読書かんそうぶん 小説・物語など
奇跡の人 真保裕一 角川書店
交通事故で植物状態になったにもかかわらず8年間の入院を経て
退院するまでになった男。しかし彼は8年前以前の記憶を無くしていた
彼は意識が戻って、赤ん坊のような状態から言葉など覚え始め
退院時には中1程度の学力となっていた(肉体年齢は30歳)
彼は病院でこう呼ばれていた「奇跡の人」
この本は母親の遺書から始まる
ガンで余命の少ない状態で手術に臨む前に書いたものだ
その中に何度もこういう言葉がある
「あなたは私のほこりです」
「あなたというかけがえのない子を得られて、お母さんは
しあわせでした」
始めに作品のアウトラインがわかって「奇跡の人」という
タイトルの意味を考えた。もちろん浮かんだのはヘレン・ケラー
ヘレン・ケラーの伝記は、アニーサリバンという師の伝記でもある
奇跡の人、それはアニーの物語だと思った
同じように瀕死から再生した男は、その母親こそが「奇跡の人」
ではないかと思ったのだ。私に出来るだろうか?
いつ回復するともわからない、回復しないかもしれない息子の
回復を信じひたすらケアし続けること・・・
退院後彼は世間の好奇の目を思い知る。退院の近所の挨拶を
しようとしただけで警察が呼ばれてしまったり・・・
これは最近のイヤなニュースを見ると、仕方がない面もあるが
世間の無知、無理解はたぶんもっとヒドイだろう・・・
さて。問題は彼が以前の記憶がないということだった
周囲は隠す・・・だが彼の心の奥で、自分を知りたいと欲求は
止まらないのだ。必死で自分の過去を探し始める彼・・・
その果てには辛い過去が待っている(ここから先内緒 笑)
自分と言うのは何だろう?それは良くわからないが
ひとつはっきりしているのは「連続した記憶」を持っていることは
自分の人格上重要だ、と言うことである。赤っ恥の過去を忘れない人は
しあわせなのかもしれない
悩み、苦しんでいても、過去を忘れたくても、人はそれらを
忘れない事で「自分」である。記憶のブロックを積み重ねて
その人が出来あがるならば、どの記憶も大事なパーツだ
何か失ったらパズルは空白の未完成品、建築物なら崩壊するかも
どんなに辛くても「知りたい」それはきっと記憶や
疑問の解決(記憶ではなくても、例えば人の事や、家族の悩み、過去
など知りたいと言う欲求全体)は人として生きていく上で
必要な本能かもしれない
テレビを見ていて睡眠時無呼吸というのをやった
別の番組でも見たことがある。それは睡眠中に呼吸の気道が
何らかの原因で妨げられて、呼吸が定期的に(あるいは不規則に)
停止することである。長い人は数分から通常数秒停止する
原因は花粉症などのアレルギーやアデノイドなど、気道をふさぐ
ものだが、その為に熟睡していないので、昼間など眠くなったり
集中力が無くなるそうである
高校時代の友人がアデノイドの手術をした。彼女が言うには
「人の声が聞こえてもボーっとしていたりして叱られた」
と言う。手術は小さい時だったそうで、高校時代には
ボーっとしていた片鱗は無かったが・・・
さて、その無呼吸というものをかなり前に私は知っていた
この本(コミックスの豪華版だが、絵は一見の価値あり
美しい)で、であった
ヒューと言う主人公は夜毎同じ少女の夢を見る
それは彼の中で存在を確かなものにしていき、彼はその少女を
探す。彼が夢を見るとき、その呼吸は停止している
気がついた友人が医師に尋ねるが、その時「無呼吸」というのが
あると医師は言う。むろんヒューの場合は一般の「無呼吸」とは
違う。もっともせっかくの神秘な、かついい男が
いびき(無呼吸の人はいびきをかきやすい)をがなりたてて
鼻が詰まっている・・などと想像したくは無いが(笑)
