読書かんそうぶん 社会・世界
DNAに負けない心
片山恭一
新潮OH!文庫
この本のタイトルを見て,はじめは生物学の本かなと思った.
しかしページをめくってあれれ?
今時の学習塾,金儲けをする事,貨幣から遺伝子へなどなど,
へんてこで、実に私好みのタイトルが並んでいた.
塾の講師経験を,作家活動に生かしたコラムはなかなか面白かった.
学校(特に小学校)で人権や環境教育を
教えるには無理がある,と指摘.
それと,圧倒的な「正しい」事は正しさの押し付けで
市民主義の「穴」かもしれない.・・・なんてステキな論理でしょ.
みんなが正しいと思う事しか発言を許されないとしたら
それはやはり間違っていると私も思うから.
「私利私欲」と衝突しない「公共性とは「誰にも反論できない公共性」で
市民主義がソフト・スターリニズムと呼ばれるのはそういう事である」
おお!なあるほど。
私は不思議でしかたありませんでした.何がって
「なぜ人を殺してはいけないんですか」と,
すっかり有名になったあのひとこと.
それに答えられる大人はいなかった.(きちんと)大人の負けだ.
「だって殺して良いわけねえだろ!」としか答えられない.
色々な観点から答えは出るけれども正解というのはない.
実際にやったら困るけど,理論としてはもっと自由なはずだった.
・・・が,大人はあんな質問は信じられないなどといったり
私には大人のほうが信じられなかった.
私もいつまでも大人にはなれんな。
子供のまま.反抗 レジスタンス
だから,この本のような考え方好き.ひねくれ者のあなた,オススメ!
被差別部落の青春 角岡伸彦 講談社
故黒田清氏に著作で同和問題に関心を寄せてきたのだが
最近の事情はどうなんだろう?もう差別はないの?と言う疑問に
答えてくれた本がこれだ
著者は「部落」の人だという(被差別部落ということばを
著者は使っていないから私も同じく部落で通します)が
自分の結婚時は差別されなかったとのこと。そんな著者の
インタビューで部落の今が書かれていく
興信所の身元調査で昔は部落かどうかが多かったなど
知らなかった事実もあるが、一番驚くのは昔と今の意識の違いだ
親世代の部落の人は慎重に,子どもに辛い目をさせたくなくて
深く考える,が,若い世代はもっと視点がちょっと「他人事」だ
文中子どもの部落の人との結婚に反対した親御さんが
「嫁はいい子だ,部落だと思っていない」といっているが
部落だと思うと嫁にはできないんだろう・・・
外人から見ると日本の部落差別は不思議な現象だという
私もそう思う。黒人・白人のように肌の色が違うとか
東洋人のように体格も違うとか,生活習慣・文化・思想など
相違点が多い,という事もない同じ民族同士でなぜ差別があるのか?
インドのカーストのように宗教上の差別ではないし・・・
まことに外人からは不思議な差別だろう
(日本人から見ても不思議)
もう今は部落差別はなんの根拠もなく,無意味な差別だと
日本中が思っているだろうが、いじめ問題と同じく
いじめられる側に問題があるのではなく,自分もいじめる側になって
自分も差別しないと周りから浮いてしまう、という観念で
差別しているように思う。バカバカしい観念で部落問題が残っている
だいたいイマドキそんなのあったの?と言うと一番は結婚らしい。
友達や恋人はいいけど結婚はダメだ
韓国などの「家系図」信仰のように由緒正しい血筋にこだわるわけだ。
(韓国で家系図を偽ってよい家系に見せるという事もあるらしい)
チンパンジーの遺伝子とほとんど変わらない人間の遺伝子に
そんなにこだわるのは何故なのか・・・
人類皆兄弟(古い)同じアフリカ人のミトコンドリアから生まれたんじゃん
ところで差別感と差別行動は違う
以前何かで差別について「された」経験のある方が
差別でいじわるされるより一見やさしいのにふとしたところで
実は線が引いてあるというのは辛い、とあった。
例えば年代的に親世代はガンコだ。理屈抜きで差別世代だ。
人に,家柄や地位があることに抵抗はない
保主観を変えるのは無理だから世代交替に期待する!
