かんそうぶん 小説、物語など
パレスチナから来た少女 大石直紀 光文社
私はミステリーはあまり読まない。何故かと言うと一度読んだら
結末がわかっているから2度は読む事は無い。だから買うのが
もったいないのである(貧乏人)その中でこの1冊は違った
ミステリーとは言えルポ本のように情景が迫ってきた
それは作者の後書きにあるが、ある体験がきっかけでパレスチナ難民
を題材に作品を書こうと決心したという。作者は言う
中東問題のような重いテーマを、こうした軽い娯楽小説の形で
書いたことに関しては、今でも抵抗があります
いいや。私は思う。日本人には無関心でさえある中東問題を
一般人に伝える為にミステリーと言う形式はとても有効であると。
さて、内容は家族をイスラエル兵に虐殺された少女が復讐を誓い
テロリストの暗殺者となるのだが、そこに描かれた残酷な光景は
私が読んだいくつかの実際のルポと同じであった
命乞いをする何の罪もない普通の人々に向ける銃口、死体の山
戦火に巻かれる人はほとんどが何も知らない、何の罪も無い
無辜の民である。戦争は国と言う利害の結果であるが
被害はそこに暮らす人々が被ってしまう
すると、戦争は一気に人々の私怨となるのだ。親を夫を、恋人を
子どもを、友を・・・大切な人々を、自分を、殺された恨み
それは敵を憎む原動力となる
戦争を感情論で語っても何の解決にもならないというが、戦争が
個人単位では私怨である限り、感情論が一番大きいのだ
愛するものを殺された恨みが、恨みだけが願い年月を生き続けてしまう
イスラエル建国に関しては本当に以前から私は疑問を持っている
2000年の時を経て「ここは私たちの国であった」と強引に
パレスチナをぶん取った(もちろん大国の思惑も)
その理屈から言うと北海道はアイヌ人に返すべきだし沖縄も琉球人に
返す。アメリカはネイティブ(インディアン)に、オーストラリアは
アボリジニに・・・と返す所だらけである
侵略した事は消えないが、現在住んでいるものを2000年経って
追い出す権利はあるんだろうか?
感情論だけで突っ走って申しわけも無いが、金のかかったハイテクの
軍備を持つイスラエルとオンボロのキャンプで何とか食いつなぐ
パレスチナ難民たち。テロへの報復としての攻撃は正当化されるけれど
死んでゆくのはただの無力な民だけである・・・・・
戦争はいけない、やっぱり、いけないのだ
人を切り刻み爆死させる事を旨とする 戦争というものに
それをけしかけるものを、私は憎みたい
ちなみにxsunxさんのHPでちょうどパレスチナ問題を
取り上げています。参照リンクもあってとても良かったです!
トマと無限 ミシェル・デオン 篠崎書林
絵本と言うにはタブーの領域「死」を設定している一冊
病気の男の子トマは毎夜熱帯の島へ飛んでいく
トマと対話するモーリスは亡霊だが、彼はトマの味方だ
トマには答えを知りたい問いがある「無限とは何か」
正確には無限の終り、無限のそのまた無限とは何か、という問いだ
トマの毎夜の冒険の中で甘美な歌声が聞こえる・・・その正体は?
(結末はご想像にお任せします)
無限の終り・・・それは子どもには当然の問いなのだ
小さい頃合わせ鏡をするとそこに映るのは果てしなく続く四次元の
世界への道であったし、友人には霊界への近道でもあった
鏡の中の消失点はこの世界の限界であり次の世界への布石だった
同じように宇宙の果ては光速の壁の彼方という事を聞いた時
ほら!宇宙に果てがあったのだと、果ての確認を嬉しく思った
さらに宇宙は卵の中になった卵・・・のようになっているのだと
読んでそれなら果ては?ビッグ・バン説を聞いた時も
それではその前は?そして終りは?終りの後は?
