読書かんそうぶん
社会記・世界記のエッセー等
楽しい終末 池澤夏樹 文春文庫
人は将来自分の生み出した技術で必ずや滅びるであろう
と様々な分野の推論で言われて久しい
1945年、つまり終戦の年に生を受けた著者の始めのメッセージは
まず「核」から始まる。今や自分の首を絞めかねない「核」である
大事に育てた子どもはどうしようもない極悪非道の悪魔だった
親の手から遠く離れもはやなす術も無い、そんな今の状況である
だからと言ってそれが考え出されなくても、何か違う同等の恐ろしい物を
人はきっと生み出していただろう、と私は思う
池澤氏は言う
われわれが核エネルギーの利用法を知っているという事実は |
ともすれば私たちは「もしも・・・でなかったら」と言う仮定を
話したがるが現在存在しているものはまず受け入れて
「これから」を考える事。有効利用に転化?廃棄?(半減期がとても長い
からムダといわずに)何とか保持・・・などなど現実から逃げずに・・・
カンボジアのポル・ポトの話にも氏は触れている
私は以前ポル・ポトの悲惨な所業を読んだりしたおり
政権の不具合を考えた。つまりより良く国を動かし貧苦の差などを
無くそうという理想を掲げたけれど上手くいかなかったという
良い方へ考えてあげていたのである
それは平等な分配と言うのが非常にムズカシイと言う現実
でも、やらねばならないという葛藤がどこの国にもあろうから・・・
しかし氏の視点は一味違っている
国が自殺するということがあるだろうか。人は自殺するから |
国という組織を生む元は人である、がいつも時代もどこの国でも
一握りの権力者(またはそれを倒した者)たちが組織を生む
だから政情による不幸は多くの民には降ってわいたものである
多少の教育を受けたはずの先進国の国民さえ「よくわかってない」から
上に立つ者は国のことを考えているが「下」の事は考えていないのだ
これは企業なども同様なのだけど・・・
この本は多くの本の引用などしていて、お得な気分になる(笑)
しかもSF作品も多くてウレシイ
「黙示録3174年」 W・ミラー
「沈んだ世界」「燃える世界」「結晶世界」「時の声」バラード
「火星のタイム・スリップ」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」デイック・・・などなど
明るい世紀末 清水義範 (新聞連載で読んだので出版は?)
なぜこれを書くかというと上の「楽しい終末」のようなタイトルで(笑)
新聞連載で面白かったので切っておいたのだ
「異常気象」では地球温暖化で海面が上昇してもきっと人はたくましく
生きていく、と書き「恐怖の大王」では予言は必ず当たる(と言う人が
いる)でも悪い予言のほうがワクワクしていいだろうという
「ミレニアム」では今から千年前の日本ではミレニアムに怯えては
いなかった、なぜなら西暦でなかったから、と書く
こんな時代である。考えたら今までが良すぎで安定と言うのは歴史の中で
長く続くものではない。結構長い安定をありがとうというべきか・・・
しかも日本で不景気だと言うが食べ物もないわけじゃない
新千年紀もっと前向きに考えるか、さもなくば思いっきり悲観して
「それより今の方がマシ」と考えたり・・・いつまでも緊張は続かない
これ本になっていたら読みたいけどね・・
カブール・ノート 戦争しか知らない子どもたち
山本芳幸(国連難民高等弁務官) 幻冬社
アフガン関連の本が多すぎてどれを買って良いのかわからない
並んでいた中でもっとも安いし、もうちょっとたてば息子も読めそうな
感じだったのでこれを選んだ。それに民の考えに近いんじゃないかと