夢と言うのは不思議だ(脳内で睡眠時に以前の記憶などが
絡み合い見せるニセの記憶、などと無粋な事は忘れて下さい 笑)
夢と現実はどこが違うのか、たまに思うことがある
夢なら覚めないで!と願う楽しい夢、悪夢なら目が覚めて!と
願う悲しい現実。もしも楽しい夢を見たままで死ねるなら
その夢はもうその人の現実である
本の中でこんな女性の話が出てくる
ずっと眠っていられたらいい、と決して悲観してとかでなく
薬を飲んだ・・・致死量に達していないので一命は取りとめたが
彼女は目覚めなかった。それから10年以上眠りつづけているが
彼女の脳波は「レム睡眠」にあるという
つまり彼女は夢を見つづけているのだ
だが彼女の場合あきらかに単に"睡眠状態"であるのに いわば その魂をもって 夢に帰化した そういうことなのさ |
この本に出てくる人物は多国籍である
ロシア(今のではない。旧ソ連時代の作品だから、ロシアの
貴族社会で革命前に海外へ逃れた末裔だろう)
アメリカ人・・・そして日本人の少女が出るのだが
実に魅力的だ。
いつもこの少女に感じていた 不可思議な水分 この水草のように光る 黒い髪や 湿った陶のような肌や この少女を造り上げている 60兆に及ぶ細胞のひとつひとつに 組み込まれている おもいにも似た記憶だ |
こんな日本女性がイマドキいるだろうか・・・
まー私くらいか(あはは)
祖国から離れ生活するロシア人は、また
国と言うものにあこがれ続ける
国とは国籍だとかそこで生まれたとか
そう言うものではないのだと初めてわかった
そう、国(母国)とは自分そのものなのだ
自分の記憶そのものなのだ
だからグローバルに活躍する人で日本から離れると
愛国心が沸くと言うのは、自分の幼い頃の国の
「記憶」を大事に思うということだ
また、世界の国を転々と移動する人もいる
そんな人はそれぞれの国に、それぞれの記憶を持つ故に
アイデンティティーを探す、がそんな人たちは
彼らの記憶の国々そのものが「母国」だ
そして・・・プラス民族の特徴、肉体や文化の共有度
美しい話を読みたい人、見たい人、どうぞ・・・!
はみだしっ子 三原順 (白泉社文庫 全6巻)マンガです
中・高生のころはまったマンガだが紛失。全巻最近手に入れた
画風は少女マンガのそれなのだが、内容は四人の少年の内面を
深く表現している異作だ。残念ながら作者は若くしてこの世を去った
内容は、それぞれにトラウマを抱えた四人の少年(出会った時はまだ
子どもと言って良い。何しろ7歳なのだから)が町を転々としながら
成長してゆく。しかし話は過去へ遡ったり、内面世界になったりと
読むほうの整理もちょっと必要(そこがまた面白いが)
後半で不良少年にグレアム(主人公の四人の一番年長の少年その時
14歳)刺されたのだが、裁判になる。その模様はリアルで
見ているものをイライラさせるほどだ(英国法を参考にしているらしい)
だからこそ現実の過酷さ、難しさを感じる
あらためて思う。裁くのは神でなく人であるのだと・・・・・
どう考えても不良の少年を弁護する敏腕弁護士はそのレトリックで
無罪を勝ち取ろうとする。それは社会の差別や人権という欧米での
(日本でも)罪のすり替えと言う図式さえ感じる
裕福な医師の家庭に養子になったグレアムと、アルコール中毒で
どうしようもない父親の元「かわいそうな」境遇の不良少年
陪審員の心情次第で、人を刺すと言う行為も情状されるのか?
(この裁判の判決は意外な展開を見せる。内緒 笑)
このマンガはやたらと文字が多い。が、それがオマケのようで
かなり嬉しい。少女マンガというのを我慢してひとつ、読んでみて
とお勧めの一冊だ。私がお勧めと書くのはめずらしいのだ!