子どもの問いかけにも終りは無い。子どもである限り問いは続く
問いを持たなくなった時それは、大人世界にいつのまにか移行して
いた自分に気がつく時だ。あなたは大人何だろうか?
毎夜画面に向かっているあなたは、きっと永遠の子どもに違いない
死とは何か・・・トマの問いかけの二つ目だ
死とは終り、肉体の終わり?いやそうではない。死んだかのような
肉体は様々な小さな命のうごめく誕生の巣となる
昔の人は死後数日は肉体の腐敗のさまを見てこの世とあの世で
魂がさまよっていると思い色々な儀式を施した
(日本でも魂静めの儀式があったようだ)その時その肉体は
まだ生きていた。人々がそう思う限り死はないのであった
今は?死とは何か。心臓停止、呼吸停止、脳幹の壊死・・・など
総合的な肉体の死を「死」とする。その人の細胞の一つ一つや
生き残ったの思いなどは「始めから存在しなかった」のだ・・・
それが現代の死。死はただの機能停止。だから死は無い、生も無い
無限、それは死に向かって、それを越えた時に得られるのかもしれない
プンクマインチャ 福音館(絵本)
うう・・・うれしくってたまんないぞ
この絵本ははるか昔私が幼稚園時代に買った絵本のお話で
絵が印象的で大人になって今でもずっと探しつづけていた本だ
検索エンジンさま!ありがとうございますううー
早速注文した。2週間?ハイハイ。待ちますー
小学校で手放して25年くらい、待ったんだから2週間が何だ(笑)
内容はアジアのお話で女の子が継母にいじめられ
ご飯もろくに与えられずこき使われているのを
2つ頭のヤギが現れパンを出してくれる、その上に豆のスープも
出してくれるのだ。そうして女の子はヤギと親しくなっていくが
いくらいじめても元気でご飯を少ししかやらないはずが
痩せてこないから不信に思った継母がこっそり後をつけると
「ヤギ」が・・・真相を知った継母はヤギを殺してしまう
と言うお話だったが、記憶が定かでないしどこの国の話かも
わからなかった、が今回のネット検索で判明した
ネパールだった!!話もそうだが、独特の絵が忘れられなかった
決して明るい絵ではない。でも生きる事の重さを子どもながらに
感じられるすばらしい絵であった
幼稚園時代すでに家の崩壊の匂いを感じていた私には
継母というのは世の中で一番恐ろしいキーワードであったから
この絵本も私のトラウマの象徴であったのかもしれない
父の愛人(当時うちの使用人)につねられた事
影で言葉でののしられた事・・・もしもこの人が新しい母に
なったら私もプンクのようにいじめられる・・・と妄想を抱いた
しかし、結局父親の再婚は私の成人後、私達母子の独立の後だから
継子いじめというものは体験せずにはすんだわけだ
あれから私も親になり、父は死に父の奥さんは今も私の実家にいる
努力しても忘れられない事ならば、コヤシにしよう・・・
この私の小さなトラウマは現在の私のモノを書きたいという意欲を
築いたのだ。大事にしたい、父の事、父の奥さんの事さえも
私の記憶の一部なのだ
ああ、この絵本届くのが楽しみだ!(^○^)
参照:昔話絵本原画展(秋田で開催されるそうだ。残念。遠くて
行けないなー。近い人はどうぞ、私の代わりに見てください)
私が昔持っていた物と同じかどうかはわからないが
ネパールという「神の国」の物語を再読したい、今度は子どもと。
エリザベス トム・マクレガー 新潮文庫
日本の皇室の話の後で、いかにもわざとの一冊だ(笑)
初代・・・バージン・クイーンの誕生は決して美談ではなく
血まみれと計略からそれは産まれた・・・
中でスペイン国王から求婚をされるところがある
国の為を思って求婚を受けよと勧める部下に彼女はいう
「もし結婚するなら私は自分が結婚したい人と結ばれたいと
思います」「マダム、したいなどという事は関係ありません」
「本当ですか?では、私は結婚しない事にいたしましょう」
「レディ、それは不可能です」「なぜ?」
部下は答える「バージンクイーンを戴こうとするような
文明国家は、この世界に一つもありません」
しかしご存知のようにイギリスはクイーンの方が有名なくらい
ああ、女は恐い・・・
銀牙の犬たち(少年と犬リミックス)集英社コミックス
漫画ですよ・・・ 高橋よしひろ
飼い犬と人間のストーリーだが、イヤな予感は当たった
パラパラとめくった時かわいそうな場面が見えてヤバイ!と
思ったが買わずにはいられずに案の定泣きが入った(笑)
ムスコに「わー、泣いた泣いた」と冷やかされても完読!