思ったのである。えらい人が世界情勢を説明しつつアフガンを語るのも
良いけれど何も知らない民の、レポートが読みたかった
意外にも読み進んでいくうちに私を捕らえたのはテロの主犯格と
されているオマル師とビンラディン師の「神話」だった
テレビでも紹介されたりしたがマスコミはどうしても彼らに否定的である
(まあ日本も西側になるのだろうから仕方がない)そんな中
イスラム圏で彼らはどう言う存在か、あらためて知った
ウサマ・ビンラーディンはまだ十代の頃イスラム原理主義に傾倒し
ソ連のアフガン侵攻時の「聖戦」に参加した。他の義勇兵と違って
自らの資産を持ってきた彼はそれだけでなく、狙い撃ちされるかも
しれないから誰もブルドーザーに乗って作業しない中で、ひとり乗り込み
作業した。少なくともソ連の攻撃で2回は負傷しているが
ウサマは死ぬことを怖れていない、名誉に死ぬことを願っている
・・・と伝えられているらしい
こうした武勇伝などは脚色されがちであるが、富豪でありながら
質素な生活に(若い頃から)徹し華美を拒否した姿勢があるからこそ
の神話だろう。飢える国の指導者が肥え太っているというのは
私から見ると多いと思う。がしかし彼は違う。有り余る富に
その精神性が埋もれる事はなかったのだ
私は今回のテロは許される事ではないと思う。
アメリカ人全て(子どもや老人まで含んだ本当の全て)はテロの標的に
なりうる、と表明した事は絶対に間違っている。狂人や犯罪者の倫理だ
だからビンラディン氏を賞賛する気はないがテロを抜きに語れば
スゴイ人物と思ったりもする。テロ事件の後マスコミがビンラディンは
カルト宗教の教祖に通ずる狂人だと言ったが(私も言ったかも)
お布施で私腹をこやし、太りかえる諸々の教祖と違い、あくまで
質素な生活を通し自らが戦う姿勢を取るのは、やはり悪人でも、全然違う。
だから、このような才ある若者がテロに走った事を残念に思う。
もうひとつ、アフガンの女性に触れている
女性差別を槍玉に挙げられたタリバンであるが、反面女性保護の面もあった
女性への教育の禁止は私は絶対に納得できないが、身体や顔を覆う事
一夫多妻など伝統として良いんじゃないかと何となく思った
(一夫多妻は人口増加の面からは賛成できないが)
世界のマスメディアから「可愛そうなアフガン女性」を謳われて
誇り高きアフガン女性が傷ついたのではないかと著者は書いている
私は物事の一面しか見ていなかった。顔も見せられない女性の束縛を
とんでもない人権侵害だと考えていた。タリバンは首都カブールでは
例えば伝統的に西欧の白いウェディングドレスを女性がまとう事を
店が売る事を、禁じていなかったという。タリバンは個々の民族
(アフガンは多民族)の習慣には寛容だったそうだ
この本の文章はテロ事件の数年前からであるから
事件を通さずにアフガン、タリバンを見たものといえよう
繰り返すが、私はテロを許しはしない、がアメリカの対応の悪さ
(やはりパレスチナ、イスラエル問題)先進国の利害第一主義、
には反省が必要だと思うし、なぜかタリバンに日本の失ったものを
見た気がした。欧米に流されない文化は、もう世界のどこにも
存在できなくなるのか?日本に武士道は残っているか?
(戦う事をいうのでなく・・・)
憎しみの子ども キエン・グエン 早川書房
かのヴェトナム戦争で何があったのか、子ども時代の体験を
描いたノンフィクションだ(珍しいのは彼が男性であると言う事
私は文化大革命や、その他アフリカなど苦難の手記を読んだが
今までの著者は全て女性であった。私が女性を選択していただけ?)