一方が劣悪であり、一方がが優越し そして・・・だから人は決して真実の事など知る事はできない 「知恵の木は生命の樹ではない」 「世界は滅ぶとも正義は行わざるべからず」 裁判は?生命を守る側にいるのだろう・・・ |
これは一部分の引用でなんとこのあたり丸ごと1頁が文章。ヘンなマンガ(笑)
最初はほのぼのしたりもするが、回をおうごとにシリアスになり
文字数が増える。メゲずに読みきったならば私から表彰状!?
少年のトラウマに触れておこう
年長のグレアムはピアニストで傲慢な(サディストのような)父親から
逃げていた。彼の左目は父に打たれて失明。彼を可愛がった叔母は
目をあげて、と自殺した。マジメで評価も高い彼は実は一番傷が深い
後にマックス(一番年少の子)の起こした事件をかばって
それもまたグレアムの心に暗さをもたらしている
グレアムよりも1歳下のアンジーは小さい頃の病気で足が不自由
さらに私生児だった彼は映画スターを目指す母親からも捨てられる
旅の途中、家出少女に売春を斡旋している悪いおばさんが
有名女優の子役募集を見てアンジーがそっくりだと気がつき
仲間を誘拐してオーディションを強要する。その女優は・・・
アンジーを捨てた母、その人であった
私は昔この、アンジーが一番気に入っていた!
子どものくせに煙草を吸い、女の子をナンパ!
次にサーニン。元ロシア貴族の祖父と、英国人の父。折り合いの悪い
二人に挟まれる気の弱い母。ある日母親は心の糸が切れる
凍えるような寒さの中雪を掻きつづけ・・・亡くなった
その日から言葉を失ったサーニンは世間体から地下に閉じ困られる
一番年下のマックスは明るい愛されるキャラクターだ
だが彼もまた父親から暴力を受け「パパはボクが嫌い」という
思いに支配されていた。ある日父親が拳銃の練習に鳥を撃った
やめてと懇願するマックスに、代わりに猫(マックスの可愛がって
いる野良猫)にするかと言い放つ。マックスは拳銃を隠そうと
するが拳銃を落としてしまい、驚いた猫は窓から逃げ、車に
はねられてしまう。この拳銃のトラウマは後に重大な事件を
引き起こす事になる(仔細は・・うーん、言っちゃおうかな
人を撃ってしまうのだ)
個性溢れる四人組。あなたもはまってみませんか?
(絵に慣れるのが大変だと思うけど)
孤独なハヤブサの物語 J・F・ガーゾーン
訳:沢木耕太郎 新潮文庫
原題は KARA The Lonely Falcon という
訳者はなんと・・・沢木耕太郎氏
カラという孤高のハヤブサがいた。彼はその本能により
一撃で獲物をしとめる刺客だ。生きる為にそれは当然のことで
「仕方ない」わけではない・・・はずだった
だがある日彼は獲物に対する罪悪感を抱いてしまう
そして狩猟よりもあるがままの自然や自分以外の命(仲間)の
心地よさにも目覚める
著者はカトリックの司祭であったらしいので
作品は一貫してキリスト教的流れを感じる
ハヤブサは動物を殺して生きて行くよりも
木苺を食べて(それはハヤブサには十分な栄養ではない)
仲間と生きる道を選んだ
だが・・・孤高であること、血にまみれて生き続ける事もまた
私は同じ位美しいとも思う
他人を殺めた事を悲しんだり、悩んだりしながらも
生きて行くこと・・・生きる苦しみもまた・・・美しい
キリスト教でいうならそうではなく慈悲や愛が
心に満たされてこそ美しい、ということになろうが
「神は決して裏切らない」「あまねく愛してくださる」という
「人は裏切るものだ」「愛しても愛されない事もある」という
しかし私は人を信じて、人という血肉の通った木偶人形を愛したい
人を信じて裏切られつづけても、神よりも人を信じ愛したい
そう願って生きている
それから先日の「細川ガラシャ夫人」の読後感がそうなのだが
信仰に命をかけあっぱれに死んでいった夫人が信徒の鏡ならば
命よりも信仰が大事ならば、やはり信仰は闇でもある
喜んで死んでいく、それはあってはならないのだから
トリが主人公というと「かもめのジョナサン」を思い出すが
テーマが全然違う・・・でもトリ系って魅力だ
人はやはり翼が欲しいのだろうか・・
細川ガラシャ夫人 三浦綾子 新潮文庫
ご存知キリシタン弾圧の中信仰を貫いた「明智光秀」の娘である
女性の物語である。若いころはその信仰とは何だろう?