差別反対なんて運動する気もないけれど部落差別は意味がない。
世界は差別で満ちている。人は生まれながらに不平等。
ただ、どの差別も作ったのは人間なんだけど。
人間はバカ。上下がないと自分の位置(存在)がわからないのだ。
2000/12/28
ちびくろサンボ絶版を考える 径書房編
説明しなくてもタイトルでわかる!私が子どもの頃持っていた
ちびくろサンボ。トラがバターになってそれでホットケーキを
作るシーンがおいしそうで,私は色が黒かったからあだ名が
小さいころ「ちびくろサンボ」なつかしい。しかし社会から
ちびくろ・・・は消えた。なぜ?(詳しくは読んで下さい)
差別があったかどうかは議論の価値がある、が
絶版した出版社の判断は間違っていると私は思った
レイ・ブラッドベリ「華氏451度」禁書の世界
どんなに悪いものでも発禁は思想統制につながる
黒人差別を指摘した人は信念で抗議した、個人の思想だ,自由だ
だが社会的責任の大きい出版社で発禁してしまうのはよくない
インデイアンは差別語だから「ネイティブ・アメリカン」
エスキモーはいけません「イヌイット」ですよ
ジャップ、イエローは差別語だから「エイジャン」など世界の地域で
呼びましょうって,私はイエローだ。それで結構と思う。
以前読んだ「政治的に正しいおとぎばなし」は
差別語に抵触しないとこうなるぞというブラックなお笑いであったが
あとがきのデイブ・スペクターの解説が印象的だった
政治的に,正しいと、白雪姫もこぶとりじいさんも発禁だ
話は戻って「イエローでけっこうだ」の私の発言
これはのんきな同族いっぱいの日本でいえる事で
海外で暮らす同胞たちには「イエロー」は辛いと思う
いじめられた事で,その言葉は差別語に変わるのだ
差別語なんてない。人が差別語に変えるのだ
問題はそういう呼び名でいじめる人がいるって事だ
発禁よりも「いじわるな人告発キャンペーン」はどう?
ただし、これは被差別されているマイノリティーだけでなく
広く世間で展開する事。社会が動くなら「大衆」からだー
ってそんなに上手くいかないのがセケンサマ・・・
いじわるな人多すぎ!
ちびくろサンボ関連本
ちびくろサンボよすこやかによみがえれ 径書房 灘本昌久
著者は部落外で育ったがルーツは部落民という。
被差別の立場で見るちびくろ論と言うとそうではないが
差別感は被差別者の自信で左右されると,これを読んで思った
2001/1/28
DNA伝説 ドロシー・ネルキン
Mスーザン・リンディー 紀伊国屋書店
遺伝子という言葉も日常会話となったこのごろ。
ひとり歩きした感もあるこの風潮を大衆文化の視点から見てみよう
と言う本。サブタイトルが「文化のイコンとしての遺伝子」!
自分の子どもをカワイイと思う気持ち,それは本能、つまり
遺伝子の成せるわざと最近は思ってしまう
その考え方こそが「学問」からの大衆への思想の波及じゃないかと
思うと知らぬ間に情報としての「学問」に左右されている自分に
苦笑する。1914年ミシガン州で全米民族向上会議が開かれ
その席上「知能と肉体の能力コンテスト」が宣伝された
優れた赤ん坊を生む家族は家畜の純潔種のように賛美
と言う記事がこの本に書かれているが
それは優生学は市民宗教だとも書いている
また余談だが・・・
私は「優秀である事」にこしたことはないと思う、が
確率的に必ず生まれる「不良なもの」の意味は?と考える
世の中にダニ,ゴキブリがいて社会には不要なものだ
害ばかりでいい事はない。がそれが必ず生まれる事
生命力がしぶとい事,その意味は?