アメリカ人の父から譲りうけた資産と子どもを守り育てるのは
潔いくらいの傲慢な母親であった。アメリカ人の男の子どもを
私生児として産み、かつ資産も上手く運用し資産家になっていた
彼女はヴェトナム人達を使用として雇っていたが、その扱いは
まさに暴君で、革命のちには彼らから資本主義者として糾弾される
私がいつも思うのはあらゆる革命と言うものの疑問だ
破壊と殺戮・・・そして以前よりも社会が良くなったとは思えない
文化大革命の時も下層階級が「偉い」とされ階級が上がる
このベトナムでも同じで貧乏のどん底に落ちた著者にやさしく接する
女教師は言う「貧乏を恥ずかしいと思っているの?見かたを変えて
ごらんなさい。あなたはもう資本主義者じゃないわ。共産主義者の
目で見たら最も低くて最も望ましい地位を達成した事になるの
つまり貧困階級と言う地位をね、よかったと思わなきゃ」
うーん。富める者から奪い持たざる者へ分け与える・・・
それは理想論であって現実は略奪なのである
ブルジョワがいいとは思わないし、腹も立つが、貧しさで
ゆがんだ人間にはなりたくはない。私は金持ちには向いていないが
理想は、武士は食わねど高楊枝・・・
いくつか心に残ったエピソードはあるが、中でも犬の話は辛かった
彼らの頼りにしていた孤児ロアンが革命に参加し得点を稼ぐ為
ひとり遠くへ行く、その時著者は足の悪い子犬をもらうが
彼らをいじめるいとこ達に殺されてしまう。それが・・・
ボールのように犬を蹴り上げる。抵抗も出来ず地面に叩きつけられる
小さな命が消える様を読み私は思った「この革命は間違っていた」と
いかなる大義名分も、無意味な殺戮を許すなら、それは正義ではない
母親が怒鳴る「これまでも色々なものを失ったけどお前は涙ひとつ
こぼさなかったわ。どうして今頃になって泣くの?しかもあんな
くだらない犬のために?」慰める祖父に母親はまた、言う
「キエン(著者の名)の心を潰しているんじゃない。男である事を
おしえているのよ!」激しい母親・・・そう、生きる事は戦いで
勝つ事を言うのだと、情けよりも強さを、と考えたのだ
著者の苦難はまだあった。母親の愛人が、性行為を拒否されて
(愛人は他の女にも手を出し妊娠させていたので)
何と少年である著者を犯してしまう。10歳にもならぬ子ども・・・
愛人は脅す「しゃべるなよ。また、やらせないと弟をやるぞ!」
言われなくても彼は言えなかった。肉体の苦痛と心の苦痛、屈辱
子どもに背負わせるのは何て過酷な事だろう・・・
私は思う。いかなる理由においても殺人はいけない、とする
その時こうして非道な行為を平気でする人間を断罪するには
どうしたらいいのか?と。
私がりかちゃん人形でのほほんと遊んでいた時代にヴェトナムでは
こんな事が起きていた。世界のあちこちで今もなお続く内戦など
私は読みつづける。戦うということ、社会を変えるということ
強者と弱者、無知、憎しみ、そして・・・愛する事
過酷な世界から学びたい事はたくさんあるのだ
昨日と違う今日を生きる 千葉敦子 角川文庫
フリージャーナリストであった著者だが乳がんにより乳房を
切除し、その後再発する。闘病生活の場をニューヨークに選ぶ
残念ながら死去したが、再発の転移で声も出ない中を
死の直前まで仕事をし、ポジティブであった事は脱帽
独身であった彼女の闘病を支えたのは、彼女の数多い友人
たちであった。通院しながらの抗癌剤投与は意外に苦しいと
彼女は書く。本を読んだりゴロゴロすればいいと言う
ものではなく吐き気や倦怠感で体はベッドから起きられない
そういう状況を、20数名の友人が雑用を引き受けて
くれる事で負担を軽減するのだ。友人の数は多いほどいい
何故なら一人の負担が減るからである
よく聞く話だが家で年寄りや病人が出ると、嫁と言う人物が
ほとんどの世話を負担する。するとストレスもたまるし
世話も雑になり、病人自身との仲もうまく行かなくなったり。
人は長時間同じ人を相手にすると、アラも見えるものだ
ましてや介護する人、される人、と力関係があるなら
その点で著者の考えはいいアイディアだと思った
一人ではできない。助けが要る。もちろん家政婦だけ、という
手もあるだろうが、お金によらない人に助けてもらえる
という環境は精神的にもうれしいことである
また、助ける側も友人の役に立ちたいと願う
私も友が困っているなら助けてあげたいと思う
「人の、友の役に立つ」そういう満足感も得たいのだ
かつ負担が分散して少ないなら、なお、いい
ニューヨークと言うところの生きやすさ(暮らしやすさ)
が綴られている。なるほど自由人、国際人には世界一の場だ
千葉氏は今のニューヨークをもちろん知らない
生きていたらこの悲惨な光景に何というだろう?
