は公立校のいいところだ。
学校が閉ざされているといわれるが今までの歴史の中で
こんなにも保護者がうるさくなったのは今の時代だ
雑多な子どもを預かることで「普通の子」の親も
あんな子と一緒にさせたくない、という感情も出るだろうが
いずれ出ていく社会はそういう「雑多」な世界だ
何億円の豪邸に住む人、ごみ箱をあさって食べる人・・・
学校で学ぶのはホンの一部だけれど
「イヤな同級生」「好きな子」と接するいい機会なのだ
なんか感想でなく学校になっちゃいました。すみません
でもカルトの子供に関して学校の果たした役割は
大きいと思います。別の本で教師は団体などから
(学校が口を出すなと脅かされたりも)
圧力がかかったりする事もあると読んだけれど
本当に大変ですががんばって欲しいのもです
この本はカルト批判でなく子どもの教育の問題として
読んでみませんか・・・
2001/1/15
シーラという子 トリイ・ヘイデン 早川書房
六歳の少女が三歳の子どもを木に縛り付け火をつけた事件があった
その加害少女を世話したのが作者のヘイデンだった
障害児専門の教室を受け持つ彼女は,六歳の「シーラ」の過酷な
環境に(最悪の貧困・暴力)気づき優秀な頭脳を目覚めさせた・・・
中でも服が血だらけで登校した際,なんとシーラの叔父が
幼い彼女を性の対象にしようとしてうまくいかずナイフで
刺したと言う話は涙と怒りで読むのが辛かった
そんな環境で子どもを育てる権利があるんだろうか?
日本のような虐待とは違いアメリカの抱える人種やドラッグ,その他
深刻な社会問題が背景にある。貧困なのは黒人やプエルトリコなど
白人社会からのはみ出したもの達だ
キレイごとでは解決しない闇が虐待となっているように見えた
貧しい事は罪だ,と誰が言った言葉か知らないがそうかもしれない
発展途上国の「貧しさ」と欧米の「貧しさ」はまた違う
欧米の「貧しさ」は白人社会の作り出す「影」なのだ
白人社会非難ではないが事実に近いと自分で思っている・・・
トリイ・ヘイデンの幼児関連ノン・フィクションのほかの作品
「タイガーと呼ばれた子」シーラのその後。成長しても
悩み,傷ついている痛々しさが伝わってくるようだ・・・
「檻なかの子」8年間誰とも口をきかず机の下でおびえている
15歳の少年。ここにもまた,恐ろしい虐待の過去があった
「幽霊のような子」誰とも話さない無反応のジェイディ
彼女のトラウマは何か?黒ミサとの関係は?
「愛されない子」珍しく大人の話。トリイの教室に通う
重度の障害児童の母親は美人で高学歴,裕福な家庭と
恵まれているにもかかわらず,彼女は酒と不倫に溺れていて
対人関係も下手だ。そこには少女時代の過去が。
「よその子」これは障害児教室の子供達四人の成長とトリイの
奮闘記録と言っていい。障害とは個性なり,と感じる
反面熱心過ぎたトリイは恋人と別れてしまったり、
人と接する仕事の大変さも感じた
以上全て早川書房
2001/1/28
カプセル 新潟少女監禁事件 密室の3364日
松田美智子 主婦と生活社
小学4年生だった少女を誘拐し9年間も自宅に監禁していた事件は
記憶に新しい所だ。これはその裁判の傍聴記を中心に
その9年間の悲劇を世間に知らしめる本である
被害女性も家族も、もうそっとしておいて欲しいと願っている
もう被害者のことは忘れてあげたい。が、しかし事件としては
忘れてはならない。もう2度とこんな悲劇の無いように
考える事は重要だ。それにしても被告の母親と言う人もまた
辛い毎日を送っているだろう。高齢であり、酸素ボンベが
離せないという体調・・・それでも近年まで働かない息子を
養うために仕事(保険の外交)をしていたと言う
母親とはそんなものかもしれない。どんなに鬼畜な事件を起こした
息子でも幼い日の小さな手を、笑顔を、思い出すのだ
30もとうに過ぎた働かない息子を養う
息子の暴力を恐れいいなりになる
彼が怖いから、もあろうが、やはりかわいいのだ、自分の子どもが。
世界で一番愚かなる者、それはきっと母親と呼ばれる者たちだろう
本の中で母親が36歳で(父親は62歳)生まれた子
(被告人)を両親はとてもかわいがったという。それが溺愛に
つながったなら皮肉だし、同級生から父親の年齢を馬鹿にされたと。
ところで、親は彼を「ボクちゃん」と呼んでかわいがったとあった
おいおい(笑)ちなみに私は息子を名前で呼び捨てている
「ボクちゃん」と呼んではいない、念の為
でもこの「ボクちゃん」と言う言葉にはいくつかの解釈があった
夏目漱石の「坊ちゃん」とハイソな家庭のご子息をもじって
このハイソな母親がいうお馬鹿な台詞としての「ボクちゃん」笑
ってイマドキそんな呼び方するのはスネオのお母さんくらいか?