人の社会に適応していないものが存在しつつけると言うのは
いつしかその「ダニ・ゴキブリ」がこの社会を淘汰して
勝ち残るのかもしれない。これって私の囚われたDNA論。
(このダニ・ゴキブリは人への比喩でもいいし
本当のゴキブリ達と考えても結構です。まあ嫌われ者って事)
とにかくこれを読むとDNAの考え方が変わるかも。
2001/1/23
米の連続狙撃事件は13件目となってしまった
こんな時いつも米の銃社会を悔しく思う。多少規制が厳しくなっても
銃が合法で買える国はやはり蛮国といえるかもしれない
そこで思い出したのは日本人留学生服部君の射殺事件だ
フリーズ ピアーズはなぜ服部君を撃ったのか
平義克巳・ティム・タリー 集英社
当時のクリントン大統領に直訴し銃規制法案を米議会にかけさせた
発端となった服部君事件。ニュースでも大きく取り上げられていた
ニュースによると服部君はハロウィンの仮装のいでたちで
ピアーズ被告(このいい方は適切でないかもしれないが
人がひとり撃たれて亡くなったのである。米法廷で無罪であっても
私の気持ちでは永遠に彼は被告である)の家に言った折
犯罪の多発している国だから恐怖を感じた彼は服部君を射殺
法廷では陪審員の表決でピアーズ被告に無罪が言い渡された
(12対0で無罪)
この本は別の視点で事件を取り上げている
ひとつは人種差別がなかったかどうか
もうひとつは銃社会で巨大マーケットである銃を規制する事への
反対派の存在である。日本人の海外における存在は現代でも
あまり歓迎されたものとは言えない。イエローであるという
人種もさる事ながら戦争の遺産?汚いイメージが消えていない。
KKKなど有色人種を忌み嫌う団体も多い米で、日本人の
射殺事件が社会問題化した事は不本意で、本の中でも
日本のマスコミの騒ぎ方にピアーズ自身も不満を述べている
銃規制法で思い出すのは米のアコースティックな女性ロッカー
シャリル・クロウが銃の根絶を訴えた歌詞の歌を作ったら
それに怒った銃関連団体や市民(親銃派)が彼女のCDの
不買運動を起したりした事である
米の大手コンビニを歌詞で名指しで上げ、コンビニでも
簡単に銃が買える社会を憂いたのだが、彼女を窮地に
追い込んだ(そのコンビニグループが彼女のCDを
店頭に置かない、としたのだ)金が動く銃だから米から
完全に銃がなくなる日は来ないと思う
ピアーズは本の中のインタビューで言っている
私は銃規制には反対です。今回の場合、銃規制が
あったとしても、結果は同じであったはずです。
銃でなければ、バットやその他の凶器を使ったはずです。
必要であれば、自分の手で同じ事をしたと思います。
今回の事件は銃規制には全く無関係です。
彼は幼い頃から銃が家にある当たり前の生活を送り
父親のお供に狩猟に行ったという。米で当たり前の家
(ちなみにピアーズの父親はバリバリの白人主義らしい
法廷入りする時カウボーイハットを着用していた写真が!)
日本のような武器のない家庭が世界では珍しいのかもしれない
が、ピアーズの意見は私は反対だ。銃がいけないのはその
能力である。包丁を振り回すのとマシンガン、どちらの
被害が大きいか?また世界で核の規制を論じているのは
破壊力であろう。昔ながらの火薬の弾薬と核では殺傷能力が
全然違う。悪人には包丁でも何でも武器にはなるし
日本でも暴力団など銃を持っているものもいるが
規制は、少なくとも悪人に武器が渡る数(リスク)を減らす
今回のような悲惨な狙撃事件。どこから飛んでくるかわからない
銃弾の恐怖は米の銃という病魔の象徴である
犠牲者のご冥福とお祈りする。彼らは利権や社会差別の犠牲
そうも言えるかもしれない・・・・・合掌
アメリカ人には自宅で侵入者を撃つ権利があり
ルイジアナ州ではホームオーナーは、侵入者を撃つ権利が
あります
アメリカは自由の国である。自分を守る自由はある
それは人を殺す自由とも言えるのだが・・・
そこに自由という言葉の重さがある
米からの留学生が日本に来て言った
「日本ではお金を出して銃を買う権利もないのかい?