きっと友人たちとチームを組んで、ボランティアをするか
ジャーナリズムを駆使して世界に、事実を発信しているかもしれない
魔女の1ダース 米原万理 新潮文庫
魔女の1ダースは12で泣く13であるという
新聞などで辛口エッセーを書く彼女のお得な1冊だ
女のコラム・エッセーはつまらんなどと言う輩がいるが
冗談じゃない。彼女の筆はすごいのだ
通訳を生業とする知的女性の彼女が時には思いっきり
下ネタでせまる。(ロシア語通訳)
ソ連政府が日本大使館の良い立地を探してくれた
が、即断ったらしいというエピソード。住所は・・・・・
モスクワ市ヤキマンコ通り○○番地だったそうだ(爆)
私じゃないぞ、彼女の本の中に立派に書いてあるのだゾ
さらに日本語で母親を意味する方言の「カカア」は、ロシア語で
「うんこ」だそうだ。世界共通で排泄物の語彙は短いそうだ
くさいものは短く済ますのかな?
ハッとしたエピソードはあの名作映画「カサブランカ」の事
私は結構好きな映画だ。がしかし白人、欧米以外では案外
不評だったそうだ。その理由は
ナチス・ドイツからのヨーロッパの
解放をしきりに叫ぶ主人公がフランスの植民地であるモロッコに
平気で支配者づらしているおめでたさ・・・と彼女は書く
同じアジアのカザフ人はこの欧米人の無神経さにすぐ
気がついたのに日本人は戦後この映画が上映されるや名画とした
脱亜入欧 上昇志向の強い日本人の思考回路は
完全に名誉白人化しているらしい
うーん。そうか。日本だって敗戦と占領の屈辱は味わったのに
でも、そんな日本人の骨のなさ(敗戦で骨抜きになったのかも)
が幸いして日本人のアイデンティティーは「経済」というか
モノが豊かなら何でもいいじゃん、になったのかも。
前向きといえばそうだ。プライドは時として生きるのにジャマになる
北朝鮮を知りすぎた医者 ノルベルト・フォラツェン
草思社
北朝鮮への緊急医師団として行ったドイツ人の医師の手記
厳重な取材規制や住民との接触も、彼が大ヤケドの北朝鮮の人の為に
自分の皮膚を移植用に提供した事で、友好メダルをもらって
自由な人との交流が可能となった
しかしそんな彼が見たものは悲惨な飢えの地獄であった
文中「火事が多い」とあったが何故かと言うと、寒さに耐えきれず
焚き火で暖を取りたい為に火を起こしたり、可燃物などに無知で
扱い方がまずかったりするからだそうだ。貧しさは思わぬ不幸も呼ぶ
盲腸の手術に麻酔もナシで10歳の子どもが、泣き声もたてない・・・
人々に希望も無い。飢えているだけならまだしも厳しい言論の統制に
よって何も言う事さえ出来ないのだ。子供達の発育の遅れだけでなく
知能の遅れは栄養だけでなく、心の発達も阻害した。それは粗悪な環境
プラス大人自身の希望の無さだろう
精神の地獄とはなんだろう?地獄とはそこを地獄と認識する人にとって
地獄なのであり、どんなに悲惨でも希望や何がしかの幸福感を
得ているならば救われる部分はある。だがこの本に書かれた人々は
生きる事の目的、希望、夢というモノが感じられない
戦時中の日本はどうだったろうか?多くの国民は聖戦に勝利する事を
信じて耐えていた。しかし一部の有識者や幹部、兵士などは
敗戦を予想していたと言う。空砲の機銃を見た方は、こんなにも
日本は窮していたのかと愕然としたという。
そして空襲・・・海を越えて爆弾を落とし、帰ってゆく能力のある国