短編が6話入っているが中で炎の犬という戦時中の話は
やはり戦争というモノの悲惨さを感じ、悲しいよりも
怒りさえ覚えた。軍用犬として何頭もの犬が戦争に駆り出されて
いくのだが戦争も末期になると出征といっても
実は皮を剥いで兵士の防寒服に、肉はもちろん食用に・・・
戦時中は一般人も犬を食べた地域もあるそうだが
飼っていた人たちの無念さは計り知れない
一方で動物を飼うという事はやはりゼイタクなのだとも思った
動物を家族の一員として飼うにはやはりそれなりのベースが
無ければ飼えない。食料にも事欠いた時代は人を優先すると
動物は食用になる、それを残酷かと言うと、違うのかもしれない
旅の本でヨーロッパの観光客の女性が路上で子どもと
残飯をあさる犬を見てアジアは動物愛護の精神がまだ
育っていないと言うインタビューが載っていたが
「子どもが」残飯をあさっている生活をしているのに
犬にきちんとしたドッグフードを買えというのだろうか?
美容室で毛並みを整え、病院にも行けて、フカフカの羽毛ベッド
で眠るヨーロッパの犬と路上で転がって眠る人間の子ども・・・
犬の命は人間よりも重い?今の動物愛護は私はイヤだ
韓国で犬を食べる習慣があったという.それもまた避難の対象だ
だが、牛は良いのか?食用だから?食用と誰が決めたのだ?
世界で一番の肉食の人種であるヨーロッパ人に韓国を
避難する権利など無い。(うーん、最近欧米批判が多くて 笑)
話は戻ってもう一つ盲導犬の引退した犬の話もあるのだが
盲導犬はその生涯を人の為に尽くす。なぜそんな事ができるのかと
いうと子犬の時代にパピーウォーカーという家庭に預けられ
そこで目いっぱい大切にされ可愛がってもらうことで
後の人生を人に尽くせるという。人に愛された愛情の記憶が
辛い仕事をこなせる原動力となる、らしい
人もそうだ。幼い頃誰かに(かならずしも親とは言わない
日常的に特定の人から愛されるという事であればいい)愛された
という記憶がベースにあれば大人になって辛いことも
何とか自力でがんばれるし、人を愛せるのだ
では、愛されなかった人はお終いなのか?というと違う。
生きていれば愛したり愛されたりの機会はあると思うから。
うーん、ちょっと理想論?愛というものは特定できる物でもない
これが「愛」だ!なんてよくわからないから。
人によって違うだろうし。母親の膝枕の感触をそう呼ぶ人
おじいちゃんのメガネをなつかしく思う人、宿題を忘れた時
こっそり教えてくれた同級生、親に内緒で飼っていたカメ
「愛」というのはそういった「甘い」記憶の事なんだろう・・・
何か一つ、ありはしないか?愛された事は無い、という人は・・・
BGM: WANT A DOG BY. PET-SHOP-BOYS
(犬といえばこれがピッタリと思ったので 笑
狂犬病の予防注射の季節です。それだけのワクチンを作るなら
アフリカなどの子どもの伝染病のワクチン作ってやったら?と
思ったりして。ちなみにちょうどるこさんのHP(閉鎖 残念!)