か弱い女性が夜道を丸腰で歩くのか?」
(注:確かその後の民事でピアーズは有罪となり賠償責任を
負った気がするが未確認)
ヘロデの呪い 暴かれたユダヤ古写本
ローレンス・D・H・ローレンス
アウド・カウリー
林陽:訳 中央アート出版社
秘密結社フリーメーソン。その閉じられた秘密主義故に
色々な推測を呼ぶ組織である。そして「トンデモ本」を
含めると無数の本が書かれ、世界制覇を目指していると
そんな影の大ボス的イメージの組織だ
むろん自由・平等・博愛という近代世界の基本理念と合致する
素晴らしいイメージの場合もある
その秘密結社の正当な継承者の子孫のひとりローレンスが
暗殺された(ユダヤ教からキリスト教に改宗)祖先ヨナの
遺志を継ぎ創始者の正当な男児のみに継がせる結社の
記録を公開(出版)するという事をしたからだ
1894年のブラジル大統領デ・モラエス氏推薦という
内容はメーソン(石工)なる組織がユダヤの王ヘロデが
当時拡大していったキリスト教徒に危機感を覚えて
信者の撲滅を考えて組織したのが始まりと言う恐ろしい
内容だ。そしてその趣旨は社員には隠さねばならない
メーソンリーの起源は発見された古文書であると言う事に
しておき古さを偽装する、というのがメーソンリーの起源
この本をそのまま鵜呑みにするか、出回っているトンデモ本
とみるかは読者次第と言う所。地下鉄サリン事件の時
彼らカルトがフリーメーソン陰謀説などを唱えていたという
そのように踊らされる事のほうが危険であろう
あくまで情報のひとつとして読むのが賢明だ
押収された文書から、イルミナティの革命計画が露見しているが 原爆によって奪われた数十万人の無実の庶民の命とともに 日本人は愛国心も宗教心も同時に破壊された。今や日本人は 世界でも珍しいほど、無宗教の民に成り果て、宗教がなくなった 心の隙間を、アメリカニズムと言う名の物質主義、友人や同僚を 足蹴にして出世するメーソン流の競合成功哲学、何でも 一つにしたがる霊的グローバリズムが埋めている。それが 日本人の尊い霊性をいっそう堕落させている |
と前書きの訳者、林氏の文章もものすごい
ちょっとうなずきたくなる。人は属する国(団体)に無意識に
依存し敬愛する。愛国心は普通なら持っている
ふだん骨抜き(林氏の言葉で言うと)にされた愛国心も
時折日本人も顔を出す。物質的に豊かな私たちが次に求めるのは
物質以外のものだから。精神という形の無いモノ。そのひとつが
ナショナリズムであったりする。それをこのような文章は
くすぐってしまう
世界と協調しつつ日本人としての核を育てると言う事は難しいが
それが出来た時私たちは物資によらない財産を得るだろう
林氏はテロ事件にも触れている
ブッシュが即座に「十字軍」の言葉を出したのに対して |
この言葉が真実でなくても、そう信じても仕方ないような
現在の状況に世界はなっている
世界統一政府と言う概念は至る所で語られる
「せかいはひとつ」子どももそんな風に教育される
それが本当にいい道かどうか誰も考えない
わたし案は(笑)世界妥協政府というのがオススメ
異文化を一つにするのは無謀だ。何とかギリギリで折れ合う
そんな国連の妥協版がいいだろう
人は(国は)高潔でも偉くも無い
食うために悪い事もするし恥ずかしい事もするのだ
そんな民衆の集合体が国だから・・・
支配されてもテキトウに食えて幸せならいい・・・
そんな考えもまた庶民なのだ
現在はキリスト教徒も取りこんで拡大しているらしいこの
結社。数年前に私はテレビで日本支部なるものを見た
気がするが?誤解だろうか?ユダヤ教に起源があるならば
日本支部というのもなじまないので。ただ日本支部の社員
というのは大人物が多いとか?(わたし発の情報なので
信用しないで欲しい。笑 だがそういう番組を確か観た)
トンデモ本か、世界を震撼させる本か・・・あなたの判断は?