とても日本はかなうはずが無い、絶望感でいっぱいだったと。
あるいはカルト宗教。ひたぶるに信じて奉仕している時はまだしも
疑問を感じて、見つめなおした時自分の費やした時間や、犠牲に
愕然とするんだろう
信じているものに裏切られた時人は絶望感を感じる
それが神とも思っていた国家なら??すでに北の人達は疲れている
近くて遠い国北朝鮮 いつの日か自由な交流のできる日を夢見よう
リナックスの革命 ハッカー倫理とネット社会の精神
ペッカ・ヒネマン リーナス・トーヴァルズ
マニュエル・カステル (河出書房新社)私のあこがれのリーナスの(あっはっは カレシみたいですね)
関連本だが、これは肝心のリナックスの解説などでなく
リナックス、ひいては数多くのオタク(ハッカー)たちによって
もたらされた産業や労働倫理の変化を綴ったものである
っていうとムズカシそうだが私が読むんだから読みやすい、ご安心を。ハッカー倫理は新しい労働倫理を提唱している。世界で定着している
労働倫理はマックス・ウェーヴァーの「プロテスタンティズムの倫理と
資本主義の精神」で言われたプロテスタント的労働倫理だと言う
それに挑んでいるのがこのハッカー倫理なのだと言うハッカー倫理における情報公開とは科学のそれに近い
ハッカーの「共産主義」とは情報の共有を意味している。もしも閉ざされた
世界ならばこんなにネット社会は広がらなかったろう
私のような素人が参入できるのは重要である、何故なら末が広がった(土台)
物はあらゆるトラブルに強いからだ。(というわけでPC音痴ですが許して)
その他エッチなHPも出会い系サイトも「数」の倫理でいくと重要なのだ
(それらが無くなったらPC人口減るかもよ 爆)リーナスは(他のハッカーも)言う「仕事は楽しくなければいけない」と。
これは以外に生産性を上げると思った。何故ならハッカーたちは寝る間も
惜しんでプログラミングに熱中する。それは嫌々の仕事でなく
自分がそれが好きで楽しいからだ。誰でもゲームや遊び、飲み会などなど
仕事以外の趣味や遊びは時間を忘れるほど楽しくは無いか?ネット倫理の章で印象的な話がある。無法地帯のようなネット、何でも
書き放題のカンがあるが、規制の目をかいくぐると言う特性がプラスに働く
事も多い。その一つがユーゴスラビアの残虐な出来事を政府が「ない」と
隠蔽しもちろんメディアも報道しない・・・それがなぜ世界に知られたか
それは電子メールなどネットで情報が流れていたからだ
高校生のアドナと同じくカリフォルニアの高校生のやりとりでは
「もう何人殺されたかもわからなくなりました」「私たちはみんな、自由になって
あなたたちみたいな暮らしがしたいって思っています ちゃんと人権があって
迫害されたりしないで暮らしたいです」私はマスメディアが第4の権力だと思っているけれど第5はやはりネットと思う
それらは同じに見えて異質な物だ。ある日突然革命が起きる・・・としたらネット上での革命かもしれない
血は流れなくてもこんなに世界を変える場所(地図には載っていないが
世界中おおっている)もないだろう参照:それがぼくには楽しかったから リーナス・トーヴァルズ
デヴィッド・ダイアモンド 小学館プロダクションしつこいですが(笑)もう1冊。リーナスのリナックス開発までの
エピソードやプライベート・・・表紙が穴が開いていてペンギンが