命をかけるほどのモノなのか、自分もそう言う信仰を持ちたいとか
ちょっとずっこけた感覚で読んだのだが・・・
また脱線の感覚で(笑)読んでしまった
まずは私の大嫌いな信長である
私は歴史上の権力者が嫌いである、それは彼らは力故に
国をまとめ偉業を無し得たが、そのために(必要だけれど)
無数の非力なものは苦しまされたからだ
大樹を育むためには雑草は刈り取る。そうでなければ
養分が大樹に集中しない、それはわかるが・・・
権力を振るう中で気まぐれに人を粗末に扱う
古代エジプトなど奴隷はモノでしかなく
生かすも殺すも王の自由だった、日本だって同様に
焼き討ちされた民衆は数知れないし、権力者の気まぐれで
(遊びで)民を殺害したりした
現代が最も禁止する行為なのに、殺人さえも
権力故に許される無秩序
それを私は嫌悪する。信長も秀吉も大嫌いだ
さて。ここに書かれた信長はまさに暴君そのものだ
光秀が謀反しなくても誰かがやったと私は思う
上司で言えば嫌いな上司ナンバー1である
自分の機嫌で部下に当り散らす、恥をかかす・・・
*********************
ふと思い出したのは昔OL時代の私の上司である
彼は部下が半年持ったことは無い、というほど
「信長」上司であった。怒る時は社内に人が大勢いる時間に
わざと怒鳴る。おまえは脳みそが無いのか!と
そういう言葉で、である。自分のミスというものでなく
どう考えても上司のミス(顧客からの注文を忘れたり)だが
客からどうなっているのか聞かれると、私のせいになる
早い人は1ヶ月で辞めるといわれたが私は辞めなかった
自分の仕事は間違っていないと思っていたし
何よりも会社の皆から「あんな人の下では可愛そうに」とか
「よくやってるね」とか賞賛をされたことが心地よかったからだ
セコイ話ではあるが・・・笑
だがもうひとつ理由を挙げるなら上司の生い立ちである
上司は次長であったが当時次長以上では大学卒しかいなかった
だが彼は中卒。孤児だったのを先代の社長に拾われて
育てられ自社に就職させたのだ
だから同年代の次長や部長たちとは交流も無く
部下であるOLでさえ高卒以上(私の後の子達は短大が多い
そのさらに後は4大)と彼のコンプレックスはいかばかりか
だから彼の説教には必ずある単語が登場する
「脳みそが足りない」「学校を出ても役に立たない」
私が結婚後別の会社にいた時その上司が顧客としてやってきた
彼は独立して小さな会社を起こしたのだ
すると・・・そこに見たものは柔和な町の社長さんといった
彼であった。どこにも怒鳴り飛ばした面影は無かった
数年後。仕事をもらっていた大手の倒産で彼の会社も連鎖倒産
バブルがはじけて段々と経済が落ちていく予兆のころだった
一家で夜逃げしたと聞いた。息子に死にたい、といったら
死ぬくらいなら逃げてやり直そうといったとか。
今はどこで何をしているんだろう?