赤ちゃんは殺されたのか
リチャード・ファーストマン ジャイミー・タラン
実川元子 訳
SIDSという言葉も定着してきた感のある乳幼児突然死症候群
健康な赤ん坊が突然呼吸や心臓停止によって亡くなる病気で
(主に生後4ヶ月までの子)原因ははっきり解明されていない
今から30年以上も前五人もの赤ん坊がひとつの家庭で
突然死した。その事例はある博士によって突然死の遺伝という
レポートを作った。だがその事例になった子どもは実は
殺害だった・・・
通常殺人は何らかの痕跡が残る。大人の場合抵抗の跡や
体内の変化(出血などが大きい)で自然死かどうかわかる
だが体の小さい赤ん坊が大人の手で口と鼻を塞がれたりしても
抵抗もできず「無呼吸」で死んでいく。痕跡もわからない
それを利用した殺人があった。世間でもっとも信じたくない
「親によるわが子殺し」である。保険金以外で赤ん坊を親が殺す
のは虐待であるのは周知のとおり・・・
昔の事件発覚の糸口になったのもSIDSに見せかけた赤ん坊の
殺人事件だった。その事件は父親がやった
高額の保険金で子を殺し高級車を買った・・・
彼の口から法廷で「私は子どもを愛していた」と聞いた関係者は
とても腹が立っていたと書いている
「残った子が殺されなかったのは、妻がもう保険金を
かけさせなかったからじゃないか!」と・・・
SIDSで健康に産まれたはずの子どもを亡くした親たちの
悲しみを思うと、それを隠れみのにしたこの犯罪
許されないと心から思う
注:以前テレビで逆の事例も見たことがある
子どもが2人(?)SIDSで死んだので母親の殺人疑惑
となり逮捕されるが、次の子を出産した際肺の欠陥が
見つかった、というもの。遺伝的なこの病気が見つかり
母親の嫌疑が晴れたらしい
人も法も完璧ではない。医学も科学もそうだ
本当にこんな悲しい犯罪を抑止するにはどうしたらいいのか
******
SIDSに見せかけた親による昔の五人の
子殺しだが、書き足りなかった。それは昔の五人の子殺しは
保険金目当てなどではない、母親の身勝手な自己顕示欲の結果だ
(保険金は、別の近年の事件)
2002・5・27
「私を見て」とはっきり言わないとわからない
この母親は自分が人の注目を浴びていたいと言う欲求が強く
人々の関心を引くために子どもを殺し「子どもを亡くした悲劇の
母親」として人々の関心を集めた。そんな馬鹿な、と思うだろう
しかしこの母親は昔から目立たないおとなしい子どもだったし
大人になってからも人の多いところは苦手であったが
そのくせ人の関心を自分に集めたいというやっかいな人物だった
子どもが生まれてからも、育児方法はマニュアルどうりに
きちんとこなしていたが、赤ん坊に笑いかける、抱きしめる等は
しなかった。アンバランスな性格は周囲の者に疑惑を抱かせたという
「私を見て!」という欲望は誰にでもある
一番耐えがたいことは罵られることではない
まるで「いないかのように」自分の存在を無視されることだ
だが・・・私を見て!というメッセージは発信しなければ
他人にはわからないし、発信しても歪曲されているなら
それもまたわからないのだ。子どもが死んだ、それが
私を見て!のメッセージだと何人が気がつくだろう?