日本村100人の仲間たち 吉田浩 日本文芸社
タイトルで先日紹介したインターネットから生まれた本の
「世界がもし100人の村だったら」を連想した人は
多いだろう。これは日本の状況や世界と日本の関係を
わかりやすく絵本式にしたので、資料も紹介してあるし
とてもいいが、インターネットの「せかいがもし・・・」
と同じ形式に読者が(少なくとも私は)感じるなら
ヒントになったバージョンの話も載せたらなおよかったが。
でも、本当にオリジナルかもしれないしね
世界を何人に例えるなら、という考えやお話は
以前からあったようだし・・・。悪く無い本だ
あとがきを読んでいたら「おかげさま」が地球を救う
という見出しだった。私の好きな言葉だ
欧米人に言わせると日本人が「おかげさまで」というのは
理解できないらしい。その人と何の関わりもないのに
例えば初対面の人だとしても、何か良い事を言われたら
「おかげさまで」と言ってしまう日本人・・・
欧米人はたった今会ったばかりの人になんと奇異な事を
と驚くのだ。違う・・・そうではない。そうではないのに!
自分が社会の中で存在している(存在を許されている)事は
目に見えぬ「ご縁」でつながっていると言う考え方
欧米人の多くが良い事があると神に感謝するだろう
神が何をしてくれたか?それは運命のようなものを
「神が」与えてそうなったというのだろう
同じように日本人の根底に「おかげさま」があるのだ
見えぬ縁でつながった社会や大地に感謝するのだ
プレゼントを渡す時日本人は「つまらないものですが」と
言ってしまう。欧米人は「つまらないものなら欲しくない」
と感じる。これまた解釈が違うのだ
「差し上げる」という上下関係が日本ははっきりしている
送り手はいつも格下であって、相手に対してそれを強調する
「あなたのほうが格上です。だから私には精一杯の贈り物
ですが、あなたの格にはかないません」と・・・
それは個を大切にする歴史と公に支配されてきた日本人との
感性の違いでもある。つまらないものを差し上げたのではない
品物よりも相手のほうが上だけれど・・・と言う事である
(この話は私が勝手に昔から考えた事だ。本当かしらない 笑)
村人は、76人が仏教徒です でも・・・クリスマスイブには、キリスト教の信者になって 「万華教」といいます。 |
あはは・・・万華教。信仰関係無く何でもお祭り気分になって
しまう所は私的には許せるのだけど、信仰ある人には不快かも。
その辺は考え方を変えた方が良いかな・・・
どうも日本人はイベントと言うと歴史があるとか海外の行事など
意味のあるイベントで無いと盛り上がらない気がする
うーん。それなら日本の各地に散らばるイベントを探す?
ディスカバー・ジャパン(古い!!知ってる?)
実際に日本人の7割以上が仏教徒のように見えるのは
人が亡くなった後の事(供養一式)が主に寺の手になるからだ
仏教を本当に信仰している人数はもっと少ないに違いない
信仰が無い事を誇れるようになろう!
神がいない茨の道を生きていく事は辛い
それでも現実と戦って行きぬく道は信仰を貫く事と同じ道だと
私は思う。信仰も無いのかと海外から馬鹿にされても
神がいなくても一生懸命生きている!そう胸を張って答えよう
外の村の人たちは、日本村の人たちを理解できません これらはすべて、日本村が農耕民族で、まわりを海に囲まれ 相手の気分を害したくないのです |
なるほど。言いたい事が言えないというよりも
私には外国人って怒りっぽいな、感情的だなと映っていた
今日本でも「我慢」や「妥協」は古い、良くない概念だと言われる
が、全て人にぶつける事でうまく行かない事は多い
さっき書いた「おかげさま」よりも落ちる(?)が
「おたがいさま」と言う言葉がある
子どもが小さい頃ボールを投げたら歩いてきたオバサンに当たった
親子で謝ると「いいのよ。おたがいさまなんだから」
孫もいるらしいその方も子どもを育ててきたのだろう
家族が病気の時お見舞いをもらった時も「おたがいさま」
おかげさま、の逆で悪い事も分かち合うと言う事かもしれない
誰にでも悪い時もあるから気にしないでね、と言うメッセージ
日本には独自のイイ文化がある。消えてゆくかもしれないけど。
一方で世界へ出るならば日本の文化に反しても覚えないといけない
矛盾もあるが、若い人にはがんばって思考のの「バイリンガル」
を目指して欲しい「郷に入れば郷に従え」それぞれの土地、良識!