以前の人を罵倒するあの迫力で仕事をしているとは思えない
多分コツコツと日々の暮らしをしているんだろう
信長は孤独だったのかもしれない
忠臣さえもある日信じられなくなり首を飛ばす
そんな信長を哀れに思う
(歴史上の人物を精神鑑定する、というのが一時流行った
信長はどんな性格だろう?どう考えても人格障害、破瓜型)
柔らかな頬 桐野夏生 講談社
きっと悪友が、私には似合わないという本だろう(何で?)
ま、いいや。取引先の男と不倫を(お互い家庭持ち)続けるカスミ
北海道の寒村で育った彼女は飢餓感から野生の魅力をかもし出して
そこに男は惹かれた。そんな関係の中、男の別荘にお互いの家族を
連れてバカンスを楽しむ・・・はずだったがカスミが愛する娘
有香が突然失踪する。そこからあらゆる物が崩壊し始める
ミステリー?でもなんか一味違う本だった
はじめに「こんちくしょう!」と思ったのは皆さんの想像どおり
子どもがふたりもいるのに、不倫なんてしてんじゃねえ!と
私が思ったからである。だから子どもを失ったカスミが
糸の切れた凧のようになってしまったことを不思議に思った
子どもより男だったんじゃないのか?という意地の悪い考えだ
暖かな体温を望むなら子どものそれがあればいい
なのに、男でなければ癒せないのか?情事にのめりこむあまりに
カスミはふと、思ってしまう。子どもを捨ててもいい、男に
ついて行きたいと。その矢先に子どもが消える
読み進むうちにカスミの強烈な個性に惹かれていく私であった・・・
「激しい」人は人に不安や威圧感を与えるが一方で
平凡な枠の中で生きている「普通」の人にとっては魅力でもある
申し分の無い妻子がいて、そこそこに幸せで、それを全て壊す
かもしれないのに、危険な女に惹かれる男の心理は
壊れていく「自分」壊したい「自分」と同じ意味なのかもしれない
読んでいくうちに思ったが自分が男(私の場合はダンナ)から見て
どう言う存在になりたいのか、考えた。
よくできた妻、慈愛にみちた母・・・そう言う女か
自分も周りも傷つけてしまいながら、暴走する落ちる女か・・・
こう書くと意外に良妻賢母を望む女は少ないんじゃないか?と思う
何故なら、男から「従順」なだけの存在と見られたくないだろうから
まあ、いいんだけど「かあちゃん」で。ただし心の中は、別だ
心の中では鋭い爪と牙を持つ孤高の狼でいたいなと(なんのこっちゃ)
ダンナにはカッコイイ女だと思われたいのである
(現実?うーん、貧乳のホルスタインかなっ。ウシ年だから笑)
・・・時を経てお互いに老いれば価値は「安定」に戻るんだろう
この本犯人はだーれだ?新鮮な結末にちょっと驚くかも・・・
音楽の海岸 村上龍 角川書店
サワヤカなタイトルとトロピカルな表紙に騙された
読み始めて驚いたのは女を斡旋するジゴロ、ケンジとそれを取り巻く
女や客のこれでもか・・・と言うほどの性描写であった
いきなり脱線するが、私はいつも不思議に思っている事がある
それは上流と呼ばれる人(経済や才能、などピラミッドのトップであろう)
たちが性的にはかなり奔放であるという事だ
世間一般のタブーはそこになく、解放されている性がある
まるでほとんどの民は(無能で)性と言う究極のモノを味わう資格は
ない、というかのように。不倫一つにしても、昔の貴族社会では
愛人は当たり前。男はもちろん夫を持つ貴婦人さえも
スキャンダルは華なのである
モラルとは何か、人が人を律し法(罰則)によらず生活をする術
しかし性と言う極めて個人的な事でそれを当てはめても妙な気もする
モラルは見えない檻かもしれない。野生でなく家畜化された民人
しかし・・・いけないとは言わないが(個人の勝手だから)
上流の人の性に対する一般人の考えへの軽蔑のような感覚は
とても嫌な感じだ。上手く言えないが平民はモラルの中で喜んで
それで十分だ。とても高尚な性を楽しむ事はお前達にはわからない
と、いわれている気分になる。才ある人は感性も我々と違うのだ、と
ひがみかもしれない。でも不倫をファッションやステータスと思う事は
モラルなどでなく「私が」嫌いなのである
人はほとんどがスケベであると思う。本能だから仕方がない
だからナンパなニイチャンもオジさんも、不倫にはまっちゃったOLも
若い男の好きな主婦も(私ではない 笑)私は許せる・・・が
見下すかのように、自分たちの性に意味を与え芸術のように語る
そんな人種がキライだ。といってもすごい人々と交際はないので
真実はわからないが、まあ、イメージで・・・
ある作家の家にアシスタントで入った女性は何といきなり初日から
一緒にシャワーを浴びようなどと誘われた。冗談じゃない、と
断っても毎日しつこい(でも押し倒したりしないのはプライドか?)