覗いています おしゃれー♪不可触民 もうひとつのインド 山際泰男 光文社
悪名高きカーストと言う身分制度を有するヒンドゥー教の国
上から言うとバラモン(僧侶)クシャトリア(王族)バイシャ
(商人)シュードラ(農民、労働者)でさらにそれに入れない
民を「不可触民」という。アンタッチャブル・・・・・
近年身分差別(というよりも差別による虐待)を止めるようにと
訴える団体も出来ているが彼らは言う新呼称「ハリ・ジャン」と
呼ぶな、アンタッチャブルでいいと・・・それは何故か。ハリ・ジャンの意味は神の子という意味だそうだが
ガンジーがこの呼称を与えてからも差別による理不尽な虐待が
消えたわけではない、ならば体裁だけ繕ってインドに、世界に、
インドは努力しましたと言うな!という事だ
だから彼らは差別による虐待の消える日まで不可触民と名乗るそうだこのカーストによる身分は単なる身分ではない
神の定めし分類で、私やあなたがホモ・サピエンスで私の愛犬が
犬族であるのと同じように「定めし」事なのだ
努力も運もそこには無い。こんな話も出てくる
車で下層民を跳ねてしまった・・・が、慌てる日本人(著者)を
尻目に車は走り去る。色々な人に話しても「アンタッチャブル」だから
気にするな・・・日本ならば例えホームレスでもひき逃げだ
飼い犬、猫でも賠償の対象になるというのに、そこでは「人」を
轢いても何の事件でもないのだガンジーというと非暴力・不服従の抵抗運動とその思想で世界に
影響を与えた慈愛の戦士という感じだったが、彼の思想は深く
ヒンドゥーに根ざしたものであった。貧しさから国民を救おうと
起こした運動だったが不可触民は「国民外」いや存在を考えも
しなかったかもしれない。これで私のガンジーのイメージは変わった伝統・・・文化・・・宗教・・・
どれも大切なものだが大きなマイナス面はどれにも付いていると言う
それは悔しいが現実。差別撤廃を法律で謳っても人々の意識までは
変えられはしない。そう人が望まない限り・・・読むならば昨日の「私たちブルジョワ」とこの「不可触民」をセットで
読む事をオススメしたい。インドのカースト制について・・・
先日紹介した本「不可触民」だがこんな意見があった
>インドはイギリス人から深い差別を受けている
>カースト制度よりもそういう西欧からの差別意識の方が
>西欧からの脱却を図りたいりんさんとしては(?)
>糾弾すべきじゃない?うん。で、そのイギリスのインド人への差別意識にも本書は
触れていた。下層カーストよりさらに下の人間以下とされる
不可触民にするとイギリスの差別などよりも、カーストの差別の
方が辛いという。それにほかならぬ人権や平等の概念を
彼らインド人に教えたのは西欧人(主にイギリス人)だったという
そこを読むと私の西欧脱却という言葉が揺らいでくる
私も知っている。彼らの「平等」「博愛」が絵に書いた餅であっても
その概念は彼らがアジアにもたらしたのだと言う「事実」を・・・・2001・6・19
対照的な2冊の本を買った
「私たち、ブルジョワ」というフランスの上流階級女性の
ライフスタイルをルポした本と
「不可触民」という厳しいインドのカーストの現実の本同じ惑星で(惑星という言葉が好きです)同じヒト族で
こんなにも暮しの、人生の違う事は嫌悪感を越えて
驚愕に値する。人は生きてゆく為に何が必要なのか?