高僧の生まれ変わり チベットの少年
イザベル・ヒルトン 三浦順子:訳 世界文化社
数年前小さなニュースとなった6歳の少年ののことを
している日本人は少なかろう。私は6歳という年齢で
高僧パンチェンラマの転生だといって両親から隔離され
僧侶生活に入ることが、宗教者の身勝手だと思い
それをまた栄誉あることだと喜ぶ親の、宗教国での
マインドコントロール、くらいにしか考えていなかった
チベット仏教というよくわからない仏教もどきである、と
だがこの一冊でそんな私の偏見や無知は払拭された
そこには宗教というものと政治がいかに、複雑に絡み合い
宗教者とその下に広がる民衆が、政治に振り回されるのか
また、信仰とは生活や血肉の奥深く浸透するものであり
外から生活を変えてゆこうとする政治とは、対極であるということ
など、感じている。そこに渦巻く様々なものは俗世の重みそのものだ
そして・・・高僧を取りこみ利用したい政治サイド・・・
中国とインドとチベット・・・三つ巴である
例えば日本国で信教の自由を憲法で認めているが、一見それは
思想の自由を認めているようであって実は信教そのものは
法(国)の支配下にあることを示している
イスラム国家などのように、政治丸ごと宗教にのっとったモノである事
それが信教の自由の真意かもしれない(政治に参加して良いという意)
ただそうなると個人の選択肢はないのだけど。そう限りなく個人の
選択肢を増やすと信教の自由(もちろん信教しない自由もある)となる
ダライ・ラマは有名だがパンチェン・ラマというのは耳に新しい人も
いると思うがパンチェン・ラマとはダライ・ラマに次ぐ高僧といわれ
車の両輪のようにふたりとも転生をくりかえし、一方の「肉体」が
死ぬと一方の転生者を探す。そうしていつも社会にラマが必ず
「生きて」存在することになる
その転生者探しは外部から見ると奇異だし猜疑心を抱いてしまったり
(水に映った形や体の傷、生前のラマが言い残した言葉など)するが
それらは彼らの探索の重要な手がかりだそうだ
一方亡くなったパンチェン・ラマに妻がいたというのは意外だった
高僧は独身というイメージがあるからだ(まあ今は日本の僧侶も妻帯が
普通だけど。仏教やキリスト教で妻帯は可なんだろうけど)
で、ラマの死後僧院と妻の間で遺産相続でもめていたということが
世俗的だった。通常夫の死後妻、あるいは子(妻が相続をできない国も
まだありそう。日本も戦前そうだったらしい。夫の死後は遺産は男児に)
に遺産は相続される、がラマの場合彼は肉体のみが破棄されただけで
故人の遺産は新しいラマのための財産なのである
しかし、僧院側は立場上苦しい。うーん、ここでも法が信仰の上だ
この本は読む上で厄介な本だ。政治本といっても過言ではない
だが信仰がどこの国でも政治や経済などとリンクしていることを
私たちは認識する必要はあると思う。私のような無信仰者ならなおさら
世界がもし100人の村だったら 池田香代子 再話
C:ダグラス対訳 マガジンハウス
63億人の世界人口を100名の村に比率を置き換えて
考えさせるお話だが、元はインターネットのメール(チェーンメール
の良いもの版といったところ)らしいが誰が最初の発信者かは
定かでは無いそうで、バージョンも色々だそうだ
が、それを新時代の民話(ネット・ロア)としてこうして紙の本に
まとめる事がなかなか面白い
100人のうち・・・
61人がアジア人です |
33人がキリスト教 |
こうした比率や分類は重要な意味がある
けっして価値観がひとつではないという事を
認識できる目やすになるからだ
20人は栄養がじゅうぶんではなく |
利益の配分は永遠のテーマである
人の欲望は下げる事がムズカシイから、もしも
何とかしたいと願うなら個人が「自分ができる範囲」の中で
我慢するものを決めて行動する、それだけしか方法が無い気がする
人は強制しても反発や不平不満が出るだけだ