結局2週間で辞めたがその先生は好色で有名らしく悪びれもせず
次々とアシスタントや家政婦などを誘うと言う
まったく作家なんてろくなもんじゃないと思っていたが
何だかストレートで笑える気もした。
で・・・やっと本題に戻る。この作品はジゴロのケンジに妙な依頼が
来る。それはある男が自分の女を、変えてしまった映像監督の男を
抹殺してくれというものだ。抹殺とは殺人や恐喝ではない
プライドや精神的なものを崩してしてくれと言う意味だ
始めの味の悪さに比べて後半は、まあまあかな。でも特にお勧めでは
ないけれど、色々考える事はあったので載せる事にした
不思議な果実 アメリカ黒人詩集
諏訪 優 訳編 思潮社
タイトル通り黒人の詩を編集したものであるが
編者のセンスが伺える。後半にある解説もエッセーと言ってよく
「掘り出し物」を実感した1冊
その中で今気になる作品を載せてみる
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ルロイ・ジョーンズ
黒人は新しい神々を創りつつある
不信なユダヤ人の裏切り者らは俺たちの秘密の十字を盗んだ
白い砂漠に白人らはそれらをほうり出し
イタ公やブルガリア人を引きずりこんだ 奴隷の死
彼らは俺たちに十字架を背負わせ礼拝させる
俺たちの死それ自体は見せかけの死
彼らは俺たちに ひとりの死んだユダヤ人を礼拝する事を許すという
非人間的な恩恵のクサリにつながれた
俺たち自身じゃない
死んだユダヤ人たちの
狂ったクサリ
そして彼らの願望
そして彼らの逃避を
俺たち黒人の力で
俺たち黒人の秘伝と知識で
彼らはうつろな工場を広告し
いやらしいめじるしにかえる
以下略
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そういえば白人やアジア人と違って、黒人は今回のテロを
中東問題やイスラムを、どう思っているんだろうか?
長く残酷な黒人の歴史。今なお内紛だらけの人類の生まれた地
アフリカ。
人族を生み出したアフリカと、神を生み出した中東
どちらもそれは血の歴史となっている
ならばアジアは?何を生み出し、何を語っているのか・・・
アジア、それはシャーマンの地である。シャーマン・・・
人と神とをつなぐ者だ。アジア人は自然の声を感じた
神は人の傍にいた。そんな精神性がアジア・・・
そして今アジアから神は去ってシャーマンたちは死んだ
神とシャーマンと自然の死にゆく地、それがきっと今のアジア
私が神という言葉を使うと、お前は無神論者じゃないかと
叱られそうだが、私は大事に思っている。神を創った人の歴史を。
私は悲しく美しいと思う。神を必要とする人の心を。
歴史、それは神のシナリオなのかもしれない・・・・・
シズコズ ドーター キョウコ・モリ(青山出版)
私がこの読書コーナーで本当は一番に取り上げたかった本である
だが迷った。思い入れが強すぎたからだ。
母親の自殺、その後すぐの父親の再婚、継母との確執
自伝小説ともいわれるキョウコ・モリの処女作だが
アメリカに留学、移住。彼女は日本を捨てたのである
この小説も英語で書かれてアメリカで出版されたのだが
日本での出版が決まった時彼女は「日本語訳」を断ったという
自分は曖昧さを旨とする日本語には向いていない
英語で思考していることもあって。しかし私は思う
彼女は日本を、自分のしがらみを捨てたんだと・・・
父親の為に死んだ弱い母親は娘に遺書を残す
「あなたを愛している事だけは信じてください」と・・・
辛い事は父親の不貞ではない。母親が自分を捨てて彼岸の彼方へ
行ってしまった事だ。這ってでも泥にまみれても共に生きてこそ