で狂犬病予防注射について書かれています
カリスマ 新堂冬樹 徳間書店
文字通りカルト宗教の悪徳教祖と、それに洗脳され翻弄される人々が
テーマだ。そこに出てくるカルト教団はまさにオウムのルポのよう。
著者がオウムやセミナーの事件やテクニックをよく調べた事が伺える
オウム事件を始めとして色々なカルトの本を近年読んだ私としては
この小説が目新しいと思ったわけではない。
むしろ本物のカルトのルポが凄すぎて小説が「本物」の追っかけに
見えるくらいだった。だがサスペンスさながらにスピード感あふれる
テクニックはさすが小説家。そしてもう一つのキーワードは「母親」だ
物語の導入部は若く美しい母親が、カルトにはまり洗脳され
容姿も荒れ果てて、豆まきを学校で(節分)している息子の元へ
狂ったように怒鳴りこむ所から始まる・・・・・・
家族の崩壊、ついには反対する夫を刺し殺し自らも悪魔が自分の肉体に
隠れているといい自分の体に刃物を付きたて死ぬ
10歳の息子の前で・・・。(うちのムスコも10歳。きゃー!)
その息子がカルト教団の教祖となるのだ。彼は憎む。自分から母親を
奪った「メシア」を。神などいない。自分がメシアになってやる、と。
ここでも出てくるが母親の影響力は凄いのだ。死ぬまで癒えぬトラウマ
母親の愛を得たいという強い思い。子供時代母親に捨てられたという
認めたくない事実は一生涯母親を探していくという行為になってゆく
(何度も書くが)男はみんなマザコンだ。それでいい。
親に保護されて頑丈に育ってから巣を出た子供はきっと土台が強いと思う
マザコンは嫌いな男性像の第1位というが女性諸君それは違う
マザコンで現在や過去の、彼の母親との関係が良好なら彼の精神は
バランスがいいのだ。きっといい男だ。(過保護や溺愛は別として。)
彼とおかあさんはいくら仲良くてもエッチできるわけではないから(!)
暖かく見守ってあげよう(ヘンな言い方!?)
という事で私もせっせと「ムスコ教」に励んでいる。この洗脳は解けない。
追記 この小説のラスト部分は意外な展開だ。その辺はいかにも小説・・
どうでもいいがカルトに狙われるのは大体美人だ。小説も事実も。
いやん。狙われたらどうしましょう。マツシマナナコの顔にシンディー
クロフォードのスタイル、宇多田ヒカル並の学力の私としてはもー心配
(悪友が私をダンプ松本かアジャコング、ノムラサチヨ、性格はデヴィ夫人
にそっくりと言っても、みなさんは信じていけない。美の女神の化身の
私を誹謗中傷する彼等はみな、悪魔の手先である・・・
とこんな話をカルトの中ではきっと信じるんだろうなあ・・・)
タイトルそのまんま。臓器移植サスペンスモノです。
ロシア・マフィアは孤児を「買い」商品にする
一方で大金持ちの妻が瀕死で「心臓を待っている」のだった
金で買えないものはない・・・のかもしれない。人の命さえも。
臓器移植の問題のひとつに、金で命の売買がされる危険性がある
現実はわからないが,少なくとも金持ちが移植を受ける環境を
作りやすいとはいえるかもしれない。
こういうものを読んでも私の「移植賛成」のスタンスは変わらないが
移植が日本でも普及してくれば必ず出てくる問題に対して
監視・管理をしっかりする事は課題だ
今ドナーとレシピエント(患者)は知らされないシステムだ
この匿名性が危険ともいえないだろうか?
どこの誰からどこの誰へ、世間が確認できない事が
社会のチェック機能を無効にしないだろうか?
