読書かんそうぶん
エッセー・雑記など
黒いスイス 福原直樹 新潮新書
ホラー系じゃありません(笑)
これは文字通りスイスという国のダークサイドのルポです
オビを引用すると(これからはオビのあらすじを
引用しようかと思います。それなら宣伝用にあるわけだし
強調したい部分が出ているのだし)↓
民族浄化 ロマ(ジプシー)の子ども1000人以上誘拐
ナチス協力、地下核実験計画
マネーロンダリング(これは有名ですね。鉄壁のスイスBK)
スイスのイメージは本にもあるように
学校で習った「永世中立国」の平和国家
緑あふれる自然環境の素晴らしい国
こんな感じであった(私も想像力貧困 笑)
これがロシアや中国、インドや中東、アフリカなどの
途上国や、大国でも人口過多の問題を抱える国なら
納得できる(貧困や多民族、多種族は国家の暗部で
汚い事をしなければ生きていけない、国家が回っていかない
仕方のない面がある。麻薬を栽培したり武器を密輸したり
いけない事でもやらねば、という国は多い)
しかし「スイス」である
ある意味、本当に欧州を感じさせる国である
その国が、汚ーい面があったのである
萩尾望都のマンガに心の中を描いた心の城の話がある
(以前書いたっけ?だったらすみません)
善人の城は真っ白に見えたのに
裏にまわって見ると真っ黒
問題児の同級生の城は真っ黒なのに
意外に裏側は真っ白(裏は傷つきやすいわけ)
それは白と黒のレンガの数はみんな同じだから
裏も表も真っ白だけ、真っ黒だけという城は
ないというわけだ
そんな風に国もまた、きれいな素晴らしいだけの国なんて
あるはずはない。スイスもしかり・・・
だとすると今の日本で悪魔の国のように思っている北朝鮮も
いいところ、あるかも(経済悪化でそれどころじゃなかろうが)
2004/4/15
武士道 新渡戸稲造 訳:奈良本辰也 三笠書房
100年以上の時を経てなお鮮烈に日本人の心に入る
日本人は精神をこの何十年の間に侵食されボロボロにされてきた
でも本当は日本人とは武士なのだと
そんな風に生きてみたい
いきなり印象に残る話で始まる
ベルギーの法学者ラブレー氏が日本の学校で
宗教教育というものが無い、ときいて驚き
「宗教が無いとは。いったいあなたがたはどのようにして
子孫に道徳教育をされるんですか」といったそうだ
著者はそれに逆に驚いた
彼が学んだ人の道とは学校で教わったのではなかったからだという
私は頭をバーンと殴られた気がした
日本人の無宗教を野蛮と言われていた頃もあったが
昔の日本では社会や自分をコントロールするのは
神ではなく「人」自身であったのだ
武士道における女性というものにも触れている
現代と比べるとそぐわないこともあるけれど
面白いのは女性の家や夫への献身を
夫の主君への忠誠と同様でターゲットが夫なだけだと定義する
男まさりであれ、しとやかであれとする武士道の女性像にてらし
女性の献身を高く評価する
イマドキでもこんな男性いないっつーの(笑)
男女平等ということについても氏は鋭い洞察をしている
「気妙な事に夫と妻の地位は身分が低いほど平等」
氏は「両性の相対的な社会的地位を比較する際に
果たして正確な基準がありうるだろうか(略)
銀の価値を金の価値と比較するように
女性の地位を男性と比べ、比率を算出することは
果たして正当で、かつ十分な事なのだろうか」と問いかける
男女の性差と平等が問題になって長い時間が経った
時代や文化が変わっても、男女の肉体と精神が
同じでない限り、問題は残るだろう
だが、新渡戸の問いかけで男女の個性に合った平等というものを
考えた方がいいかもしれない
同じ仕事をしても男女の賃金格差がある(法律上は
内容が同じなら賃金も同じといっても実際は
理屈をつけて差がある企業はある
うちの会社は同じ。ありがたいが、男性が低いからという声も。笑)
一方で生理休暇の廃止をした企業がある(有休で対処)
しかし肉体的ハンデはし方がなく、生理時に辛い人は
身体ハンデと考えた方がいいのか・・・
口でいうのはたやすいがやっぱりムズカシイ
男女平等。永遠のテーマかな
2004/2/26
大衆食堂の人々 呉智英 史輝出版