感じられる母親の愛・・・だが傷ついた娘は強く生きてゆく
小説の中のヒロイン有紀も、著者キョウコ・モリも
幼い頃の私とオーバーラップさせる。父の裏切りも愛人への嫌悪も
アメリカへ逃げたかった事も(もちろん私は行けなかったのだが)
ただ違うのは・・・
どこまでも強く太陽のような母親を持った事。そして残念ながら
彼女のように知性も教養も持たないままであった事、である
彼女は強い。その強さを私は美しいと思うし、私自身もカッコ良くは
ないけれどたくましく生きている
これも、きっと傷を受けた少女時代があったからこそだと思う
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私は歩くだろう
地の果てまでも ひとりきりでも
泥にまみれ 地を這って 腐肉を食べてなお
生き抜くことを
笑う人がいるなら 笑えばいい
長き道のりを振りかえって
頂上から下を見下ろす時
そこに広がる景色は
這いあがった者にのみ許されるのだから・・・
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平凡に生きる事、人と違う稀な生き方をする事
どちらであっても自分の足で歩く人はきっと 美しい
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キョウコ・モリ 他の著作
めぐみ(青山出版社)
これも「シズコズ ドーター」の香りを残した小説だが
癒しのようなものを感じる。母親が娘を残して家を出る
苦悩の中女性獣医と出会って癒されてゆく・・・
信仰(キリスト教)への疑問も興味深い
「もう教会へは来られません」「神を信じられませんから」
信仰の一つの面、それは人間関係なのである
多くの宗教の信者が教義には懐疑的ながらも、辞めないのは
共通の思いで繋がっているという連帯感を捨てられないからだ
悲しい嘘(青山出版社)
キョウコ・モリのエッセーで自分の家族や過去の他に
アメリカでの生活や、文化など語られている
キョウコの父親がガンで亡くなった時の事が書かれていて
継母とのやり取りに思わず私は苦笑する
私の父もガンで亡くなって、死後ゴタゴタがあったのだ
ああ、似ている人生だなあ、と笑う
人は顔が似ている人が世の中に三人いるというが
人生が似ている人も三人いると誰かがいった
私の人生に似ている人のひとりがキョウコであるなら
嬉しいけど、きっと違うな・・・私は馬鹿だし
でも、いつか子どもが巣立ったら未知の国で
人生を人の役に立ててみたいな、などと無謀にも考えたりする
以上。彼女の文章は美しい。私のバイブルである・・・
2001・10・8
アフガニスタンの昔話 戦火の中だからこそ・・・
母ヤギとオオカミ
2本の角が生えている母ヤギがいた
ある日家に帰ると子どもたちがいなかった
オオカミに食べられてしまったからだ
嘆き悲しんだ母ヤギはオオカミに決闘を申しこんだ
村の鍛冶屋に、ヤギは自分の乳をたっぷり絞って持っていった
私の角を研いで下さい。子どもの仇を取りたいのです・・・
鍛冶屋は刀のように鋭く研いでやった
しばらくして、今度はオオカミがやってきた
俺の牙を研いでくれ。ひと噛みでヤギを殺せるように・・・
オオカミはご馳走の入った袋を見せた、だが鍛冶屋が中を
そっと見ると石ころが入っていただけであった
怒った鍛冶屋は知らない振りをしてオオカミの牙を研ぐ振りで
全部の牙を抜いてしまった
決闘の日、オオカミはヤギの角に刺されて死んだ
オオカミの腹から子どもたちが出てきた
こうして母ヤギと子どもたちは幸せに暮らした・・・
(以上昔調べたアジアの民話。手元にある本(アジアの昔話6
福音館書店)とほぼ同じ?