2001/2/27
巨匠とマルガリータ ブルガーコフ 集英社版
黒魔術師がモスクワに現れると起きる怪事件
予言のように文学官僚が電車にひき殺されたり詩人が発狂したり。
精神病院に入れられた詩人はある巨匠と知り合いになる
彼こそ、ユダヤ総督とイエスを題材に小説を書いたため
文学官僚たちから攻撃を受け恐怖にかられ原稿を焼き捨て
愛人と別れて精神病院に入れられてしまった巨匠だった
ブルガーコフは当時ソ連政府の批判を浴びて
ほとんどの作品が発禁。不遇のうちに亡くなった。
四十年の歳月がかかったが、優れたロシア文学と世界的評価された
だからこの本はブルガーコフ自身の迫害の悲痛な叫びかもしれない
私の憎むべき物のひとつに「禁書」がある。どんな悪書であっても
禁書はしてはいけない。私はそう思う。人の自由意思が生きている
それが「本」という物なのだから・・・2001/2/19
愛を読む人 パール・アブラハム 角川書店
厳格なユダヤ教徒の家庭に育った少女の手記風小説
戒律の厳しい事は有名だが読む本までが制限されている事にビックリ
全てが細かく生活を指示している様がわかって面白い
社会全体が宗教という環境で育つという事がどういう事か
なんとなく恐かった。家庭,学校、地域。全てがひとつの宗教で
どこでも監視の目がある。日本人には考えにくい。
その国に,地域に、生まれたら別の人生はないのだろうか
宗教だけでなく生まれた環境は子どもは選べない
無軌道な自由は破滅の元だが自由のない生活は違うと思う
巨人の星という野球アニメをご存知だろうか?
その中で巨人軍の寮は門限なしで自由行動、つまり遊ぶ気になれば
遊べるし、自由時間に練習する気なら「ハード」という事だ
(今の巨人は知らないです)自由の中で自分を律する事
それをアニメで言いたかったんだろう
同じように自由の中で(他人からの押し付けでなく)自分を
鍛えたいものだ・・・ちょっと理想論だけど・・・2001/2/15
フーコーの振り子 ウンベルト・エーコ 文春文庫
面白いというか?全然わけわからん読後感。こんな本は初めてだ
現代から中世へ、キーワードを追う度にあちこちに飛んでしまう
テンプル騎士団,薔薇十字,生命の樹(ユダヤ教神秘主義から。
世界の中心にそびえる宇宙の樹、ともいう)神秘てんこ盛りだ
記号を読み解きながら物語を読むと言うのは大変だ。
一見本文に関係なさそうな事が実は重要だったりとわかりにくい。
が、わからない物が好きと言うヘンな性格の私はそれが良かったりする
フーコーの振り子と言うタイトルを見てガラスで,中に色水の入った
おもちゃの鳥を思い出した私は大マヌケ。違うってば・・・
ウンベルト・エーコの本
ウンベルト・エーコの文体練習 新潮文庫
モノは書きようだ,と思わせる1冊。パロディーにはセンスがいる
「ノニータ」我が青春の花・・・愛していたのだ,君なら
うかつにも「ババア」と呼ぶような女たちを・・・
もちろん、これってナボコフの「ロリータ」でしょうが
もう笑いを越えて、尊敬する。
読んだことのある名作もあるが,何だかわからない物もあった
それを探すのに一苦労、それがまた楽しみ
「涙ながらの却下」がまたイイ。これってひょっとして書評?