例えば毎月一万円くらいなら欲しいものを我慢して寄付しようと言う人
百円も厳しい人。一億円くらいはオッケーな人・・・しかし
大丈夫な(生活に支障が無い)金額でも余分を「他人の為に出さない」
ものである。人はどこまでも利己的動物だから
どこかのスーパースターが愛息の為に学校をひとつ
巨大テーマパーク並の娯楽施設をひとつ、作る(マイケ*ジャクソン)
たったひとりの子どもの為に使う金額で何人の人間が
食えるだろう?しかし彼は言うだろう。私は寄付もしています、と
でも寄付に、さらに息子の学校建設費用を作ったつもりで上乗せは
しないのだ。自分の欲望はしっかり満たす。それは自然な事だ
金持ちが多大な寄付をしながらもイマイチ尊敬できないのは
その辺であるが。故ダイアナ妃のボランティアは有名だが
目の飛び出る豪華な衣装やアクセサリーは確かに彼女のものだった
むろん上流階級としては当然でむしろ控えめだと言う人もいるくらいだが
子どもが裸足で真冬働いて日当五円くらい、それを思うと
すばらしい女性だと私は言えない
この本で考えをちょっとプラスに、できる事あるかなと考える人が
増えるならウレシイかもしれない
悲しい日本人 田麗玉(チョンヨオク) たま出版
5年ほど前に韓国で話題になりベストセラーになった本の日本版である
日本関連の本は当時韓国で何冊か出版されていて日本を非難した本が
主だが中には日本寄りの(というか日韓を冷静に語る)モノもあった
(でもそれはそれほど売れない 笑)正直に言うとあまりにも
腹が立ったので一気に読んでしまった。まあ、日本人ならそうだろう
この本は2001年の現在とは多少マッチしない点もあるが
その辺は割り引いて読めばよい。韓国人の多くが思っている日本人感が
わかる事は大事な事だ。腹は立ったけど(笑)
ただ、これを書いたのが日本人ならば腹は立たなかったろう
それどころか日本人の現状を嘆いて「そうだそうだ、近頃同胞は
どうしようもない」とエールを送るかもしれない
日本人批判をしたのが韓国人(外国人)であったと言うのが気に障る
という感情的な部分も私の側にある。それから・・・日本人の
悪いところを戦争(侵略)と結びつけて語る所、これは食傷気味になる
内容で一番目立つのは日本女性への批判。売春とも大差ないように
外国人男性に群がり身体を許す、数年前に起きたイタリアでの
日本人女性6人の集団レイプ事件にも触れていて、安易に外国で男性に
ついて行った事、6人もいて逃げられなかった事、など暗に非難している
若い女性の語彙の少なさ(当時の流行語「やだー」「うそー」ホント」)
や流行に飛びつき、ブランドに固執し、集団化し没個性だともうスゴイ
日本女性は酒場で働く事を何とも思わない、日本の文化は恥の文化と。
(このあたりは私としてはマジメに読む事はない、と思っている
話の内容が完全にワイドショー)と同時に日本女性が男性に隷従している
事を情けないと言ってもいる。例として「蝶々婦人」「お吉物語」を
挙げている。二人とも西洋人男性にあてがわれた現地妻で、男が去ると
死んでしまうからである。著者はこう語る
日本人は愛する経験というのをもたないために結局何でも愛だと |
15歳にもならなかった「お吉」がたぶん生活苦からかそうなって
西洋人を慕って・・・そういう人の心理の悲しさを否定する神経はキライ
この悲恋物語をそんな風にしか見られない貧困なイマジネーション
文学は清く正しいという枠だけでなく、タブーもなく
人の矛盾や悲しさなど、感情を揺さぶるものである
同じ章にこんな文もある。
西洋に対する日本人のこの限りなき思慕の情。主人が追い払っても |
西洋人にホイホイついていく日本女性が多数かのようであるが
実際はほとんどが同胞男性を「異性」として見ている
誤解も誤解。ただだからといって西洋人に惹かれると言う人もいるかも
しれないがそれは好みの問題だ。韓国人は?国際婚もないの?