表紙にキリストの「最後の晩餐」の絵がある、というのに
なぜかタイトルがこれである(笑)呉氏の著作をすすめてもらったので
探していたがこの「最後の晩餐」のインパクトでこれに決定
さて。ノーベル平和賞にかの「カーター元大統領」が受賞
中東の平和に貢献という事だが実際は米のイラク攻撃へのけん制を
狙ったとメディアは言っている。ノーベル賞というものは
どの賞もすばらしいがただひとつ「平和賞」だけはうさんくさい。
政治的思惑が見え隠れする「平和賞」本当はマザーテレサのような
貢献こそ本当だと思うけれど・・・
その平和賞に輝いた日本人といえば故佐藤栄作である
今になってその受賞の疑問をメディアが問うようだが
何てタイムリーなのだろう、この呉氏の本に佐藤氏の平和賞当時の
お笑いエピソードが載っていた
当時の国民的アイドル山口百恵(まあ今で言うあゆ、くらい?)が
ノーベル平和賞の事についてインタビューされた時のコメント
「すばらしいと思いますわ。私も、去年新人賞をもらった時、
すごくうれしかったですし」呉氏はこれを見事!と書いている
当時佐藤氏の受賞を非難する革新の色々な意見を全て超えた(笑)
他に「シラカバ派の知識人たち」もとても面白く書かれ
文学とは大衆のものではない、という敷居の高い観念を取ってくれる
中でも吉本隆明(思想系HPなんて良く名前が出てくる。実は私は
読んだ事が無い 笑 だって知人の家に本があって真新しいから
聞いたらご主人が買った後全然読んだ様子が無いというので
あの夫婦が読まないなら私にはムリ!と思って読んでいない)は
もうサイコーであった。進歩的知識人批判を展開しているという吉本
大衆の恐ろしさ、すごさ、わからなさ、をふと思う時があるから
これは一回読んでみるか?
という気分にさせる軽快な文体は呉氏の魅力なのだ
マンガ感覚で読めた一冊である
もの食う人びと 辺見庸 角川文庫
一番大切な文化交流はその地の食べ物を食べる事だという
食べる事で彼等の生活も文化も,片りんを感じ取れる
世界を旅する著者は食文化を通して異国を語る
チェルノブイリ三十キロ圏の村、死の村と言われて
森の物を食べては危険といわれても,彼等は食べている
「魚も林檎も何でも食う。どうせ先は長くない」
老人たちに他にどこへ行けと言うのか。
ならばそこで土になった方が幸せと言うものだ
バンコクでは日本のキャットフードが生産されている
しかし,地元に経済(お金と労働力)の恩恵をもたらす
この産業がペットの為の餌と,貴重な食料が使われる事で
日本国内からの非難もあるという
バンコクも経済的に潤いたいだろう、難しい問題だ
食を通して色々な事が見える
この本はそれを教えてくれる
私にとって神とは
遠藤周作
光文社
「沈黙」のイメージが私には強いんだが
それとまた違ってやさしげな語り口の宗教エッセーだ
シロウトには,やさしく読みやすい宗教本がいい.
キリスト教の神の概念??
聖書は持っているけれど,つまらないし,わからないのが本音だ.
近ごろ小説風の聖書というのが売れているというが
「わかりやすい」はいいことだ.大衆獲得したかったら.
神とは働きだと,氏は云う
運命や,そこまでに至る偶然のように,
何一つ欠けても成り立たないものに
感じること・・・?それを,仏と呼んでも,なんといってもいい
遠藤氏達クリスチャンはそれを「神」と言うだけで?
全てを関連づける事に意味はあるんだろうか?とも思う.
しかし,全てに意味はない,とは云えない.
自分の来た道のひとつひとつには,何か意味はあったと,
そしてそれを「神」と云うならばそれもいいか。
ちょっと横道ですが,無信仰日本人?について。
本当は日本古来の八百万の神々への信仰は
私達日本人の細胞の中に深く刻まれているかもしれない
そんな感覚に感覚にわくわくした事があった.
竹林で,風のない時にシンとしていて,けれど何か竹の香りと
さわさわという小さな音がリズムに聞こえた時.
波の繰り返す音が心臓の鼓動と一緒に重なった時
冬の夜の空に,魂が吸いこまれそうな深さを感じるとき・・・
日本人は,コミュニケーションが苦手、なんではなく
言葉が苦手で,本当は「感性」の人種なのだと思った.