エーコをして読むのに骨が折れるというから「失われた時を求めて」
(プルースト)は私が挫折したのは当然だった!(高校時)
良かった良かった。この本は友人は読破したが内容を覚えていない
という本でもあった(笑)
私が「この本は読めなかった」というと、ただのバカであるが
エーコ(権威)がいうと「そういうものか」と大衆は言うだろう
権威にだまされてはいけない。自分の感覚を信じよう。
というわけで私がバカなんではなくプルーストの表現がいけないのだ
・・・ということにして・・・
2001/2/19
コンセント 田口ランディー (幻冬舎)
たぶん皆さんも読んだんだろーなーと思ったが,書かずにはいられない
主人公の兄は引きこもりの末に死体で発見された
以来兄の姿を見るようになり、さらに,他人から「死臭」を
感じ取るようになる・・・
感覚の中で嗅覚は原始の感覚器だという。
生き延びる為に毒となる成分を嗅ぎ分ける器官だ
彼女の「感じる」匂いとは人間の生命の匂いかもしれない
鼻で嗅ぐのではない。感覚で感じるのだ
余談だが文中自分でトランスに入る事ができる人について
書かれている。ちょうど宗教の修行のように、自分の
感覚を高めて現世とのコンタクトを断つ
(これが医学・科学的に正しいかは知らない。あくまで
この本に出てきた描写だから)
オウムの修行は気持ちいいという。きっと「トランス」に
導入するからだろう。ヨガかなんかのテクを使って。
私はドンカンで体感できないが、ひとついうなら
音楽で感情が込み上げる事はある
悩みがない時であっても,音に同調(シンクロって言うと
カッコイイよね)していく気がする。洋楽が好きだけど
言葉があまりわからない。だからよけいに音に融合する
(英語も怪しいがその他はますますわからない。)
音は最期まで残る感覚器とも聞く。音はきっと現世と
「自分」とをつなぐモノだ。
救いってなんだろう?社会から見て破壊的な事でも
本人にはなくてはならない事ならば、それは救いではない?
双方が救われる道はない。だから人は自己を隠して生きようとする
自己を犠牲にして社会が守られても、それは救いではない
・・・堂々巡りである・・・何いいたかったんだろう?
2001/1/23
死神 篠田節子 (文春文庫)
福祉事務所に勤めるケースワ−カーに飛びこむ問題を
抱えた人々。8つの話が収められている。
中で「緋の襦袢」はおもしろい。女性を武器に男性を
渡り歩いて,いつしか年とって詐欺を働く女・・・
彼女は「霊が見える」といっては金を取ったりしていたが・・・
なんか笑える結末でした。こういうの好きだな
(内容は読んでのお楽しみ)でこの女詐欺師の台詞がまた
すごい「六十ババアだって、あんた帯をシュルシュルっと
解いて赤襦袢姿になればいう事をきかない男なんて
いないってことさね」・・・ふとホステス殺人の福田和子容疑者
を思い出してしまった・・・犯罪の影に女,いや男あり?
篠田節子は「弥勒」が一番好きです。そのうちアップします
おすすめ!(ゴサインタン,神の座と合わせて
私の篠田バイブルです)
2001/1/15
共生虫 村上龍 (講談社)
いろんな人が書評で書いているのでいまさらですが・・・。
引きこもりを続けるウエハラの秘密とは体内にいる「虫」だった
そしてインターネットを通じてその虫の情報を教わるのだが・・・
ウエハラに同調する人は案外多いんじゃないかと思った
人の心は「絶対に」わからない。人と人とが分かり合えるとしたら
それはもう自分と言うものと他人と言うものの存在が
同じになってしまって意味がない。
永遠に分かり合えないから他人と付き合うのは面白い
(エヴァンゲリオンでいう心の壁ってやつ?)
やっぱ壁はあった方が面白い。ネットはさびしい人がする、とは
そうだと思う。自分と同じ人がいた!と思う事もあるかもしれないが
それは近いだけで実はぜんぜん違うんだよね。
他人と出会う事で、ますますさびしくなる。
けれど「さびしい事」を楽しみたいと思う。
さびしい、自分は一人ぼっち、でもみんなそうなんだと言う
連帯感で世の中と折り合っていく・・・・・
そうじゃないですか?たくさんのウエハラさん!
2001/1/10
三浦綾子「氷点」
久しぶりに三浦綾子「氷点」を読んだ
(最近おなじ本を繰り返して読む事が多い.
主婦というのはやはり買う本が減るのかもしれない.
財布の中身も心配だが,リッチな時にも
もったいないという感覚がある.