新しい服を着て人に誉められたい場合
何も言わず通りすぎたら人は気がつかないものだ
ひとこと「新しい服、似合う?」そう言えばきっと人は
「すてき」と言ってくれるだろう(お世辞でも 笑)
ひとこと口に出す勇気があったなら五人の子どもは
今ごろ成長し大人になっているんだろう
罪の無い命を自分の欲求のために殺した母親に同情する気は
全く無い。ただ人に見て欲しいと願いつつ口に出せない人も
たくさんいるのだと、思ったが・・・
「人を好きになってはいけない」といわれて
大沼安正 講談社
タイトルを見たら何だ、恋愛関係かと通りすぎようとしたら
書店の広告に「カルト宗教の信者の両親に違和感を覚え
宗教をやめないと学校へ行かない、と登校拒否
それが小6というからまさに、今の私の息子と同じ年だった
だからもう、買うしかなかった(笑)
子どもながら洞察の鋭さはすごい。教義の矛盾を深く突いている
「天国ってどういうところ?」 お母さんはこう教えてくれた。 「天国は、悩みや、悲しみや、憎しみのない、すばらしい世界だよ」 僕は天国なんてありえないと思った。だって勉強するには ライバルがいるととてもはかどる。 それは憎しみや、悔しさじゃないのかな? 乳飲み子は涙がなくて、どうやってお腹がすいたと ママに伝えるのだろうか?僕は天国なんて行きたくないと思った |
同じような質問をうちの息子も聞いた事があった
私は情けないが「あるかどうかも、わからない」といった
99パーセントない、という私の主張だが、絶対はないという
科学のモノの見方で、ないという証明が出来ないものは
100パーセントと言い切れないからだ
わかっていることは未だ万人に説得できる説がない、ということ
(少数に認められる説はあるだろう、また天国などを実体験したと
言う人もいる。それを100パーセント否定はできない
科学でももちろん、少数にしか理解されない理論はある
でもその中に高度の学習がいるので理解されない、という
論説もある。誰もが量子物理学を理解できるわけはないし
芸術家の感性が備わってもいない・・・のだ
だが例えばテレビもパソコンもその仕組みを理解していなくても
そこに存在して、使用できる、という現実はある。それは重要)
天国には現実における証明がない
私は息子にそれを主張したかった
********
本の中でゲームが欲しいとか、東京へ行きたいとか
子どもの要求をなぜか両親は「作文にして」という
これは私にはとても「奇異」に感じた
作文というのは自分や他人の考えを、整理し再構成も出来たり
理論の組み立てにはいい方法だろう。でも親子でなぜ作文か
なぜ理論か、私は両親の考えに納得できなかった
あるいは宗教の教えかとも思ったが・・・
親子は理論ではない。言葉は大事だけれどそれは
「血の通った」言葉であるべきだ。そのために
ケンカになっても、それこそが他人でない関係を作る
(親子でも関係はタダでは出来ない気がする
うまく言えないが、感情をぶつけ合うというか・・・)
彼は「死にたい」と思い始めた、さらに「殺したい」という
衝動にもつながっていった
両親の言葉や****(宗教名が書かれているので 伏せますね)の教えで、いままで僕はいろんな行動の 制限を受けていた。それを取り払ってみたいと思った。 そろそろ僕はリミッターを解除しなくてはいけないと わかった。(略)僕が考えたのはたとえば人を殺す時。 自動的に手が働く、腕が動かなくなることを消し去る。 「やめとけ」 「やめときな」 「やめなよ!」 頭に響く声を消し去らなくては人は殺せないということ |
誤解を恐れず言うならば究極の自己主張は「死」かもしれない
自分の死でも他人の死でも。だからこそ彼は死を思う・・・
一番この本で印象的なのは赤裸々な成長期の性衝動の告白だ
「人を好きになってはいけない」という言葉に象徴されるように
たぶん両親から厳しい制限を受け、その抑圧から自ら
脱出した時にはコントロールできないほどの強い性衝動が来た
東京へ行ったら彼は体を売ろうと考えた・・・
(相手は男性。そうして自分は異性愛者にもかかわらず
同性相手に体を売るということになってゆく
このあたりはとてもじゃないがHPには書けません 笑
本を買って読んでください)
コンビニでバイトした際に彼は女性の店員に手紙を書く
それは学習塾で好きになった女の子の悩みや自分の
性の悩みだったのだが、相手に気持ち悪いと言われ
バイトを首になってしまう
ああ、ストーカーというイメージは定着しているが
「そんなつもりではなかった」ということもあるんだなあと
何となく感心してしまった。カワイソウニ・・・
(ちなみにコンビニと言う所はそういうリスクは高い
という気がする。普通のスーパーやデパートのレジならば
客層が主婦などだが、コンビニはその時間帯や価格、場所
時間などの条件が男性の利用が多いからであろう
逆にコンビニでナンパして恋人になったという話もある)
衝撃的な内容であるが、読後は応援してあげたくなる
筆者の年齢(今はもう18過ぎ)まで息子もあとちょっと
いい勉強になった
ところで、男はオオカミなのよ♪って歌があったけど
本当だ。というかトシゴロの男性がこんなにすごいとは(笑)
オオカミのほうがおとなしいんじゃないだろうか・・・
若い女性のみなさん、気をつけてくださーい (>_<)
ほら、そこ!あぶないって ついてっちゃダメ(笑)