それが日本という土壌で体に染み込んだ自然への信仰だとすると
遠藤氏の云う「働き」を認めようか?なんて思う(単純)
それでも私の中に,神はいないのだけど、
神を探す人々の考え方,言葉は,
私の好奇心をくすぐりつづける事だろう.
仮面の国
柳美里
新潮文庫
以前この人の本を借りた時に
私には合わないと感じた.(水辺のゆりかご)
でも,週刊誌のコラムなんかを見ると面白い視点じゃんと思って
「仮面の国」ならエッセイだし,例のサイン会中止事件の事などが
書かれているので買ってしまったのだ.
神戸の少年Aの事にも触れている.(父親は出てくるべきだと言う。)
昔から作家の社会問題のコラムは
良く書けているが,実は素人だと言うらしいが
どうせ読んでいる私も素人なんだから楽しく読めればそれでいい.
むずかしい専門書は読みきれるものではないし
彼女のコラムを批判する人って不思議.
それにしても,サイン中止犯からの電話のやり取りが
結構面白かった.
韓国の名前を,日本語(漢字)表示でハングル読みのルビをふるのは
おかしいと犯人は主張している.それならば最初から
カタカナ表記にするべきだという事か.
レオナルド・ディカプリオや、ビル・クリントンというように。
これは,英語圏とアジア圏の違いもあるので
(そもそも漢字は中国からきた)プライドの問題でないと思う.
私は漢字の表現のすばらしさは芸術と思っている.
それが国によって違う使い方や発展を遂げたしるしとして
日本語表記,ハングル表記,中国語表記,何でもいいと思うんだけど.
でも犯人のコメントが読めて,すごく良かった.本音
ランゲルハンス島の午後 村上春樹(新潮文庫)
なつかしい八十年代の香りいっぱいのエッセーです
と思ったら1984年からの連載をまとめたものだったのね
ところで「ランゲルハンス島」ってどっかで聞いたと思って
地図で調べてもないので頭をひねったらダンナに
「インシュリン出すとこじゃない?」って?ああそうか・・・
地図を見たのは私だけかい?(-_-;)
この人はオシャレだと思う。粋やお洒落でなくカタカナ。
人の青春て個人で違うけどあなたは何年代が青春?
私はやはり八十年前半ですね・・・
2001/1/15
地の果てのダンス
清野栄一
メディア・ワークス
音楽に興味の無い方でも「感覚」で読んで欲しい一冊
レイヴというのを聞いた事があるだろうか?
音楽的にはテクノとかトランスなどと言われるが
ここではそのテクノ系音楽での野外パーティーを指す
ヨーロッパなどでは社会現象にもなった。
この本は著者の海外,国内でのレイヴ体験記と
メールでのレイヴ論,さらにはレイヴ参加者のインタビューと
大変面白い構成になっている。
インタビューで近田春夫氏の名が出て「お?」びっくり。
レイブというものは一見音楽で踊るという事で
パラパラと同じじゃん?と思う人はいるかもしれないが
さにあらず。パラパラはみんなで同じ振り付けを踊る事で
一体感を得るのだがレイヴは,個々人の体感のままに
自由に踊る。そこにあるのは同じ音の中にいるという
事実だけなのだ。同じ音でもないかもしれない。
本にもあるが人は感性も違うし,耳の可聴範囲も
個人差が大きいそうだ。同じ音うねりは無いのかもしれない。
レイヴでは踊りが「内」に向かう
みんなで踊ると言うのに一人だと言う孤独感。
癒せないものを拡大していく奇妙な体感,レイヴ・・・
パラパラは日本の,しかもティーンの限定だ。
それに対してレイヴは年齢層が高い(特に日本では)
いや,広いと言った方が良い
何かが決定的に違う気がする。パラパラが決して
世界には波及しないんじゃないかと思うのはそこ。
私はレイヴに詳しいわけじゃないしテクノも
聞きやすいもの限定だ。ポップ,ロックに近いテクノだ。
それでもエフェックス・ツインやオムニバスの
トライバルギャザリングなんかがCDライブラリに
眠っているから理屈を越えたレイヴのムーブメントが
なんとなくわかる・・・気がする
しつこいようだが音楽を聴くことは感覚だ
演歌でもいい,ロックでも,クラシックでも
文部省唱歌でもいい。個人だけの世界だ。文化だ。
その人が気に入ってそれなりに「快感」を得られればいいのだ