衣食住?たったそれだけの単語に様々な階級とスタイルがあるまず読んだのは・・・
私たちブルジョワ フランス上流階級のスタイル辞典
ヴァレリー・アノテル マリー・ロール・ドゥ・レオタール
伊藤緋紗子:訳 光文社 知恵の森文庫読んでいてこんなにも「ムカツク」本もないが、あまりの感覚の違いに
むしろスッキリ感さえも感じた(爆)ひがみ根性大爆発(笑)
そもそも私は絶対こういう本は買うキャラクターではないのだ
偶然「不可触民」の隣にあったからエライ違いに買ってしまった冒頭に「彼女たちは銀のスプーンをくわえて生まれてきました」とある
そう人には生まれてきた環境で人生は左右される。そこを最も有利な
形でスタートする事は差別の発祥とはいえるけれど
運とか偶然とかそういった言葉を当てはめると、宝くじ同様に
当たった者勝ち・・・ともいえそうだ。なぜならこの世に生まれる事の
(科学以外の)メカニズムは誰も知らないのだから
彼女たちの努力でそうなったわけではないのだから・・・・・
何かで読んだ大金持ちで美貌の女性の怒りの言葉
貧しい青年との結婚に反対され叫ぶ「私がこんな風に生まれついたのは私の責任じゃあないわ!」うん。
本ではブルジョワ女性の生活とつぶやきが載っていた
都会の一頭地の最高級の居住地・・・そこから引っ越すくらいなら
ドッグフードを食べた方がましだわ・・・
庶民の暮しに時には入ってそのムードを味わう・・・庶民ごっこ。
きっと考えもしないに違いない、そのドッグフードさえも食べられない
そんな生活がある事を。ブルジョワにも新しい波が到来しているそうだ
それは仕事によってブルジョワの生活を得る(支える)女性だ
その仕事の内容は条件として「肉体労働でない事」「格の高い会社」
「クリエイティブ」それらに当てはまらない事は仕事とは言えないのだ一方仕事をヨシとしない、ブルジョワジーはボランティア活動に
いそしむこことなるそうだ。カトリックの慈善事業など
ふと思い出したのは故ダイアナ妃だ。世界を回るボランティアの数々
しかし彼女の基盤は貴族であって、同じボランティアでも
マザー・テレサのそれとは異質なものであったと私は思う
自分のカテゴリから出ないで行なう行為と
修道女として献身して生涯をそこで終わる行為と・・・ボランティアがいけない訳ではない。高名な女性がボランティアに
尽力すれば巨額も動くだろうから(世論が動くから)
しかし財を投げ打って、というのでないならばボランティアは
ただのステータス(庶民のボランティアもそうだ ゆとりの象徴)
にしか過ぎない。それでも飢える人の為に上流階級の金を
落としてもらいたいとは思うけれどね。こう言うのを読むと自分のスタンスがはっきりする
物理的にはかなり低い階級なんだろうなあと思う自分が
でも、武士だもん(生き方に憧憬)などと内心密かに思っているが
実は下層階級か上流かと選択するならば私は下層の民で
他のどのクラスにも合わないと思う。地面に転がったお菓子を
もったいないと思う庶民感覚は一生抜けそうにない
ホテルでトイレを磨く仕事、そこに集まる人々は皆スノッブ、いや
紳士淑女を気取る事も考えない正真正銘の「庶民」だ
しかしそこに私は属していたのだ。今も心はそこに近い
表層的な芸術を堪能するよりも、暗く思想する方が私である貧しい事 富める事 生きる事 死ぬ事 深く大衆に根ざした
「核」を考える事が私のゼイタクなのだ
地に這ってアリとなって考える事もできよう・・・
地に暮らしているのなら!
人が生きる事の凄惨さを、夢のようでしか思えない世界は
(上流の世界)私の属する所ではないでも、これはブルジョアの罪ではない。そういうモノが
上流階級だと定着させたのはフランスの社交界(ブルボン王朝から)
の責任だ。フランスと言う国は野蛮な国だ。革命の国だもんね。
庶民と社交界の差が激しい。どうしてこんな国に日本人が劣等感を
長く持っていたのか・・・・・(フランスを嫌いではないが)日本の上流文化(武家文化)は世界にも比類無き物だと思う
やはりドハデなバロックやロココ調の調度品よりも
しんとした茶室の方が気分は落ちつくし、だだっ広い芝生とプール
よりも枯れ山水の方が味わい深い ああ、日本人だな(笑)
今回も欧米批判で終わっちゃいました(いかんなー)嫌い嫌いも好きのうち・・・ていうか欧米には憧れ半分シットと