独身時代には財布に中身なんて関係なく散財したのだなと
実感.でも,本は取っておくといい.
その特に感動しない本も
年を経ると感動する事もある)
氷点は,三歳の娘を殺された家庭で,
夫の妻への猜疑心(不倫したのでは?という)から
妻に内緒で犯人の子を妻に育てさせ,苦しめようとして
犯人の子を引き取る話.
(最後は大どんでん返しがあるが,これから読む人のために書かないでおく.)
始めてこれを読んだときは,若かったので
子どもを持ち,年も取った今では読後感が違う気がしたが
もちろん子どもを失う気持ちはショックが増したが
犯人の子が自分の子として,自分が育てていたら?それはわからない.
自分のこの子が,犯人の子だったら???
まぎれもない自分の子なので察するのはむずかしい・・
キリスト教で言う「原罪」とは何かと,裏表紙に書いてあったが
人間には生まれながらに罪がある,または生きる為には罪を犯す
その概念が悔しい.
それならば「原罪」とは神の負うべきものじゃないか!
人間の想像主なら.
(それでキリストが人間の罪を肩代わりしてくれたという)
と、吠えて懐かしくなった.
クリスチャンの子と,大バトルした事があったっけ.
今また,話したい.でも,今どうしているのかな?
2000/10/11
希望の国のエクソダス 村上龍
(文芸春秋)
ダブル村上なんていわれるけれど、やっぱりつい読んでしまう.
毎回、いい意味で期待を裏切ってくれるので、ずるいななんて思う.
作品や作家って自分との相性もある.
どんなに大作家でも自分にあわないものは、つまらないものだ.
(逆もいえる。売れなくても、面白いと思う作品はある.
けれど、売れない作品や、自費出版本がつまらないと感じる事は多い.
それは、売れない作品はつまらないと感じる世間の常識?や
暗示でつまらなく見えている可能性もあるかも)
話が脱線したが「希望の国のエクソダス」は
中学生による社会革命(サイバーテロ?ちがうなあ・・・)が起こった
でも、昔の全共闘世代と違って「暑さ」でなく「クール」
いや、無機質の?革命であったのだ.
詳しい話は、読む事をおすすめするので書かないが、
イマドキの若者の能面のような無表情さと
反対にすぐに切れてしまう短絡・爆発気質を思うと、
なんともいえないほど恐い.
そしてまた、自分が旧人類である事を再確認すると
サルになった気分・・・
それにしても、あい変わらず私は書評が下手だ.
読書感想文なるものは大の苦手なのだ.
人に勧めたい本は多くても、それを上手く表現できない.
そこで、いつもひとこと「まあいいから読んでみてよ」
やっぱりサルなのだ・・・
2000/10/2
オルフェ
カルロス・ヂエギス
角川書店
ブラジルのリオのカーニバルに来た少女ユリディースと
若きミュージシャン,オルフェの恋。
しかし,麻薬王ルシーニョは,ふたりを引き裂く。
これは私の母が,若い日に見た映画で
ずっと以前テレビ放映で見た事があるんですが
ユリディースを追い詰めるシーンが印象に残っていました。
1959年制作で,カンヌの外国映画賞も取ったらしいです。
タイトルは「黒いオルフェ」
ところがこの映画は地元ブラジル人にとっては
「変」な映画と不評だったそう。
それは,外国人監督なので設定に違和感があったと言う事。
(あとがきより)
そうですね。日本を描くと「おいらん」みたいな着物で
なぜか中国のドラが鳴って、金の屏風のある家庭だったり。
そんな設定なら何これ?と日本人は思うでしょう。
でも,設定何てどうでもいいと思うのですが。
映画って,現実にこだわるとひじょうに味気ない気がするから。
今度新しく映画化されるそうです。
見たいかなあ。うーん。どうしようかなあ。
私には若かりし頃の父母の恋愛時代を思って
この映画に思い入れがあるのですから。(古い方に)