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テレビで見たのだが・・・(余談ですが)
BOAという若い歌手はなかなかソウルフルだと思ったが
彼女が韓国人でしかも若干14歳だとは知らなかった
彼女はいずれ世界に通用する歌手になりたいと目標を
ジェニファー・ロペスに定め2年間で英語と日本語をマスターしたという
日本人タレントも若い年代が活躍しているが、何か「違う」気がする
それを考えるとやはりコリアンパワーはスゴイのかもしれない
日本をけなす一冊よりもひとりの才女を送り出す方が有効だ
日本人は「負けた」と感じるだろう。非難には殻は硬く閉ざされるものだ
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著者は従軍慰安婦問題にも触れている。当然と言えば当然である
ただ感情論に終始していて他の多くの反日の本のように緻密な資料を
元に論説を展開しているものではない。従軍慰安婦にされたハルモニの
嘆きを感じない日本人は鬼畜だと思っているかもしれない書き方である
「あななたち日本人は自分の娘、妹を金で従軍慰安婦にさせるのか」 |
この問いにはその時代の経済なども関連している(冷たいい方だが)
昔日本も貧しく農村では家族の口減らしをかねて、娘を売った
ほとんどが風俗である。終戦後も同じような状況で、おおっぴらには
売春とは言わずとも女たちは売られつづけた(現在はちょっと違う
自分で積極的に売っている者が多いと思う)
娘をひとり売れば年が越せるとか、病気の弟が医者にかかれるとか
貧しさが売春への扉だったのだ
日本人は自分の子どもを風俗に売れるのか?と言う問いに私は
「絶対売らない」と答えよう。しかしどん底の生活になり
食べ物にも事欠く時多くの子どものうちの何人かを絶対売らないとは
言い切れない。世界最古の女性の職業と言われる売春は
密接に経済や文化とリンクしているのである
韓国人に問いたい。高潔で、子どもを決して慰安婦にさせないとか
自分から風俗に入ったりしないと言うのなら多くの日本で働く
水商売や風俗の韓国人女性という存在は何であろう?
多くのアジア女性は日本では夜の商売で働く
中には日本で結婚して落ち着く女性もいる。私も知っている人もいる
著者はダークサイドを否定している・・・
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中で「スカートの風」というベストセラーの著者呉善花氏の事を
書いていて彼女はただのダミーで本当は日本人ライターが日本びいきの
文章を書いていたのだという。絶対韓国人ではないと。
真偽は定かではないが、日本では日本人による日本批判も多いし
外国人による日本批判も多い。日本人が日本バッシングの本を出しても
「あれは日本人ではない」などというだろうか?
ちょっと神経質な反応であると思った
この本は外国人から見た「奇妙な日本」という本なら面白く読んだだろう
が、全編を貫く反日嫌日の感情が強すぎて納得する前に腹が立つのだ
幸せであってはならない人々 桜が満開の4月(略)人々は花見で浮かれていた(略) |
章の題が「幸せであってはならない人々」って、うーんすごい
日本人は反省は絶対しないだろうと語る著者だが、私は彼女に
こう返したい「韓国人は絶対に許さないだろう」と
謝罪や反省をしても、もしかしたら永遠に許してくれないかもしれない
こうして日本はアジアのイスラエルにされてゆくのかと思うと辛い
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ここまで嫌われていたらやっぱり仲良く出来ないなあ、と思いつつ
でも、これは数年前の本だ。今は?今の韓国は?知りたいと思う
ワールドカップ日韓共同開催って、すごい・・・と言う事は
少しは日韓関係は進展しているんだろうか?
韓国の事を知りたいと思うし、問題の「侵略」の事も良く知りたい
反省しきれなくても勉強したいし、許せなくても歩み寄って欲しい
日韓両国の国民の「気持ち」の行方が気にかかる