怒り半分ていうか・・・あんな男にどーして惚れるの?って(笑)機械の中の幽霊 アーサー・ケストラー ぺりかん社
買ったのは十年以上も前で実家で発見。書かれたのも1960年代
ポスト構造主義なんてオビに書いてあるけれど、小難しい事は
無しにして(笑)読み進むと例え話が多様で楽しい最近の犯罪の心理などに関連して興味を引く項目がある
第十五章 人類の苦悩 だ。ヨーロッパの哲学と科学は、アリストテレスから以降、すべての
人間を一個の孤島にしてしまった
他の文化では生き残った共生的な意識性のあのような痕跡が
ヨーロッパの科学と哲学にはがまんがならなかったのである
自己超越への欲求は昇華されひとつの方向へ導かれなくては
ならなくなった。
これを行なう一つの道は魔術を芸術と科学に変化させてゆく事で
あった。(略)歴史的に言うならば、人類の大多数にとって
統合の切望、所属したい、そうして意味を見出したいと言う願望
への唯一の答えは、部族、階級(カースト)国家、教会、あるいは
党派と(つまり社会的ホロンと)同一化する事であった(略)人間はあらゆる時代に「刷りこみを受けた」コンラート・
ローレンツのガチョウのように振舞ってきたもののようだ
このガチョウは卵からかえった時最初に動く物体を母親として
見ると言う計略にひっかかり飼い主に献身をささげ追いかける
現代は思った以上に人は孤立している。歴史上かつてないほどの
強烈な孤独感を私たちは耐えているのかもしれない
同一化と言うのもまた、孤独をごまかす為のテクニックであり
まやかしなのだけれど、それがないと人の精神は脆いのだこの本は再読の価値がありそうだ。何年振りかで手にしたが
じっくり読んでまた感想を書きたいと思う
本は増え続けるが手放す本の選択はじっくり選びたい
実は手放して読みたくなって、今更手に入らないものもあるのだ新しい歴史教科書 扶桑社
お騒がせの新しい教科書を作る会の教科書が市販されていた!
早速買った。内容を自分で読みたいと思ったからだ
教科書の市販版の前書きにもそう書いてある
「批判ばかりされているが国民の皆さんに実際に見てもらいたい
そして皆さんには知る権利がある」私もそう思う
見てもいない本を判断は出来ない。作る会は「他の教科書も
ぜひ市販して欲しい」と書いていた。なるほど。で、読んでみた。もちろん始めからじっくり読んだのでなく
近代から第2次大戦あたりまでを中心にだ
はっきり言ってこれを「教科書」にして教えるのは抵抗がある
サブテキストとして、あるいは読み物としてなら多いに活用したい
はっきりいってやっぱ「右」例えば大東亜戦争という言い方は
私の時代には使っていなかったと思う。太平洋戦争、である
それはGHQが禁止してそうなったと「作る会」教科書では
説明していた。問題の従軍慰安婦については触れられていないし
南京大虐殺もそう言う論争があると解説だけだ真偽は不明にしてもこれだけ世界的にも問題になっていることだから
ページを割いてもじっくり書くべきだったGHQについても説明もなんとなく好意的には読めない
東京裁判については国際法上おかしいのではないかとアンに言っている
私もその点は同感だけど教科書の性質上書きかたの難しい項目だただ、愛国心を育てるという事も案外大事かもしれない
悪い教科書だとは思わない。が日本の良さを書くのは結構だが
もっと日本の歴史の暗部にも突っ込んで欲しい
従軍慰安婦なども「軍は関係なかった」などと言わず、戦争に
必ず性欲処理はツキモノで一般人を襲うか、仕事(売春や無理やり
仕事につかされた場合も含む)としての女性と交渉するか、である
だからそう言う暗部も教えるべきだ。中学生なら十分理解できる
戦争はキレイ事ではない。命も生活も人格も全ての破壊なのだ私たち世代は左の歴史教育を受けて育った、ここらで右も読むべき
でもこの「作る会」教科書をムスコが学校で教わると?うーん・・・
それもいいかな。家庭で反対の教科書を与え左右バランスを取って
後は本人次第なのだから。大人が出来るのは情報を与える事だけ。
判断は子どもに委ねたい。本当は近代史から現代史を増ページすべき。
激動の明治から昭和の事を一番知っておくべきなのだ一つ感心したのは読みやすさだ。今の教科書は皆こうなのか?
字も大きく文も読みやすい。写真や絵も満載だった
意気込みは感じた。が、それにしてもこの教科書を採用する勇気ある
学校は出るのだろうか?