私たちと変わらず、恋愛時代があった事、
映画館にふたりで行って帰りに「きっさてん」なる所に行ったかな。
と、それを思うことが楽しいから。
子ども(私)を顧みなかった父。思い出は数えるほどしかないですが
生まれ変わるならもう一度(何度も)
この、父と母の子どもとして生まれたいです。
若い人へ。別れを恐れないで恋愛して欲しいです。
人への思いは自分への思いにもつながる気がします。
(わーカッコ良すぎた。)
と,また脱線。で、新しい「オルフェ」はブラジルの貧困層
(ファヴェーラ)を扱い差別などにも切りこむかも。
やっぱ,ちょっと見たいかも。
悪童日記
アゴタ・クリストフ
早川書房
95年ごろ読んだ三部作のはじめの一冊
(ふたりの証拠,第三の嘘,の二冊で完結)
ハンガリーからスイスに亡命した著者の体験が
あちこちに,生々しい迫力を加えている。
少年達の「非道」な行動が綴られてゆく。
人の心に潜む悪意。貧しいという事。
飢え、死、暴力・・・
美化しないで淡々と日記形式で語られる恐さ。
この小説は三部作だが本当に意外な結末になる。
ミステリーに負けない大どんでん返し?!
これだけ非道な表現にも,不快感は無いのは何故?
少年である事は透明で美しい事?
そんな常識の嘘(幻想)を打ち砕く作品だ。
若いって事は汚れているっていう事かもしれない。
・・・なんて。
シュウシュウの季節
嚴歌苓
角川文庫
上海生まれで文化大革命期に青春を過ごしたという作者。
これは短編六話が入っている。
中でも「白蛇」はひとりの美しい舞踏家が
投獄され数々の苦難を強いられ生きるために
自分を貶めてゆく。
鍛えぬいた肉体と,若さが時間と共に消えてゆく。
たるんだ体と心。ひとり青年将校が面会にきた時
彼女に変化が・・・。
これ以上は書かないよん(いじわる)
だって意外な展開だったから。
文化大革命は私の興味の一つなんですが
それは又,置いといて人の「形」というものを考えました。
環境で人は変わる当たり前でそうでない。あいまい。
舞踏家というと体は命と思いますが,贅肉をつけた彼女は
今までの「自分」ではなく新しい「自分」になり
美しかった自分とは違うんだ,と殻を別にする事で
生きる事を選んだ。そうは思いませんか?
生きる事は不本意な事。醜い事。
生活の全ては醜い事。
その醜さの中に「生きる」事はあって
美しく生きる事は「まやかし」なのかもしれません。
でもその「まやかし」がまた媚薬なんだよね。
とくに女には。
だからといって,ホラそこの彼女、
ダンナや彼氏に服なんておねだりないように!?
そう言うのは美しい「まやかし」じゃないぞお
扉
ジャネット・フィッチ
講談社文庫
情熱の塊のような母親は、恋人の心変わりで怒り
心のバランスを失い,ついには殺害する.
残された娘のイングリットは一二歳.
里親を転々としつつ,暴力と飢えの日々
私が不思議で悲しいのは
それでも,母親というのが彼女の心に強くねづいているという事.
母親というものの,子どもへの影響の大きさ。
それでも育っていく子どもというものに
生物の成長期の柔軟さを思った.
それから,欧米でよく行われている里親制度だが
以前から問題視されているように,里親による虐待のこと。
もちろんこれは小説ではあるが,以前に里親の虐待のルポを見た.
取材もしただろうから,あらゆる虐待が
里親という保護の場でも行われているに違いない.
暴力はもちろん,食事を与えない,風呂に入れないなどのネグレクト
補助金制度のある国では(里親に補助金を出す)
金目当てに里親を希望する人間もいるのだろう。
施設が悪い,里親がいい・・・などとは一概に言いえないと思う.
それにしても,主人公のアストリッドの強さは美しさだ.
強く美しい事.今,私の一番のキーワード. 2000/10/16