勇敢なアフガンの民は「決闘」という言葉に表れる
本当は静かに暮らしているはずだったのに
長い戦争が続き今また大国の空爆にさらされる
日本は欧米文化圏ではない。アジアや中東の非欧米文化も
共感できる所もきっとあるはずだ。今回の空爆は残念でならない
でも、どうしたら良かったのか、わからないし
仮に報復の協力に反対だったとしても、それでどうなる事もない
非力なのだ。ただの国民ふぜいなのだ。反戦のストライキが
テレビに映る、でも、何も変わらないのだ・・・
私たちは全て大いなる権力に踏み潰される石ころに過ぎない
それは世界一強大な米国でも、戦火のアフガンでも
東の果て日本でも、同じである・・・国民はただ流されるだけ
アフガンに平和が戻り、民話など「娯楽」の許される日が
来ることを願ってやまない・・・
本当の戦争の話をしよう ティム・オブライエン
村上春樹訳 文春文庫
ヴェトナム戦争は一体何をもたらしたんだろう?
今こんな時だから過去に学ぶために、ついタイトルに
ひかれた本であった。
始めはヴェトナムの前線での出来事から書かれる
戦争で大変なのは、実は歩くことなのだ、と聞いた事がある
それは、ただのハイキングではない
そう、行軍である。兵士たちは食料はもちろん銃器や無線
薬品、私物など必要品を携帯して歩かねばならない
ヴェトナムはジャングルもある亜熱帯だ
著者はその行軍の辛さを詳しく記している
兵士が持って歩くのは重い荷物だけではない
マラリアや赤痢などの感染症という病気(肉体の不幸)
ガールフレンドや家族の写真(ほとんどの兵士が持っている)
自分の人生にとって避けたいもの、大事なもの
色々な人生の荷物が彼らの背に乗っている
以下引用してみる。ヴェトナムの風景を想像してしまった
彼らは土地そのものを抱え込んでいた
ヴェトナム、その土地と土。そのオレンジ・レッドの粉状の土ぼこりは
彼らのブーツや戦闘服を覆った。彼らはその空を抱え込んでいた。
彼らはその空間の空気をごっそりそのまま持ち運んでいた。
湿気、モンスーン、黴と腐敗の匂い、なにもかも。
彼らは重力を持ち運んでいた。彼らはロバのように歩いた。
昼間は狙撃兵に狙われ、夜は臼砲攻撃に晒された。しかしそれは
戦闘ではなかった。それは果てしない行軍だった。
目的も無く村から村へと移り歩き、勝つこともなければ、負ける事もなかった
彼らは国(アメリカ)を背負い、ヴェトナムを背負い、家族を背負い
自分(の弱さ)をも背負うのだ
人は(兵士でなくても)色々なものを背負って歩いている
普段それを忘れるほど日常に流されているが、戦場と言う特殊な
生と死が身近で故郷が遠い場所にいれば、その荷の重たさがわかるだろう
物語の主人公もひそかに持っていた片思いのマーサの写真に
色々な思いを抱き、そこから果てしなく想像は広がった
何もない異国の戦地で、たった一枚の写真が見せるもの、それは
その人自身の「こころ」そのものに違いないだろう・・・
余談だが私は歩く事は好きだし苦にならないが、荷物があると話は別だ
軽くても手荷物はうっとおしい。それが重いものならなおさらだ
だから単純に行軍って大変だなあと思った(小学生かっ この文章)
戦闘とはハイテクの戦闘機で空爆する事だけではない
意味もわからなくなるほど疲れ果て、それでも逃げて帰れない
多くの兵士の汗・・・そして死・・・